異端者幻想譚

-ヘレティックファンタジー-
月緋ノア
月緋ノア

とある種族の別の種

公開日時: 2022年6月4日(土) 21:31
文字数:3,917

 ――さてこの状況は?

 起きたら全身が軋むように痛かったのはおそらく能力の反動だろう。こんなことは今までなかったのだけど。

 くすんだ白色の天井に、乳白色の壁が見える。ところどころに崩れた痕跡があり、あまり使われていない場所らしいことがわかった。

 どうやら硬いベッドに寝かされていたようだ。まだ草木で作ったベッドの方が柔らかい。というのは置いといて、身体が妙に軽い。装備がないのだ。

 起き上がってきょろきょろとしていると、ベッドの脇に置かれたテーブルが視界に入った。そこにはあたしの持ち物や装備が置かれている。右手のグローブ、ベルトにポーチ、レザーアーマー、ナイフ等々。この様子ならば、ブーツも脱がされているだけでベッドの足元にあるのだろう。


「誰かがわざわざ外して寝かせてくれたのかな?」


 首を傾げながらも、それらを身につけ立ち上がると身体がしっくりきた。どうやらこの重さが当たり前になっているらしい。


「んー……ここ、出られるのかな?」


 扉は閉まっていた。建て付けが悪いのか鍵がかかっているのか、ガチャガチャとノブを捻っても開く気配はない。だが幸い、老朽化した建物をそのまま流用しているだけのようで風も扉も脆そうだ。

 だがまずは壁に背中からもたれかかり、耳を澄ます。

 少し遠くに人の足音。一人だ。しかも近づいてくる。それ以外には誰もいないようだ。足音の響き方からするとこの壁の向こう側は廊下のようだが、崩落しているからかいろんなところへ音が抜けていってしまうらしい。こうなると途端に音で把握するのは難しくなるし、過信は危険となる。

 仕方がない。他の生物が発する音だけ拾えれば十分としよう。


「そろそろ起きる頃だから連れてこいだなんて言っていたが、あの司祭は未来でもわかるのか?」


 若い男の声がして、足音が部屋の前で止まる。そして扉を叩いた。かんかん、と妙に高い音が響き渡る。


「目は覚めたか? 起きているなら返事をしてほしい――ってするわけないか。えっと確かこの扉にはコツが……っと」


 男の声と共に耳障りな音を立てながら扉が開き始める。その影に息を潜めて、その男が入ってくるのをじっと待つ。ほどなくして扉が垂直に開き、若い男が部屋の中へと足を踏み入れてきた。


「あれ? いない!? いったいどこに――?」


 部屋の真ん中あたりまでろくに周囲の確認もせずに突っ込んできた男。その背後から飛び蹴りを喰らわせてベッドに顔面から飛び込ませ、そのまま馬乗りになってナイフを喉元へ運んだ。男の身体はやけに平べったい感じがするが気のせいだろう。


「ちょっ! 待て待て待て! とりあえず落ち着け!」

「そうね。……質問に答えてくれたらそうする」

「わかった。なんでも答えるからっ」


 ナイフの刃がわずかに首の皮を裂く感覚が手を伝わってきた。あたしは力を緩めることなく口を開く。


「ここはどこ?」

「龍人共の根城だ」

「龍人?」

「ああ。――そいつらは、おれたちみたいな体つきだが全身に鱗があって、ツノがあって尻尾もあって鋭い爪もあって、トカゲみたいな頭をしてるんだ。それでいて頭が良くて変な術を使うんだ。変わった道具も持ってる」

「さっき司祭って言ってたのは?」

「そんなことまで聞いてたのか? えっと、司祭ってのはこの辺りを仕切ってる龍人の長のことだ。名前までは知らない。おれはそいつにあんたを連れてこいって言われてるんだ」


 抵抗もせず、淡々と情報を並べる潔さ。感じない敵意。だが彼が発する音には違和感がある。

 なんだろうこの音。拍動が、二つ?

 心臓とは別の拍動があるのだ。耳をそば立てると、それは男の左頬にある紋様、あるいは刻印のようなものから聞こえているのがわかった。

 ――それは龍の顔を象っているらしい。


「連れてこい?」

「そうだ。――なぁ、ひとまず離してくれないか? 顔を見て話したい」

「ん……いいけど、もし妙な動きをしたら――」

「しないってば!」


 男の首元からナイフを退け、ゆっくりと彼の上から降り、そのまま一歩二歩と後ずさる。

 彼は身体を痛そうにしながら起き上がり徐にこちらを振り返った。


「感謝する。――おれはユウ。ここで生きてるの一人だ。あんたも、その見た目なら人間なんだろう? そんな紋様はここでは見たことないけど」

「人、間?」


 ユウと名乗った男を上から下まで凝視する。闇が溶けたような黒髪に、青みを宿した黒目。痩せこけた頬をして、身体の線は細い。国で見た家族以外の誰とも、他の種族とも違う――彼はあたしとほぼ同じ人間の姿形をしていた。だがなんといえばいいのか、非常に不健康そうだ。さっきの感触通り、腹回りなんてくぼんでいるふうにすら見えるし。

 それは気になったが、まずはその紋様だ。じっと見つめる視線に気がついたのか、彼は目を丸くする。


「ん? もしかしてこれが気になるのか?」


 ユウは左の指先で自身の頬を指差した。あたしが無言で頷くと、彼は驚いたような顔をする。


「知らないのか? これは人間が生き残るための龍人からの施しだ。って両親が言っていた」

「そう、なんだ。ねえ、変なことを聞くけど、ごはんちゃんと食べてる?」

「ごはん? 食べる? なんだそれ」


 あたしはポーチから保存用に加工したエリュマウントの肉を取り出して彼に見せた。だが、彼の反応は意外なもので、首を傾げるばかり。


「こういうの見たことない? もしかして食べたことも?」

「うん。そもそも食べるってなんだ?」

「えっ? こうやって、はむ……って」


 一口齧りとる。うん、おいしい。

 あたしの様子を見て、ユウは興味深そうに近寄ってきて、あたしからそれを受け取ると真似するように口へと運んだ。だが、まるで噛み切ることを知らないかのように彼は下手にも程がある食べ方をする。ようやく噛み切った肉をどうしていいかわからず、そのまま飲み込んだようだ。


「なんだこれ。何も感じないぞ?」

「え? おいしく、ない?」


 彼は頷きあたしに肉を返す。口をつけてしまったからとそれを全て食べ切ってしまってから、あたしは口を開こうとした。だが。


「うっ……うげぇ……かはっ」

「えっ!? 大丈夫?」

「あ、あぁ。初めてだったから身体がびっくりしたんだろう。すまない」


 本当に言葉通りの意味のようだった。不思議に思いながらも、あたしは彼の背中をさする。


「はは、カッコ悪いところを見せたな」

「いや、それはいいんだけど。本当に何も食べたことないの?」

「ああ。口に入れたことがあるのは水だけなんだ」


 それはおかしい、と口にしかけてやめた。それしか口にしていなくても、その身体になるまで生きてこられたのだ。その紋様とやらに何か理由があるのだろう。


「なあ、あんた、名前は?」

「あたしはセナ。ただの、セナだよ」

「ただのってなんだ? まぁいいや。――とりあえずついてきてくれないか? もしやばいと思って逃げようと思ったら隙を見て逃げてくれればいいからさ」

「うん。わかった」


 警戒を緩めずに行くしかない、か。

 彼や他の人間のことも気になるが、その龍人とやらのことも気になる。今が街のどの辺りなのかも確かめる必要があるし、どうにかしてデゼルたちと合流しなければ。

 まずは目の前のことに集中して、機を窺うことにしよう。


「案内して、その龍人って人たちのところへ」


 ユウが頷き、先導して廊下へと出て歩き出した。

 今にも崩れてしまいそうな廊下をしばらく進み、階段を上がり、どこかの建物の中へ。ちかちかと差し込んでくる光が見えることからまだ昼間らしい。しかし、あまり時間が経っていないのか、むしろ経ちすぎたのかはわからない。


「あのさ、あたしってどれくらい寝てたの?」

「ん? そんなに時間は経ってない、と思う。太陽が真上に行くより前にあんたを連れてきたはずだ。いまは真上から少し傾いているくらいじゃないかな?」


 と、なると数時間程度の経過かな。ならばデゼルたちはもうあたしを探しているだろう。だがもしかすると、難航しているのかもしれない。


「もうそろそろ着くぞ。一応警戒しておいてくれ。けど、下手なことはしないようにな」


 あたしを一瞥した彼に頷いて、その背中越しに見える広い空間に視線を移した。どうやらそこが目的の場所らしい。


「ようこそ、外からの来訪者よ。人の姿をしたアンスールを宿す者よ」


 ユウが道を開けあたしの隣に立って、ようやく件の龍人の顔を見ることができた。

 本当に、全身鱗で巻角が二本、尻尾が生えていてトカゲのような頭。龍と言われればそうも見える。――猫男であるツァイクーンに育てられた経緯があるから、特段驚くほどの見た目でもない。

 その龍人の周りには人だかりができている。数人は彼と同じ龍人のようだが、他は人間のようだ。人間たちは、見える限りどこかにユウと同じような刻印があり、その見た目も酷似していた。彼らはどこか虚な様子で天を仰ぎ見ている。


「驚かないのだな」

「あー、そりゃ普通の人間なら驚くと思うよ。でもあたし、似たようなのと四年くらい過ごしてたから特には?」

「なるほど。だが、よもや言葉まで通じるとはな。ふむ、興味深い。――ユウ、その女を抑えていろ」


 言葉が通じることに違和感があるの? どういうことだろう。と疑問が浮かんだせいで反応が遅れてしまった。

 隣にいたはずのユウが、あたしを凄まじい力で羽交締めにしてきたのだ。さっきの呑気さ、間抜けさがまるで嘘のような力で。

 刻印が発する拍動が嫌に耳につく。


「すまない、おれはあいつに逆らえないんだ……すまない」

「くっ……剥がせない」

「痛いことはせんよ。少々確かめたいことがあるだけだ」


 龍人はゆっくりとあたしに歩み寄り、そのびっしりと鱗が生えた手をすっと持ち上げる。それはあたしの眼前で止まり、その黒々とした手のひらが視界を覆い尽くした。

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