異端者幻想譚

-ヘレティックファンタジー-
月緋ノア
月緋ノア

『わたし』

公開日時: 2022年10月2日(日) 13:02
文字数:3,919

 リオンとあたしが、同時に駆け出していた。

 その出来事の続きを見ることなく、正面の大扉を潜り抜け、その先へ。王の間までにはもう一度大扉をくぐらなければいけなかったはずだ。

 蹄の足音は何も言わずについてくる。


「セナさん、ごめんなさい。とてもじゃないけど、見ていられなかった」

「わかってる。ねえ、リオン、もしかしてあのズメウが……?」

「そう。――ボクのお父さんなんだ。ズメウの傑物と呼ばれる一人。どうしてこんなことをしているのかわからないけど」


 焦燥と驚愕が入り混じった顔でリオンはそうこぼした。その顔に、先ほどまでの妖艶さは感じられない。

 高鳴る心臓の音に対してひどく落ち着いた呼吸で、彼女は必死に自分の動揺を押さえつけているのが分かった。普段のリオンではこうはいかない。いや、こちらも正しくリオンなのだ。感情の起伏、そこに込められた強さでいえば変わらないのだから。

 リオンはあの時あたしにこう頼み込んだ。


 ――セナさん、お願いがあります。


 眼鏡の奥の瞳に強い色を宿して。


 ――どうか、ズメウを率いる人物と相対する可能性があるなら、最後までボクを連れていってください。必ず、お役に立って見せますから。


 その言葉にあたしは頷き、リオンの手を取ったのだ。

 そして今、その状況が目の前にある。彼女の父親が起こした戦争。その最前線がそこにはあった。

 長い長い間を駆ける間、ズメウには一人として遭遇しなかった。各所から音は聞こえているものの、リオンの父親の後詰はいないらしい。


「お父さんの名前は?」

「? ザガンだけど、どうしてそんなことを?」

「あたしはあの人の名前、知らないから。知ろうともしなかったからかもしれないけれど」


 そう、とリオンは小さく吐き出して前を向きなおした。

 開かれた扉が眼前に迫り、その奥には広大な空間があるのがわかる。あたしの記憶の限りでは数えるほどしか来ていない場所。


「お父さん!」


 リオンが踏み込むと同時に声を上げた。

 レッドカーペットの行き着く果てに玉座があり、その前にはザガンと王がいた。先ほど見た状況と寸分たがわぬ状態で。

 その周囲にはズメウたちが転がっていた。彼らから噴き出している黒々とした煙がまた、陣を宙に浮かび上がらせている。


「リオンか。いいところに来た。見ておくがいい。これが、ファルの王の末路だ」


 その言葉とともにザガンが手に力を入れたようだった。王の顔がみるみるうちにうっ血していくのがこの距離でもわかる。


「――セナ、よくぞ戻った。ハルモニアの解放者よ。その美しい顔を最期に見られて私は嬉しい。ずっと、ずっとこの時を待ちわびていたのだ」

「ふん。――ならば、愛しい娘の前で死んでゆけ」

「はっ……愛しくなど、あるものか」

 

 みしみしと軋む音がして、ごきん、と嫌な音がした。

 王の――あたしの父親の首が変な方向に曲がっている。口からは泡と血をこぼしながら、その目は赤く染まり、瞳はもうどこにもなかった。力なく垂れさがった腕と足が、もうどこにも王の意志が宿っていないことを露わにしている。

 天使を宿す王はあっけなく命の糸を切られた。

 しかしそれほどの衝撃は、ない。

 あたしにとってあの王という父親は、あたしを産み落としただけだから。何の思い出もない。今更どうこう言われようが、何も心に響かないのは、彼が一番わかっていただろうに。

 それでも、いや、考えるのは後にしよう。


「どうして……こんなことを?」

「愚問だな、リオン。……だがお前がその娘とともに帰ってきたのは幸いだった。その娘を連れ去り、お前も我らの下へ帰ってくるがいい。そうすれば先日の件も、賢者たちは不問にするだろう」


 ザガンが王の亡骸から手を放す。それは抵抗なく玉座に座り込んだかと思えば崩れ落ち、床に転がった。

 リオンはぶんぶんと首を振る。


「関係ない。ボクはこの人と生きると決めたんだ。今更父親面するのはお門違い。守ってくれていたことには感謝してるけど、そんな言葉でボクが揺らぐと思っているのなら――」


 頬をなにかが掠めたからか、リオンの言葉のその先を聞くことはできなかった。隣を見ると、リオンがいない。

 振り返ると、彼女ははるか後方に飛ばされていた。身体を起こし、体勢を整えている。


「行け、セナ。あれはオレが止めておく。――お前のことだ、一人のほうがエインヘルを探しやすかろう。それに、今ここでリオンを喪うわけにはいかないだろうからな」


 デゼルがあたしの前を塞いだ。その顔が振り返る。


「必ず戻ってこい。諦めるんじゃないぞ。お前の未来はここを抜けた先にあるんだ。その時は、みんなで穏やかに暮らそう」

「そうだよ、セナさん。みんなで乗り越えて、その先へ行こうよ」


 いつの間にか戻っていたリオンが、砂ぼこりで汚れた顔であたしに微笑みかけた。そして自分の父親をねめつける。


「容赦ないなあ、お父さん。そんなに余裕がないなんて、ボク知らなかったな」

「ほう。耐えるだけでなく、減らず口まで叩けるか。良い目になったな、リオン」

「行って、セナさん。それとごめんなさい、一人にしてしまって」

「ううん、大丈夫。ありがとう、二人とも」


 デゼルの背に触れて、彼の枷を外してあげる。


「悪いな」

「どうか無事で」


 頷く二人を背に王の間を引き返す。


「逃がすと思うか、わたしが」

「あなたの相手はこっちだよ」

「てめえこそ、行かせるわけないだろうが!」


 こだまする力強い声と、あふれ出す彼らの旋律を聴きながら、あたしは走り出した。

 

 ――そういえば、あの日もこんな風に走っていたんだっけ。

 

 王の間の直前に広がる長い長い一見無駄な長い通路。

 決して振り返ることはなく、瞳に涙をいっぱい溜めて。

 それで、どうしたんだっけ。いつものように目を閉じて耳の力を解放させて。


「ふぅ……そうだ。たどってみよう。覚えている限り。過去のあたしを」


 壁を伝って粛々と歩いていく。とめどなく聞こえる喧騒は今も昔も変わらない。うん、あまり変わらないんだ。

 開けた空間に出る。あたしたちが入ってきた最初の大空間。ここでは今も王の間の状況が垂れ流されている。デゼルとリオンが必死に戦い、ザガンを足止めしているのが分かった。それ以外は一度目と変わらない。ほんの少し、喧騒が遠ざかっているくらいだろう。

 喧騒を避けて一つ目の部屋に。

 音の通り方に違和感があった。

 ああ、これはリオンのいた街と同じ感じだ。そこかしこに音が吸い込まれていってうまくつかみ取れない感じ。つまり、ここは既にズメウによって捜索が行われた後であり、何の収穫も得られなかった場所。

 過去のあたしにとってはどうだったろう。――もう、思い出せない。

 誰の部屋だったんだろう。そんなことすら、思い出せない。


「はは、十五年もここにいたのに大した思い出もないなんて、あたしもつくづく生きるのが嫌だったんだなぁ」


 静かな空間にあたしの声だけが響き渡り、あたしの下へと帰ってきた。


「こんな時はいっつも泣いてて。返ってくる自分の声に嫌気がさして。でも泣くことはやめられなくて」


 次の部屋へ。次の廊下へ。上へ。そして城の上階に位置する空中庭園へ。

 湿った空気が頬を掠めていく。

 あたしはズメウたちの焦る声、捜索の声を避けながら、彼らが踏み入った場所をなぞるようにして歩いていた。

 わかったことは、彼らはなにも闇雲に王城に対して破壊を尽くして探しているわけじゃないらしい。そんなことをすれば城そのものの崩壊を招くことは弁えているのだ。だから、破壊を最小限に抑えて、そこに違和感がないかを探しているらしい。――しかし、それなりの人数で探しているはずだ。これだけ探されて見つからないとは。

 瞼を起こした。


「ん……変わらないな。手入れも行き届いているし、どこまでも静か。うん、あたしはここが好きだった。けどいつも人がいたから、たまにしかこれなかったんだ」


 これだけ広い庭園の隅っこにしゃがみこんで、風の音を聞くのが好きだった。

 エメラルドグリーンの空に、雲が流れるのが好きだった。

 鳥のさえずりと、王都を流れる川のせせらぎ、そして太陽の温かな日差し。薄暗い部屋で聞いているよりもずっと心地よかったんだから。

 

「あ……思い出した」


 あの日も、あたしはここを通ったんだ。静かだったからここで過ごそうと思って。でも、誰かの小さな息遣いが聞こえて目を開けたら、ローラン兄さんが隅っこのベンチに座って空を眺めていて。そして、あたしを見つけてこう言ったんだ。


 ――ああ、お前の特等席だったか。すまない。はぁ、俺は奪ってばかりだな、本当に。すぐにどくからそこにいてくれればいい。


 そのどこか穏やかな琥珀の瞳と目が合って、けれど当時のあたしは見られることが怖くて、逃げ出したんだ。

 どうして忘れていたんだろう。どうして、気付かなかったんだろう。あの人は、時折あんな目であたしを見つめていたのだろうか。目を見るのが怖くて、全然気づかなかった。もう、兄さんはどこにもいないのに。

 

「それであたしは――うん。ここだ。間違いない」


 目を瞑って逃げて、わけもわからず風の通り道のあるここを押し開けて中に入ったんだ。

 空中庭園の中心に位置する天使様の像。

 あたしの身長よりも高いその台座。

 その一面が、開くようになっているのだ。知らなければわからないし、もしもの時開けられなくては困るから、誰でも開けられるようにしてあるのだろう。


「そっか。あの時のあたし、兄さんから逃げて偶然ここにたどり着いたんだ。特別な何かがあるわけじゃなくて。でも、この耳があるからたどり着いた」


 ガコンと音を立てて、扉が内側に開いていく。取っ手がないからどうやって閉めるのかはわからない。でも、今はそんなこと関係ない。

 ようやく、あの日の『わたし』に手が届いたのだから。

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