「……ヤシロさん」
ジネットが俺に視線を向ける。
「許してあげてくれませんか?」と、はっきりと顔に書いてある。
……こいつは、まったく…………
「分かった。立て替えの件は了承してもいい」
「ホントッスか!?」
俺の言葉に表情を輝かせたのはウーマロとジネットだった。
ジネットは自分のことのように喜んでいる。……まったく。
「ただし、条件がある」
「じょ、条件…………ッスか?」
「実はな、この食堂をリフォームしてほしいんだが」
この食堂は相当古く、ガタが来過ぎて倒壊寸前だ。
建物全部を建て直したいくらいだが、さすがにそれでは時間がかかり過ぎてしまう。
なので、店舗部分だけでも綺麗にしてもらいたいのだ。
「い、いや、でも…………さすがに、店のリフォームを640Rbと引き換えってのは……」
日本円にして6400円。さすがにそれでリフォームは鬼畜過ぎるか。
……つか、グーズーヤは6400円すら払えないのかよ……そりゃ食い逃げもしたくなるわな。
『精霊の審判』を盾に、6400円で店舗部分の全面改装を申しつけることは可能だろう。「ここで断れば、トルベック工務店からカエルが出たぞと、触れ回ってやる」とでも言えば、ウーマロはすんなりその条件をのむはずだ。
だが。
誠意ある謝罪を『敗北宣言』と勘違いして増長するヤツは三流だ。
俺はそうじゃない。
ここでウーマロに無理難題を押しつけても、得られる利益は一時的なものだろう。
おまけに、「あそこはあくどい食堂だ」という風評まで出回る危険がある。悪者はあくまで食い逃げをしたグーズーヤであり、こちらはそれを許す立場でいなくてはいけない。
欲をかけば、その瞬間こちらが悪者になってしまうのだ。
人は追い詰めてはいけない。
追い詰められた人は凶行に走るものだ…………俺が壊滅させた詐欺組織のボスみたいにな。
知らず、俺は自分の腹をさすっていた。
「さすがに、640Rbでやれなんて言わねぇよ」
謝罪があったのであれば、そこから先は対等に交渉するべきなのだ。
こちらが高圧的に出なくとも、誠意ある謝罪が出来る者は、自然と譲歩してくれるものなのだから。向こうが出来る精一杯を、こちらから要求することなく出してきてくれる。
こちらは手を伸ばさず、手元で受け取るくらいがちょうどいいのだ。
そうすることで、お互いの間に信頼が生まれる。
おかしな話だが、詐欺師に最も必要なのは『信頼』なのだ。
「労働に見合った対価はきっちりと支払う。ただ、少しだけ勉強してくれるとありがたいがな」
「そ、それはもちろん! お安くさせてもらうッス!」
「じゃあ、640Rbは受け取らなくてもいい、よな? ジネット」
「はい!」
不安げな表情で見守っていたジネットは、俺の言葉を聞いて笑顔を取り戻していた。
きっと、俺が無理難題を吹っかけてウーマロたちを苦しめないか不安に思っていたのだろう。
「料金をまけてもらう」くらいは、許容範囲だと安心しているのだ。
「でもヤシロさん……」
ジネットがすすすと、俺の隣まで近付いてきて、こっそりと耳打ちをする。
「リフォームするようなお金、ウチにはありませんよ?」
「あぁ、それなら心配するな。俺に当てがある」
「そうなんですか?」
「ジネットにも協力してもらうことになるが……」
「わたしに出来ることでしたら、なんでもしますよ!」
……女の子が軽々しく「なんでもします」なんて言うんじゃねぇよ。
悪いオジサンに売り払われちまうぞ。
「まぁ、こっちも裕福ではないので最大限オマケしてもらうとして……お前ら全員が一ヶ月間飯の心配をしなくていいようにはしてやるよ」
「一ヶ月っていうと……それが三人分で…………」
と、ウーマロが指を折り計算を始める。
「…………うん。それくらいいただけるなら十分ッス! 本来のリフォームより破格になるッスけど、このバカがご迷惑おかけした分を差し引いて、その条件で引き受けさせてもらうッス!」
「じゃあ、交渉成立ってことで」
「よろしくお願いするッス!」
俺はウーマロと固い握手を交わす。
そして、ここへ来てほとんど口を開いていないグーズーヤに視線を向ける。
「グーズーヤ」
「は、はいっ!」
声は上げたが、視線は上がらず、グーズーヤは俯いたまま体を強張らせていた。
「いい上司を持ったな。あんま迷惑かけんじゃねぇぞ」
「…………はい」
ここまでのことをしたウーマロを、第三者を介して称賛しておく。
これで、ウーマロは自分の行いが無駄ではなかったと確信し、自尊心も保たれ、こちらに対しても「認めてくれた」といういい印象を持つことだろう。
何より、「認めてくれた」相手に対しては「裏切れない」という心理が働くものだ。
店舗のリフォームは、きっと力を入れて取り組んでくれるはずだ。
そして、カチコチのグーズーヤだが……こいつもそろそろ救済してやらないと、壊れてしまいそうだ。
「失った信頼は働くことで取り戻せ」
「…………はい」
「ウチのリフォームで結果を残せよ。頑張れば、きっとジネットからご褒美がもらえるから」
「……え?」
顔を上げたグーズーヤに、俺は視線で「ジネットを見てみろよ」と伝える。
グーズーヤの視線がスライドしジネットへ向かうと、ジネットは弾けるような笑顔で頷いた。
「はい! お仕事期間中のみなさんのお食事は、わたしが腕によりをかけて作らせていただきます!」
そう言った後、気まずそうな顔で俺を見る。
「……と、いうことでいいんですよね?」
「あぁ、そうだな。昼と夜の飯くらいはご馳走してやってもいいんじゃないか」
「ホントッスかっ!?」
ウーマロが歓喜の声を上げる。
その前で、俺はジネットにこっそりと耳打ちをする。
「(……どうせ、食材は余り気味だしな)」
「(はい。ご馳走して、その分頑張ってもらった方が『お得』ですね)」
そう言った後、ジネットはくすくすと笑う。
「なんだか、わたしもヤシロさんみたいになっちゃいましたね」
いいや。
全然甘いけど?
まぁ、そう思っておけばいいさ。
お前が善意でしか人と接することが出来ないのなら、俺がその善意を武器に変えてやる。
謝罪しに来た先で、完全無欠な善意に触れる。
これで、グーズーヤはもちろん、監督責任を負ったウーマロもこちらに恩義を感じ、いい仕事をしてくれるだろう。
それこそがメリットになる。
そして、その先にもう一つおいしいメリットが待っているのだが……まぁ、それはあとのお楽しみだな。
「それじゃあ、いつから工事に入れる?」
「明日は準備をするとして……、明後日からでも始められるッス」
「なら、こちらも休業の準備をしておこう。厨房もやってもらうから、教会への寄付は……」
「はい! 教会で一から作るようにしましょう!」
……いや、中止って言いたかったんだけど…………まぁ、いいか。
「じゃあ、今日のところはこれで失礼するッス!」
「あ、待った」
立ち上がるウーマロたちを呼び止めて、俺は胸ポケットに入れていたグーズーヤの借用書を破り捨てる。
目の前で破り捨てることで、こいつらを信頼した証とする。
「夜道は暗い。気を付けてな」
「ありがとうッス。兄さん、いい人ッスね」
そう言ってウーマロは外へ出て行く。
ヤンボルドとグーズーヤがそれに続き、グーズーヤは店を出る直前に、俺たちに向かって深々と頭を下げた。
ドアが閉まり、本日の営業は終了する。
「うふふ」
ドアに鍵をかけ、ジネットが嬉しそうに笑う。
「どうした?」
「ヤシロさんがいい人だって、ウーマロさん、言ってましたね」
勘違いも甚だしいがな。
「分かってもらえたことが、なんだか嬉しいです」
そう言ってにっこりと笑うジネットが、やっぱり一番のお人好しなんだろうなと、俺は思った。
打算に打算を積み重ねた結果が今の俺だ。
いいヤツなわけがない。
「しばらく店を休むから、常連客に挨拶して回ろう」
「そうですね。折角足を運んでもらったのにお休みだと悪いですし」
いや、リニューアルオープンの日には絶対に来いよという圧力をにこやかにかけに行くだけなのだが……チラシでも作ろうかな。
「ついでに、ゴミ回収ギルドの仕事もしよう」
「そういえば、この前来店してくださった川漁をやっている方が、ギルドに関して聞きたいことがあるとおっしゃってましたよ」
「それから、果物関連と小麦、あと米と砂糖なんかも交渉しに行きたいところだな」
「酪農家さんはどうしますか?」
「牛乳か……そこも行こう」
期せずして時間が出来た。これは有効に使わなければ。
俺は、来るべきリニューアルオープンに向けて、四十二区内を奔走するのだった。
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