「はぁぁぁ……生き返ったッスぅ~」
「じゃあ、さっきまで死んでたんだな?」
「マグダたんがいっぱいいる綺麗な河原が見えたッス」
増やすな増やすな。
どんだけびっくりな三途の川だよ。
普通は綺麗な花畑だろうに……え? 「君は、僕にとって美しい花のようだよ」って? やかましいわ。
「ウーマロさん。あり合わせの物ですが、朝食をお先にどうぞ」
「あぁ、ありがとうッス、店長さん」
薪ストーブに張りつかん勢いで引っ付いているウーマロが、若干の涙目で礼を述べる。
顔を背けたままで。
お前、一回ベルティーナに叱られてこい。
まったく。
「やっぱり、何か保存食くらいは置いておくべきッスよね」
「では、美味しい干し肉の作り方をお教えしましょうか?」
「えっと……出来れば、出来上がった物をいただければ、その方がありがたいッス……」
「でも、覚えておくといざという時に役に立ちますよ?」
「陽だまり亭に来られなくなる時、それがオイラの死ぬ時ッスから」
重いなぁ、お前の寄りかかり方。
マグダが陽だまり亭を辞めるかもしれないし、陽だまり亭が潰れる可能性だってゼロじゃないんだぞ?
その時に死ななかったら、お前カエルにされるぞ?
まぁ、この場には俺とジネットしかいないし油断してんだろうけど。
「で、トラブルはなんとかなったのか?」
「え? あぁ、まぁ……なかなか難しいッスね」
どうやら、解決には至らなかったらしいな。
「けど、今慌ててもしょうがないことッスから、豪雪期が終わったらまた初心を思い出して一から頑張っていくッス」
なんだ?
誰かが大ポカでもやらかしたのか?
それで、得意先を大激怒させたとか……まぁ、さもありなんだな。
どーせ、グーズーヤあたりが慣れから来る思い込み作業で見落としでもしたのだろう。
それで担ぎ出される棟梁も気の毒になぁ。
マグダの水着姿、もっと見ていたかったろうに。
「うふふ」
ウーマロと並んで薪ストーブに当たっていると、ジネットが声を漏らして笑い出した。
なんだ? 笑うポイントなんか、あったか?
「ヤシロさん。心配なら聞いてみたらどうですか?」
「ん?」
「『何があったんだろう?』『大丈夫なのかなぁ?』『何か手伝えることはないかなぁ』ってお顔をされていましたよ」
「照明が暗いのかな? 俺の顔がはっきりと見えていないと見える。ランタン点けるか?」
今は、室内にも光るレンガを使った照明器具が置かれている。
単純な構造で、ランタンのような入れ物に光るレンガを入れているだけだ。
日中は軒先にぶら下げて日の光を吸収させ、日暮れと共に室内へ持ってきて照明にする。
光が邪魔になれば、ランタンごと覆う黒いケースに入れてしまうのだ。
薄暗い中でも光を集める『集光レンガ』よりも、こっちの『蓄光レンガ』の方が光は強い。メインの照明と間接照明くらいの差がある。
おまけに昨日は猛暑日だったから、光るレンガはかなり光っているはずなんだが、どうにもジネットの目には薄暗く見えるようだ。
「もうすぐ日の出ですから、ランタンは必要ありませんよ」
嬉しそうな顔で首を振る。
ふん。
まぁ、豪雪期は日照時間が短いから、夜の照明はランタンに頼ることになるもんな。
油は可能な限り節約するに限る。
「あの、ホント、大したことない話ッスから、わざわざヤシロさんの手を煩わせるほどのこともないんッス」
ウーマロが困り眉毛のまま笑顔を見せ、手を振って明るい声で言う。
「こればっかりは、オイラたちの腕前を示すことでしか巻き返せないようなことッスから、地道に、誠心誠意、一つ一つの仕事に向かい合うだけッス」
単純で当たり前のように聞こえるが、それが一番難しいことだ。
持続させていくとなれば、尚更な。
「そうですね。わたしも、まだまだ失敗ばかりですけれど、お客さん一人一人、すべての方に美味しいと思っていただける料理を、一品一品作っていく。それを心がけています」
「ッスね。お客さん相手の技術職っていう意味では、オイラと店長さんは似た業種ッスから、共感できるッス」
「はい。お揃いですね」
ウーマロの表情が柔らかくなった。
薪ストーブのおかげで室内の温度が上がったからか。
先ほどまでの強張っていた表情が、今は随分と穏やかに見える。
本当に、ちょっとしたミスなのかもな。
まぁ、ウーマロが大丈夫だっつってんだから大丈夫なんだろう。
必要になれば、何かしら言ってくるだろうし。
わざわざ出しゃばってトルベック工務店の内情を引っかき回す必要はないよな。
うん、じゃあもう気にしない。
「くすくす」
俺が少しでも黙るとジネットが笑い出す。
何かを勘違いしてんだろうが、いちいち指摘してやるのもアホくさい。勝手に笑ってろ、ふん。
「じゃあ、ウーマロ」
「なんッスか?」
「その『開店前にもかかわらず提供された特別な朝食』の見返りに、何作ってくれる?」
「もう、ヤシロさん」
ジネットに肩を「さわり」と叩かれる。
叩かれるって表現が適当かは定かではないが。
で、いつものようにウーマロが「これ、そんなとんでもない価値があるんッスか!? っていうか、オイラ、大きな浴室作ったばっかりッスよね!?」みたいなツッコミをしてくるのだろう。
ワンパターンなヤツだ。
……と、思っていたのに、待てど暮らせどツッコミが来ない。
ん?
ウーマロ、寝た?
「そうッスね……じゃあ、いっそのこと、二階のリフォームとか、やっちゃうッスか?」
なんか、眩しいくらいに爽やかな笑顔がこっちを向いていた!?
いやいやいや!
違う違う!
これはボケだから!
ジネットの作った飯も、仮に味が最高でも、値段を付けたら50~60Rb程度だから。
お前、500~600円で二階をリフォームするとか、DIY系動画配信者でもやらねぇぞ、イマドキ。
「冗談を真に受けるな。ちょっと引く」
「そうですよ、ウーマロさん。中庭の屋根とお風呂で十分です。これからしばらくはお釣り分として、ウーマロさんにはサービスしないといけませんね」
「じゃあ、無料の水飲み放題の権利をやろう」
「権利になってませんよ、ヤシロさん」
そんなやり取りの中、ウーマロは俺をジッと見つめて――そりゃジネットの顔を見られないから俺しか見るところないんだろうけど、そんなにじっと見んな――少しだけ眉根を寄せた。
「オイラたちが躍進できたのは、陽だまり亭のリフォームがきっかけだったッスから、もしかしたら初心に返れるかと思ったんッス」
初心……
なんか、やっぱり慢心でもあったのかねぇ。
気にするようなことはないと思うんだが……
まぁ、そういうのは体を動かしていればいつの間にかスッキリと腑に落ちていたりするものだ。
「ウーマロ。お前には大仕事が待ち構えているだろう?」
「なんッスか?」
「大衆浴場だ。港の建設までに完璧に終わらせてくれよ」
「あ……そうッスね。オイラ、粉骨砕身頑張るッス!」
「ま、豪雪期明けからだけどな」
「でも、設計図を煮詰めることは可能ッスよね! ヤシロさんもいるし……あ、ベッコもいるじゃないッスか! むはぁ! そういえばエステラさんもイメルダさんもいるッスね! ……キツネ女もいるみたいッスし、これはもはや合宿ッスね! 大衆浴場合宿ッス!」
えぇ、なにその暑苦しそうな合宿。
つか、合宿って……
お前らはお泊まりかもしんないけど、俺はここ自宅だからな?
「そういえば、大衆浴場ってどこに作る予定なんですか?」
「俺は、街門のそばがいいと思ってるんだ」
「イメルダさんのお家のそばですか?」
そこに大衆浴場があれば、門の外で働いてきた者たちの需要が見込める。
全身汗と泥にまみれて働いてきた者たちが、門を越えてすぐ風呂に入れるってのは随分と魅力的だと思うのだ。
それに、あの辺りなら川も近いし、水汲みも比較的楽に行える。
水道をうまく使えれば経営的にも助かるだろう。
だが、エステラは東側の大通りに近しい場所に作りたいと言っていた。
川からは遠いが、東側には空いている土地があることと、風呂上がりの者たちによる酒の需要を見込んでのことらしい。
あと、街門を使用する者たちが宿泊しているのは四十一区だったりするわけで、風呂上がりで宿まで歩くことを考えると、少しでも近い方がいいのではないかと言っていた。
ただし、東側には川がないので水汲みが大変だ。
その辺は水道をなんとか引っ張ってくるか、水路を新たに設けるか、何か手を考えたいと言っていたが……果たして妙案は出てくるのだろうか。
「オイラ的には、どっちにも作っちゃえばいいと思うッスけどね」
「金と工期が足んねぇよ」
大衆浴場を作るなら、男湯と女湯を作らなければいけない。
俺としては、日本の銭湯や温泉のように同じ建物内で風呂場だけ分ければいいと思ったのだが、それにはエステラをはじめ、イメルダやベルティーナが反対した。
なんでも、風呂上がりの濡れた髪をした男女が同じ建物から出てくるのはあまりよろしくないとか、不特定多数の異性に風呂上がりの姿を見せるのは道徳的に問題があるとか……
じゃあ、陽だまり亭で湯上がり姿をさらしてた女子たちはふしだら娘たちなのか?
まぁ、『不特定多数の』ってところがみそなのだろうな。
帰り道で不特定多数に見られるんじゃね? と言ったら、『同じ建物から出てくること』が問題なのだとか。
中で何をやっているか分からないから、らしいのだが……中にも人はいるだろうが。
そうそう覗きや密会なんか出来ねぇっつの。
そんな簡単に覗きが出来るなら……俺は……俺はぁ…………っ!
と、そんなわけで、大衆浴場は男女別の建物を、ちょっと離れた場所に建てることになりそうだ。
あまりに場所を離すと、不公平だと不平不満が出るだろうと予想できるので、ちょっと離れた位置に作るらしい。
じゃあ、同じ建物でもいいだろうに。
「やっぱ両方はムリだな。三棟を2セットも作れねぇよ」
「ん? 二棟ッスよね?」
「何言ってんだよ。男湯、女湯、混浴の三棟――」
「二棟ですね。完成が楽しみです」
ジネットに遮られたー!
こういうスキルは大抵エステラ経由で覚えてくるのだ。
あのぺったん娘め、余計なことばっかり……がるるるぅ!
「ちなみに、ニュータウンに作るという案もある」
「でも、ニュータウンだと、人通りがそこまで多くないッスよね?」
あぁ。
だからこそ、あえてそこに作ってわざとそこに人が集まるようにするという戦略もあるのだ。
何より。
「新しくてオシャレな街で、大衆浴場まであるとなれば、ニュータウンの地価が上がる! 高級住宅地という認識が刷り込まれれば、……高値で売れる!」
土地は高く売ってナンボだからなぁ!
「確かに、滝があるから、大衆浴場の経営は楽そうッスね」
「そうしたら、ロレッタさんたちが喜びそうですね」
「なんでだ? ロレッタの家には風呂あるよな?」
「あるッスよ」
ロレッタの家は、ニュータウン開発の際に一新され、ウーマロたちが建ててくれた豪華な三棟1セットの豪邸だ。
そこの母屋には弟妹が仲良く入浴できる大きめの風呂が作られている。
さすがに全員一緒というわけにはいかないが、幼い連中を年長組が風呂に入れてやれるくらいの広さはある。
窯で沸かす古いタイプの物だけどな。
「でも、あいつら、ほとんど使ってないんッスよ」
「は? なんでだよ?」
「幼いご弟妹は、川に水浴びに行っちゃうそうですよ」
使ってねぇのかよ、もったいねぇな!?
「主に、ロレッタさんや年長の妹さんたちが利用しているそうです」
「年少の弟たちは、中庭で大きなたらいで丸洗いしてるらしいッス」
あぁ、そういえばそんな光景をチラッと見たような気がする。
……なんてこった。風呂を持っていても使いこなせていないヤツらがいるなんて。
「早く、豪雪期が終わんないッスかね」
薪ストーブの火を見つめながら、ウーマロがぽつりと呟いた。
それは、何気ない言葉のように思えて、俺は何も返事をしなかった。
そんなの、よくあることだしな。
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