三十五区に着くと、チボーは逃げるように馬車を降り、一目散に帰っていった。
馬車の中ではずっと緊張しっぱなしだったし、限界だったんだろう。
馬車から降りて、ルシアの館から出た途端に鱗粉を盛大に撒き散らしていたし……なんか、いろいろ我慢してたんだろうな。
ルシアはなんとも言えない表情をしていたが、特に何かを言うこともなかった。
まぁ、チボーに関しては「三十五区へ帰るならついでに乗っていけ」くらいのことだったので、特に用事もないしな。帰りたいなら帰らせてやればいいのだ。
「そんじゃあ、行くか。ギルベルタを迎えに」
「……ふん。くだらん気を遣うな、カタクチイワシの分際で」
「はて、なんのことやら」
「白々しい……行くぞ、皆の者」
気落ちしていたくせに気落ちしていない素振りを崩さないルシア。
気を遣われているということが気持ち悪いのだろう。少々不機嫌そうに先陣を切って歩き出した。
でもな、気を遣われてるってことに敏感になってるのは、気を遣われる状況に自分がいるって自覚してるからなんだぞ。つまり、気落ちしてますって認めるのと同義だ。
詐欺師を相手に会話する時は、そういう些細な言葉尻を取られないように気を付けた方がいいぞ。情報、ダダ漏れだから。
心持ち足早に歩くルシアを追いかける格好で、俺たちはもはや歩き慣れた感の出始めた道を進む。
次第に花の甘い香りが漂ってきて、俺たちは花園へと足を踏み入れた。
「よぅ! あんたら! またまた会ったなっ!」
「今度こそ! 今日という今日こそ、一杯付き合ってもらいますよっ!」
「お前ら……いっつもここにいるよな? 働けよ」
「「仕事の合間に来てんだよっ!」ですよっ!」
三十五区の花園に着くと、いの一番にカブリエルたちを発見した。
なんだろうな、こいつら。いつ来てもここにいるな。
そして、やたらと目立つ。
「まぁいい。今日はお前たちに用事があるんだ」
「おっ? 俺と飲み比べでもしようってのか?」
「カブさん、めっちゃ蜜強いんですよ? 舐めてかかると痛い目見ますよ?」
「『蜜強い』ってなんだよ……『酒強い』なら分かるけどよ」
「どんなに飲んでも胸焼けしないんですっ!」
「おいおい、よせよ。あんま褒めるな」
褒めてんの、それ?
なんつうか…………女子かっ!?
「とにかく、一杯いこうや!」
「そうだな。じゃあ、俺たちももらおうぜ」
「じゃあ、集めてくるね。ナタリア、あとミリィも、手伝って」
「かしこまりました」
「ぅん。任せて」
触角カチューシャをつけたままのエステラとナタリア。そしてミリィが花園に広がっていく。例のブレンドドリンクを作るための材料を集めに行ったのだ。
ナタリアには、ミリィが付きっきりで教えている。
「へぇ、もうお気に入りがあるのかい? 花園に馴染んでくれて嬉しいぜ」
「けど、まだまだ初心者ですよねぇ。通は、足元にある花を嗜むんですよぉ」
「いや、花の蜜で通とかなりたくねぇし」
俺は、いつだって美味い物を口にしていたい。
「カタクチイワシよ。私は何をすればいいのだ?」
「お前はそこで待ってろよ。またブレンドドリンクを作ってやるから」
「ギルベルタに早く会いたいのだが?」
「じゃあ、先にシラハのところに行ってるか?」
「私に蜜を飲ませない気か!?」
「どっちなんだよ、お前は!?」
触角を揺らして、ルシアが怒りをあらわにしている。
なんだろう……すごく面倒くさい構ってちゃんに絡まれてる気分だ。
「ん?」
「えっ?」
俺たちの会話を聞いて、カブリエルとマルクスが元から面白い顔をさらに面白く歪める。
「…………もしかして…………領主、様?」
「もしかしても何も、まんまルシアだろうが」
「「ぅぇえぇええええええっ!?」」
いや、気付いてなかったのかよっ!?
顔も服も、そのまんまルシアじゃねぇかよ!?
「だ、だって、触角! 触角がっ!」
「アクセサリーだよ!」
触角カチューシャをつけているだけで、正体が分からなかったってのか?
そんなビックリ変身グッズじゃねぇぞ、コレ!?
髭メガネとかなら、まぁ、分からなくもないかもしれないが……
「だ、だだ、だってよ……っ! りょ、りょ、領主様が…………そんな、触角なんて……」
「そ、そそそ、そうですよ! 領主様が、俺ら亜種みたいな格好をなさるなんてっ!?」
なるほど。
領主が亜種のマネなどするはずがないという先入観から、この触角カチューシャ女子がルシアであるわけがないと、脳みそが可能性を除外していたってわけか。
……とんでもねぇな、お前らの思い込み。
「カブリエル。マルクスよ」
「「は、はいっ!」」
「ここでは、そなたらの方が優位であると何度も言っておるだろう。かしこまるな」
「いやいやいや! でもですねっ!?」
「そ、そりゃ、無理ってもんですよ、領主様っ!? だって、いきなりこんな……」
「よい! よいから落ち着け」
「「……は、はぁ」」
ルシアの顔が難しく顰められる。
こりゃ、相当傷付いてるな。
折角触角をつけてお揃いになったってのに、地元の虫人族には距離を置かれてしまう。
やっぱ、領主って怖いんだろうな。
エステラでさえも、正体が分かった後は少し距離を置かれちまったもんな。
まったく。
誰かがお手本でも見せてやらなきゃダメらしいな。
よし。
「おいおい、ルシア。ちょっと拒否られたからって、そんなヘコんだ顔すんなよ。笑え笑え、ほっぺたぷにぃ~」
ルシアの強張ったほっぺたを両手でむにっと掴んで笑顔を作ってやる。
おっ、意外と柔らかい。
さぁこれで、場の空気も温かく……
「カタクチイワシ…………処刑するぞ?」
「……と、まぁ…………ここら辺がギリギリアウトっていう、悪い見本だ」
そ~っと、ほっぺたを摘まんでいた手を離す。
目が、超怖ぇ……
場の空気、極寒だな、おい。
「どうして君は、いつもそう極端に…………まったく、やれやれだね」
凍りついた空間に、エステラが花を持って帰ってくる。
いいタイミングだ。ここで話を有耶無耶にしよう。
「さぁ、飲もうかっ!」
「誤魔化すの下手過ぎんだろ、兄ちゃん」
違っ、だってずっと睨んでんだもん、ルシア。
ここの領主怖ぁ~い。マジ怖い。
「まぁ……そこのアホはやり過ぎではあるが」
怒りの眼差しが、呆れへと変わる。
腕を組んで不機嫌そうに、ルシアは俺を一睨みする。その後で、カブリエルたちへと顔を向けた。
「領主と領民という差はあれど……私たち人間と、そなたら虫人族の間に差などないのだぞ。そのことはゆめゆめ忘れるな」
「虫人族?」
「ふふ……面白いネーミングだろう? ただの種族だ。上も下もない……『亜種』などでは、ないのだ。そなたたちは」
『亜』という言葉には、『劣った』『紛い物の』といったニュアンスが含まれる。
こいつらは、劣った人種ではない。
ただの、一つの人種だ。
「私たちは、同じ世界に生まれ、同じ空を見上げ、同じ風を感じ――同じ美味い物を食えば、等しく笑みを零す」
足元に咲いている花を一つ摘まみ、その蜜を啜る。
微かに濡れた唇に花びらが触れて、小さく揺れる。
「何も違わない。人は、等しく生を受け、等しく尊き時を過ごし……」
静謐な瞳が、俺に向けられる。
濁りのない、どこまでも澄んだ美しい瞳だ。
「平等にカタクチイワシより身分が高い」
「おいこら、そこの領主! 誰が人類の最底辺か!?」
曇りのない眼でなんてこと言いやがる。
純粋な心でそう思ってるのか?
差別が留まるところを知らないな、お前は。
「ふっ…………くくくっ、あははは」
大きく口を開け、これまで見せたこともないような素直な笑顔をあらわにする。
豪快で、開け広げで、イヤミのない。そんなまっすぐな笑い声が花園に響く。
「そなたたちもあれくらい図々しくなれ。出来の悪い『いい例』だ、あれは」
いいのか悪いのか、どっちなんだっつの。
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