「カタクチイワシ。少し顔を貸せ」
弁当が粗方なくなり、理不尽にエステラとベルティーナにお好み焼きと魔獣のフランクを奢らされ、「いえ、あの……別にわたしは何が悪いとかそういうことではなくて……つまり、あの……そ、そういうことはもっと順序を踏んでからというか…………ぅうう、懺悔してください!」と、怒ってんだかなんだか分からんジネットに肉まんを与えて宥め、ようやく一息つけるなと一人で風に当たっているところへ、妙に神妙な顔をしたルシアがやって来た。
……嫌な予感しかしない。
「言っておくが、ハム摩呂の添い寝券はないからな?」
「ないならば作れ! ……だが、今はそういう話ではない」
一瞬、いつものルシアが顔を覗かせたが、すぐにまた領主然とした真面目な表情に戻る。
……なんだよ、気持ち悪いな。
「あのな、そういう真面目な顔をしなきゃいけない話なら、俺じゃなくてエステラに……」
そこで、強制的に言葉を遮られた。
無言で。
静かに。
そっと、手を握られて。
「……そなたにしか、頼めないような話なのだ」
らしくもなく、か弱い少女の表情を見せるルシア。
不覚にも、心臓が大きく波打った。鼓動が徐々に速くなっていく。
な、なんだよ……
ちょっと一人で風に当たろうと、人気のない場所まで来てしまったがために、周りはいやにしんとしている。
遠くから聞こえてくる賑やかな声が、かえってこの場所の静けさを強調している。
静かな、グラウンドの隅で、ルシアと二人。
俺の手には、少しひんやりとするルシアの手が触れている。白く細い指が、遠慮がちに俺の手を掴んでいる。
そんなルシアは俺から目を逸らすように俯いている。まるで恥じらうかのように。
そんな学園青春を、夢見ない男子はいないだろう。
無言の時間が……緊張感を増していく。
「私に、恩を売らせてやろうと言うのだ。素直に受けろ」
「……んだよ、その言い草は」
くそっ。
ちょっと声がうわずって「なんだよ」がちゃんと言えなかった。
そして、意を決したようにルシアは顔を上げ、俺を数秒見つめてから、少々強引に俺の腕を引いて歩き出した。
もはや抗う術はなく、俺は引き摺られるようにルシアの後を追う。
揺れる青い髪が美しく光を反射して、目の前に光の粒をまき散らす。
緊張と強制される早歩きのせいで鼓動が高まり、少し息が上がってきた時、ルシアが前を向いたままでこんなことを言い出した。
「そなたは、メロンパンが大好きなのだ」
「…………あ?」
「そうだな。二つくらいはぺろりと食べてしまえることだろう。まったく、欲張りさんだな、そなたは」
あはは。と、無駄に爽やかな笑いをこぼして、ルシアがぐんぐんとある場所へと近付いていく。
新しいパンの支給を行っているテントへ。
「行商ギルドの代表者はいるか?」
「これはこれは、ルシア様。私がここを取り仕切っております行商ギルド最先端区統括責任者のアッスントです」
「うむ。ではそなたに頼むとしよう」
そう言って、ルシアが俺の腕をぐいっと引っ張って自分の前へと押し出す。
俺が逃げ出さないようにがっしりと腕をホールドして。
「この者がな、メロンパンが大好きだと言って譲らぬのでな、少々分けてやってほしいのだ。そうだな、二つほどあればこの食いしん坊も満足することだろう。いや、なに、男というものはいくつになっても子供よな。はっはっはっ」
ん~……アッスントの笑顔の奥からビッシビシ向けられる「何事ですか、これは?」って視線が痛いなぁ。
俺も聞きたいよ。一体これはなんの茶番なんだ。
「しかし人間とは不思議なもので、そうまで推薦されると影響を受けてしまうのは自然なことだ。そうだな、私も一つもらおうか。あぁ、私は一つでいい。一つで十分だからな。二つも必要とするのはこの男くらいのものだ。まったく、しようのない男だ。あはは」
俺の腕をがっしりと拘束して爽やかな笑いを振りまく三十五区領主。
……おい。いい加減気付けよ。アッスントのあの、「あぁ、そういうことですか。ヤシロさんも災難でしたねぇ。……いや、身から出た錆、でしょうかねぇ。んふふふ……」みたいな顔。
あと、周りに結構な数の領民がいる場所で他所の区の男にベタベタひっついてんじゃねぇよ。お前も一応嫁入り前の貴族だろうが。あらぬ噂が立ちかねないぞ。
たとえばそう――
「こんなに密着しているのにヒジにすら触れないとかな!」
「……折るぞ?」
関節が曲がらない方向へと曲げられようとしている!?
ミシミシって、変な音が聞こえるんですけども!?
身の危険を感じ、アッスントへ視線を送る。
もうなんでもいいから、こいつの気の済むようにしてやってくれ、と。
「では、仲睦まじいお二人に、とっておきのメロンパンを三つご用意しましょう」
「にゃっ、にゃかよきゅなどにゃいわっ!」
「……ルシア、噛み過ぎだ」
「噛んでにゃい!」
「じゃあその『にゃ』はキャラ付けか? 随分可愛い路線に舵を切ったもんだな!?」
「かっ、かわ、可愛いとか、急に言うにゃ!」
「いや、言ってねぇよ」
「言ったにゃっ!」
「……いいからまず『にゃ』をやめろ」
ルシアも、そろそろいい男を見つけた方がいい。
そういう耐性がなさ過ぎる女子を見ると、悪い男にほいほい引っかからないか不安になってくるんだよな……
「ヤシロさんを見ていると、全国の女性に注意喚起をしたくなります……」
ほぅ、どーゆー意味かな、アッスント君?
俺が女を拐かす悪い男だとでも?
バカも休み休み言え!
いいか、悪い男ってのはな、右手と左手で、それぞれ別の女子のおっぱいを揉むようなヤツのことだ!
俺はそんな羨ましいことしたことがないっ!
俺くらい慎ましい男になるとだな、片方のおっぱいを両手で丁寧に丁寧に揉むようになるんだよ! 敬意を表してな!
分かったか!?
「アッスント。俺はな、両手でも溢れるほどのおっぱいが好きなんだ」
「……なぜ今そんな趣味嗜好の暴露を? というか、今さら過ぎてコメントに困ります」
違うだろう!?
「両手で片乳を大切に!? なんて思慮深い!」って感動する場面だろう、そこは!
さてはお前も片手でぞんざいに触る派だな!?
『ながらおっぱい』か!?
なんてヤツだ!
「アッスント。お前の嫁は今どこにいる!?」
「ごほぉーう! ごほごほ! ……な、なぜ、急にウチの妻の話に?」
「文句を言ってやる! 来てないのか?」
「さ……さぁ……ど、どうでしょうか? あまり、目立つのが好きではない女性ですので……あは、あはは……」
そんな控えめな女性のおっぱいを……きっと他の誰にも触れさせない「あなたのためだけ」の貴重なおっぱいを……お前はぞんざいに……っ!
「見損なったぞ、アッスント!」
「よく分かりませんが……おそらく、言いがかりです」
「『ながらおっぱい』とか、サイテーだ!」
「いや、あの……、今のヤシロさんの発言がなかなかにサイテーなのは同意しますが」
「嫁に会わせろー!」
「さぁ、ルシア様! メロンパンです! すごい人気でこれが最後の三個だったのです! 運が良かったですね! さぁ、これを持って早急にお引き取りを! というか、ヤシロさんを早く連れて行ってください! ジャムパンも付けますから!」
メロンパンとジャムパンが入った紙袋をルシアに押しつけて、アッスントが俺たちを追い立てるようにテントから追い出す。
……あいつ、客商売向いてないんじゃねぇの? 感じ悪ぃ~。
来た時と同様に、ルシアに手を引かれてテントの裏へと回る。
ずんずんずんずんと、ルシアは人気のない方へと歩いていく。無言で。前だけを向いて。……怖ぇって。
そして、周りに誰もいない、グラウンドから死角になるような薄暗い雑木林に踏み込むや、ルシアは俺の腕を払いのけ腕を組んで低い声で言い放った。
「貴様の物は私の物だ」
「こんな酷いカツアゲ、生まれて初めてだ」
結局、こいつはメロンパンが二つ欲しかったのだ。
しかし、領主の口からそんなことを言うわけにはいかないと考え、俺をダシに使いやがったというわけだ。
……「メロンパン二つください」くらい普通に言えるだろうが。それが言えないのは不純な使い方をしようとしているからだ。
「で、なんで三つももらったんだよ?」
「一つは食べる用だ!」
「全部食べる用だよ、メロンパンは!」
俺から二つのメロンパンを強奪しようとするルシアに抵抗する。
一個は自分のを使え! 二つありゃ十分だろうが! で、終わったらきちんと全部食え! 責任を持って!
「食い物で遊んだ挙げ句に残すなんざ言語道断だ! 俺はそんなこと認めない!」
「ふん……。分かった、責任を持って平らげると誓おう。……しかし、二つはちと多いか……」
「残ったら俺が食ってやろう!」
「貴様にはやらん!」
「直接おっぱいに触れたメロンパンならいくらでも食える!」
「やらんと言っているだろう!」
メロンパン二つを大切そうに抱えてルシアは足早に去っていった。雑木林の奥深くへ。
……あいつ、あのまま野生に帰るんじゃないだろうな?
「こんな雑木林の中で服を脱いだりしないだろうな、あの領主……」
………………ちょっと様子を見に行こうかな?
いや、違うぞ! 心配だからだぞ、……うへへ。
「……ヤシロ」
「ごめんなさい! 心の中で嘘を吐きました!」
名を呼ばれ、指摘されてもいない自白をしてしまった。
やましい気持ちって、心臓への負荷がハンパないよね、ホント!
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