「……どうしよう、これ」
エステラがげんなりとした表情を浮かべている。
手には落花生の入った袋がしっかりと握られている。
「まぁ、帰ってから近隣住民にでも振る舞ってやればいいだろう」
ルシアは慣れているのか、あまり表情が引き攣っていない。……若干は引き攣ってるんだけどな。
ギルベルタに自分の分の袋も持たせて優雅に路地裏を歩いている。
こんなにもらっても食いきれねぇよ……というくらい手土産を押しつけられるのは迷惑以外の何物でもないのだが、それにしたって――
「このピーナッツ、消化ノルマがあるにしても、無料でこんなに配っていいのか?」
「無料ではないぞ」
「は?」
「忘れたのか、カタクチイワシ。『BU』を通過する商品には、関税がかけられる」
「いや、通過じゃねぇじゃん!?」
なんて連中だ。
勝手に押しつけて、持って帰ろうとするとそれに税をかけるってのか!?
「嫌ならここで平らげて帰るんだな」
「顔中吹き出物だらけになるわ」
ナッツの油を舐めるなよ。
「つまり、捌き切れないくらい購入した商品を押し売りしてるってわけだな」
「売買ではない。あくまで贈与と関税だ」
「結果、一緒じゃねぇか!」
どうせ、『BU』内で作った豆は『BU』加盟区が買い上げて、ノルマと称して領民に消費させているのだろう。区で買い上げた豆に区が関税をかけて、区が税金を受け取る。
結局、金を払わされるのは強引に豆を押しつけられた来訪者だ。
ほら見ろ。押し売りじゃねぇか。
「ねぇヤシロ……君は昔『俺、ナッツが大好きなんだっ!』って言ってなかったっけ?」
「会話記録見せてやろうか? 言ってねぇよ」
実際の重量は大したこともない小袋が、精神的にずしりとのしかかるのだろう。
エステラの足取りはとても重い。
「こいつを陽だまり亭で提供することは可能なのか? 当然、金は取って」
「もらった物を商品として提供するのは問題ないよ」
「んじゃあ、お前のピーナッツももらってやるよ」
「そうだね。そうしてもらった方がこっちも助かるよ。定食の横に山盛りの落花生を添えて提供しておくれよ」
「それじゃ、二十九区と同じじゃねぇか」
陽だまり亭は、客に不快な思いを強要したりはしねぇんだよ。
「ピーナッツバターでも作るさ。もしくは、ハニーローストピーナッツか、ナッツのはちみつ漬けにでもするかな」
「何それ!? 物凄く美味しそうな予感がするんだけど!?」
物凄く食いついてきた。
見るのも嫌ってたくらいの拒否感だったのに。
まぁ、これだけピーナッツを大量に余らせている区で出されるものが、そのままのピーナッツって時点で、たぶん加工品はないんだろうなって思ったけどな。
どれもこれも簡単に作れるから、持って帰って作ってみよう。
商品として提供して、関税分くらいは取り戻さなきゃな。
「ナタリア。君の分もヤシロにあげてくれないかな?」
「えぇ。もちろんです。ただし、完成試食会には是非ご招待いただきたいですね」
「そこは当然だよ! ね、ヤシロ?」
「いや、完成試食会ってなんだよ……」
そんなオーバーなものじゃねぇぞ、ピーナッツバター。
フードプロセッサーがないからちょっと面倒くさいなぁ、くらいの料理とも呼べない加工品だぞ。
「そういうことなら、我々の分も進呈してやる。ありがたく受け取り、私たちとミリィたん、ウェンたん、ハム摩呂たんを招待しろ」
「当日はお泊まりを希望する、遅くなるようなら、私は」
こっちはこっちでわくわくとした目を向けてくる。……言うんじゃなかったかな。
こっそり持って帰ってこっそり作ればよかった。
「あ、そういえば……」
不意にエステラが、路地裏の向こう側――街の南側へと視線を向ける。
「この先って、四十二区なんだよね…………シスターの耳に届いたかもしれないね、今の会話」
「ははっ、心配すんな。……どっちみち匂いを嗅ぎつけて試食会に紛れ込んでくるから、あのシスターは」
ベルティーナ相手に、食い物を隠そうなんて無謀なことはもう考えない。
きちんとあいつの分を確保しておく方が、結果損害が少ないのだ。ベルティーナの曲がったヘソを元に戻すのはかなり骨が折れるからな。
「ふふ……誰かれ構わず甘やかしているようだな、カタクチイワシよ」
「誰がだ。きっちり報酬はもらってるっつうの」
なんらかの形でな。
タダ働きとか奉仕とか、俺がそんなことするわけないだろうが。
なんらかの形で、俺の利益へと還元してやるさ。どんな手を使ってもな!
「ところでエステラ様」
曲がり角の前で、ナタリアがふと立ち止まる。
涼しげな顔でこちらを向いている。
「私としたことが、うっかりインクを切らせてしまいまして……新しく購入したいのですが、よろしいでしょうか?」
「あ、うん。構わないよ。それじゃあ筆屋に行こうか」
「それでしたら、この先になります。ルシア様、回り道をお許しください」
「なに、気にするな。時間ももう少しは余裕があるからな」
太陽は空の天辺に近付いている。
間もなく正午だ。筆屋に寄ってから領主の館に向かえば頃合いだろう。
ナタリアの立ち止まった角を曲がり、入り組んだ道を進むと、くすんだ色の建物があり、入り口に筆をかたどったプレートがぶら下がっていた。
筆屋の店内はこぢんまりとしていながらも、整理が行き届いていて窮屈さは感じなかった。
インクのつんとした匂いが店内に充満しており、文房具屋というより新聞屋のようなイメージを抱かせる。
「いらっしゃい。筆かい? インクかい?」
腰の曲がった婆さんが、カウンターの向こうからぜんまい式のからくり人形のような速度で姿を現す。
壊れかけの店長だな。
「インクをいただきたいのですが」
「他所の人かい?」
近場にあったインクの瓶を取ろうとしていた手を止め、ナタリアの顔を見上げる婆さん。
「じゃあ、ちょっと待ってな」
カウンターを離れ、奥へと引っ込んでいく。
数分後、婆さんは小型の、携帯しやすそうな筒に入ったインクを持って戻ってきた。
「こいつなら、持ち運びに便利じゃし、滅多なことでは零れることもないじゃろう」
「お気遣い、ありがとうございます」
「なぁに。べっぴんさんを見ると、昔の自分を思い出しちまってねぇ。つい親切にしてしまうのさ。ひっひっひっ……」
「『精霊の……』」
「ヤシロ。めっ」
なんだよ、エステラ。その可愛らしい叱り方は、ジネットの真似か?
なんにせよ、客のニーズにあわせて最適な商品を提供してくれる優良な店のようで一安心だ。
もっとも、若干割高な物を勧められているのかもしれないがな。
まぁ、ナタリアが納得しているようだからそれでいい。
「では、私たちはこれで」
「あぁ、ちょいとお待ち」
代金を払い、店を出ようとした俺たちを、婆さんが呼びとめる。
店の入り口までやって来る。お見送りか? ……と、思ったのだが。
「こいつはサービスじゃ。持ってお行き」
――と、ポテトチップスBIGサイズくらいの袋を、『各々』に手渡す。
……まさか、これは…………
「豆じゃ」
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