一夜明けると、世界は白銀に埋まっていた。
……また、今年は一段と降ったな。
寒さで日が昇る前に目覚めたのは去年と一緒か。
「……さて。腹を決めるか」
布団に包まっていたいところだが……この布団じゃ結局まだ寒い。
昨晩はジネットが豪雪期用の分厚い布団を出してくれたのだが、寝る時はまだまだ猛暑の名残りが強く汗ばむほどに暑かった。
おまけに水泳後の倦怠感もあり爆睡した。
故に、寒くなったら布団を追加するなどという高等な技は不可能なのだ。
暑い時は無意識で布団を蹴り飛ばすくせに、寒くなっても無意識ってヤツは布団を引っ張ってきてはくれないのだ。融通の利かないヤツだ。
俺の体温で辛うじてほんのり温かい布団ではもはや寒さは凌げない。
ジネットなら、寒くなったら目を覚まして布団をかけ直してもう一眠りとか出来るのかもしれんが、常人にはムリだ。
おそらく、マグダも俺と同じタイプだろう。
俺は、自分用の分厚い布団を抱えて、部屋を出る。
身を刺すような冷気が廊下に広がっていた。
冷蔵庫の中かよ、ここは。
「うぅ……寒っ」
事前にマグダの了承は得てある。
というか、こういう気候の変化の折には見に行ってやらないとマズいことになる。
「入るぞ」
ドアを開けて、小さな声で告げる。
返事はない。分かりきっていることだ。
ベッドに近付くと、やはり分厚い布団はベッドの下に落ちていた。
おそらく、足下に置いてあった布団を蹴り落としたのだろう。
暑いし、邪魔だからな。
で、薄い猛暑期用の布団だけでは寒いので……はは、去年と同じだな。
マグダはベッドのワラの中に埋まって寝ていた。
「……さむっ……さむい…………埋めて」
まったく同じセリフを言われた。
懐かしさすら感じるな、まったく。
「……雪かき?」
「いや、まだ早い。もう少し眠ってろ」
「……今年は、甘い」
「中庭に屋根も出来たし、朝に急いでやる必要がないんだよ。教会への食料も、もう運んであるしな」
マグダが手伝ってくれて、昨日のうちにストーブの設置も終わっている。
「昨日頑張ってくれたから、今朝はゆっくり寝てていい。今は、布団を掛けに来ただけだ」
言いながら、俺の布団とマグダ用の温かい布団を掛けてやる。
「重くないか?」
「……温かい」
「そか」
マグダの頭をぽんっと叩いて、早々に部屋を退散する。
まだ眠たいだろうからな。
「じゃ、ストーブが温まったら呼びに来るよ」
「……ヤシロ」
部屋を出ようとしたところで、マグダに呼ばれる。
振り返れば、布団から顔の半分だけを出して、マグダがこちらを見ていた。
「……マグダは、もう平気だから」
去年のことを思って俺が優しくしていると思ったのだろう。そんな弁明を寄越してきた。
「あぁ。分かってるよ」
お前が大丈夫だというのなら信じるさ。
別にお前に気を遣って優しくしているわけじゃない。
これは、そうだな……
「寝起きのマグダは可愛いとジネットが言っていたからな。二度寝させれば、二回楽しめてお得だろ?」
「……ふむ。それは一理ある」
あるかっつの。
「……そういうことなら、……また、あとで起こしに来ても、いい……」
ワラの音をさせて、マグダが布団に潜る。
さて、さっさとストーブを点けに行くかね。寒くて仕方ない。
俺は布団には包まってないからな。
マグダの部屋を出て、足早に廊下を歩く。中庭に降りる階段の前まで来たところでジネットの部屋のドアが開いた。
「おはようございます」
挨拶をするジネットの口から漏れた息が一瞬で真っ白く染まる。
相当寒いんだな。視覚で確認すると身に沁みるようだ。
「今年も早いな」
「いえ、お寝坊さんですよ」
まだ寝間着だからな。
「今年の雪かきは飯の後にするんだろ? まだ寝ててもいいぞ」
「いいえ。寝ぼけヤシロさんを見る折角のチャンスですから」
なんだよ、そのなんの価値もないチャンスは。
「今は俺の方がシャキッとしてるだろうが」
「いいえ」
嬉しそうに笑って、肩に羽織ったストールの前をしっかりと握って腕を伸ばしてくる。
頬の横を通り過ぎ、耳の横を通過して、ジネットの指先が俺の髪を摘まむ。
「寝癖さんです」
「……寝癖にまで『さん』をつけるな」
「寝癖ちゃんです」
「そうじゃねぇよ……」
腕を伸ばして頭頂部の寝癖をつんつん突き倒すジネット。
そんなもん、いくら突いても直らねぇぞ?
えぇい、こしょばゆい。
「薪ストーブに火を入れてくるから、もうちょっとしたら降りてこいよ」
「いえ、一緒に行きます」
「お前、寝間着じゃん」
「ヤシロさんも寝間着ですよね?」
「俺は、他所行きの寝間着だから」
「寝間着でどちらへ行かれる予定なんですか?」
くすくすと笑うジネット。
俺は、朝のこのくそ寒い時間に服を着替えなくていいように、ちょっと柔らかめの普段着を着て寝たのだ。
これが効率的というものだよ。
「実はですね……」
寒そうにストールの前を合わせて、ジネットが頬を緩めて、白い息を吐きながら語る。
「幼い頃は、わたしはお寝坊さんで、豪雪期の雪かきもわたしが起きる頃にはすっかり終わっていたんです」
「パワフルな祖父さんだな……」
「はい。今思えばそうですね。ですが、幼い頃はそれが当たり前のことだと思っていまして、わたしは寝ぼけ眼のまま雪かきの終わった道を『わぁ~キレイだなぁ~』なんてのんきに考えながら歩いて、厨房へ向かうんです」
今からは考えられないような、朝寝坊するジネットの話。
すっげぇ寒いんだけど、不思議ともう少し聞いていたくなる。
「そうしたら、食堂では薪ストーブが焚かれていて、すごく温かくて、お祖父さんが『おはよう』って言いながら温かいミルクを差し出してくれたんです。それを思い出して、ちょっと懐かしい気分なんです、今」
今、俺がマグダのためにやろうとしているようなことを、ジネットの祖父さんはジネットのためにやっていたんだな。
気持ちは分かるよ。
「正式にここの子になる以前から、豪雪期には泊まりに来ていたんです。お手伝いをしようって。けど、……ふふ、結局お祖父さんがみんなやっちゃうんです」
それがなんだか嬉しくて、そんな祖父さんがジネットは好きだったのだろう。
「全然お手伝いできてませんでした」
「いや、手伝いになってたと思うぞ」
今の俺もそうなんだが。
「お前がいるから、早くストーブを点けてやろうって、朝から雪かきを頑張れたんだよ、きっと」
そうでなきゃ、こんな雪に埋もれたくそ寒い日は午後まで寝ているところだ。
「お前がいたから、祖父さん、雪かきですら楽しんでたと思うぞ」
「……わたしが、いるから」
驚いたような顔をして、少しだけ寂しそうに眼を細めて、そしてにっこりと笑う。
「なら、よかったです」
祖父さんの力になれていた。
それは、幼いジネットにとっては何よりも嬉しくて誇らしいことだろう。
「今年は久しぶりに、雪かきをせずに厨房まで行けますね。あの頃と同じです」
ウーマロが付けてくれた屋根のおかげで、厨房までの道は出来ている。
寝間着姿のまま、寝ぼけ眼で厨房へ行くことは可能だろう。
「じゃあ、もうちょっと寝てろよ。薪ストーブ焚いてきてやるから」
そうしたら、もっと近付くだろう、あの頃に。
今日くらい、甘えたっていいんじゃないか。と、そう思ったんだが。
「いいえ。わたしはもう大人ですから、お部屋を暖かくして待っている立場なんです」
これは、いくら言っても引き下がらないだろう。
バカだなぁ。今行っても寒いだけなのに。
「なんなら、ヤシロさんがもう一眠りしてきても構いませんよ?」
……あぁ、なるほどね。
こんな気持ちなわけか。
こっちがよかれと思って言ったことでも、そうか、こういう気持ちになるのか。
よく分かったよ。
「遠慮しとく。布団はマグダに貸してやったし、こう寒くちゃ眠れる気がしない。それに……ジネットの寝間着姿はレアだからもうちょっと見てたいしな」
「レ、レアだなんて……こんなもの、なんの価値もありませんよ?」
「ん? じゃあ、箔が付くように拝もうか?」
「やめてください。……もう」
ぺしりと、撫でるように二の腕を叩かれる。
どちらも譲る気がないなら、さっさと下に降りて薪ストーブを焚いてしまおう。
どっちが先でもいいから、とにかく早く温まりたい。
「俺が薪ストーブやるから、ジネットは温かい飲み物を頼めるか?」
「はい。任せてください」
役割分担をして、二人揃って階段に出る。
「ぅおうっ!」
「きゃっ!?」
氷で殴られたのかと思うような寒風が全身に襲いかかってきた。
この街の人間にどんな恨みがあるんだよ、精霊神……寒過ぎる。
『加減』とか『適度』って言葉を知らないのか?
「ヤシロさん。階段に雪が積もってませんよ」
俺に言わせれば「最低限それくらいは当たり前に対処しとけよ」って事案なんだが、つい先日まで野ざらし状態だった階段に雪が積もっていないという事実は、ちょっとした感動を俺たちに与えた。
足下に気を付ける必要もなく、滑る心配も、足を踏み外す心配もない階段を降りていく。
地面が見えている。
陽だまり亭の壁に沿うように、雪のない道が出来ている。
屋根、すげぇ!
「例年なら、一時間くらいかかってようやく中に入れるんですよ。去年はもう少し時間が短縮されていましたけどね」
「そうだっけ? 五時間くらいかかってなかったか?」
「そんなにはかかってませんよ。ロレッタさんたちも手伝いに来てくださいましたし」
あぁ、そうだったそうだった。
ハムっ子が来てくれたからあっという間に道が出来たんだ。
で、俺はその間にかんじきとか作ってたんだっけな。
「今年は楽々です」
「ってことは、教会にふわふわのパンを教えておいてよかったってことか?」
中庭の屋根は、ふわふわのアンパンと引き替えに得た権利によって作られたのだ。
「うふふ。そうかもしれませんね。では、パンの作り方を教えてくださったヤシロさんと、屋根を作ってくださったウーマロさんと、引き合わせてくださった精霊神様に感謝をしましょう」
「精霊神にはいらないだろう……」
教会は「知ってる者は教えろ!」的な上から目線で技術だけを『寄付』として強奪していっただけじゃねぇか。
それで、パンの売り上げが爆上がりして利益を上げてんだろ?
司祭や大司教がウハウハしてんじゃねぇのか、今頃。
「今年の豪雪期の保存食は豪華なんだぜ、きっと」
「教会の司祭様やシスターはそのような贅沢をされませんよ」
「どーだか」
信者に隠れて酒に肉に金銀財宝、なんでも手に入れて欲に溺れてるかもしれないぞ~。
「そういえば……」
厨房へ続く廊下に入るドアの手前で、ジネットがふと足を止める。
……いや、だからさ。考え事とか、思い出すのとか、中に入ってからにしないか? 風が寒いんだけど?
「ウーマロさん、今日、来られるでしょうか?」
「来るだろう。さぁ、入ろう」
「いえ、でも、昨日は結局戻ってこられませんでしたし。御夕飯、きちんと食べられたのか心配で……」
お前はウーマロの母親か。
あいつもいい大人なんだ。陽だまり亭で食えなかったからって飯を抜くようなことはしてねぇよ。
「きっと、保存食でも齧ってたと思うぞ。最低限の蓄えくらいはしているだろうし」
いくら豪雪期に陽だまり亭に泊まり込む予定だからといって、なんの準備もしていないとは考えにくい。
あれでも一つの組織をまとめ上げるリーダーだ。
それくらいの計画性は持ち合わせてるだろうよ。
そんなことを考えつつ、なんとな~く嫌な予感がして、薪ストーブに火を入れる前に念のために陽だまり亭の正面玄関を開けてみたら――
『マグダたん……』
雪の上にダイイングメッセージを残して、一人のキツネ顔の男が行き倒れていた。
それも去年見たわ!
つか、ジネットの予想が大当たりで、トラブルに見舞われてあれこれ奔走しているうちに夜になり、家の中を探したが食い物など蓄えてもいなかったウーマロはあまりの空腹に耐えかねて日も昇らないうちに陽だまり亭へと赴き、寒さと空腹によって意識を失い行き倒れていたらしい。
だから、無意識で『マグダたん……』って書くなっつぅのに。
ウーマロを中に引き摺り込んで、大至急薪ストーブに火を入れる。
温かいミルクを飲みながら薪ストーブが温まるのをのんびり眺めようとしていたジネットは「ウーマロさんの前でこんな格好は出来ませんね」と、さっさと着替えに戻ってしまった。
あ~ぁ。ウーマロ、あとで謝っとけよ。
というか……
ウーマロには見せられない寝間着姿、俺には見せられるんだな。
その線引きは……きっと、従業員か否かってところだろうな、きっと。うん。
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