「なぁ。なんか、顔赤くないか?」
「――っ!?」
目の前に、ヤシロ様の顔がありました。
私としたことが、柄にもなくセンチメンタルに浸ってしまっていたのでしょうか……接近に気付きませんでした。
……ヤシロ様だから、油断したのでしょうか…………
「お前さ、もしかして熱あるんじゃないのか?」
心配そうな顔をして、ヤシロ様が私のおでこに、手を……置きました。
「――っ!?」
……あぁ、やはり油断していたのでしょうね。
これは……非常事態です。
瞳孔が開く感覚というものを感じています。
全身から汗が噴き出して、心臓がおかしいくらいに収縮して、呼吸が……苦しい。
あの時と同じ……
あの時……私がほんの少しとはいえ、ヤシロ様に心を開いた時と……
「ちょっと動くなよ」
そして、あの時と同じように、頬に手を添えて下まぶたを下に引き下げる……
ジッと、私の目を覗き込んで、見つめる。
ヤシロ様。私は、以前も言いましたよね。
「頬に触れたりなどするから、キスをされるのかと思いました」と。
どうして、今、再び同じことをするのですか?
そして、どうして、今、再び同じことを思わせるのですか。
……あの時よりも、はるかに心を開け広げてしまった私に対して。
「お前、やっぱちょっと熱あるな。解熱剤持ってきてやろうか?」
「解熱剤はいらないので、消毒液をください」
「……お前、前にもそんなこと言ってなかったか?」
仕方がないじゃないですか。
そうでも言わなければ、あなたはずっと優しくするでしょう?
私を心配して、守るような視線を向けてくるでしょう?
そんなことをされたら、――甘えたくなるじゃないですか。
私は、あなたがそうであろうと思っているほど、強くはないのですよ。
今すぐにでもあなたの胸に飛び込んで、わがままを言いたいのですよ。
「私を思い出してください」と。
「名前を呼んでください」と。
そして――
「その気にさせたのなら、きちんと責任を取って……キス、してください」と。
私の油断は、願望から来ているのかもしれません。
油断したから接近を許したのではなく……接触を許したのではなく……
そうしてほしいから、警戒心を解いていたのかもしれませんよ。
多少強引にでもいい。
紳士的にスマートにでもいい。
恋も知らない少年のようにぎこちなくでもいい。
あなたに、抱きしめてほしいのです。
けれど、そんなこと、言えないじゃないですか。
だから、ふざけたことを口にするのですよ、私は。
あなたを呆れさせるような言葉を探すのですよ、私は。
私は給仕長。
人を支え、サポートする者。
私が支えられていては、いい笑い者じゃないですか。
「熱は大丈夫です」
「ホントだろうな?」
「『精霊の審判』を使用されますか?」
「はは。ねーよ」
こうして、信頼を向けてもらえるのも、私が給仕として忠実に職務をこなすから。
ヤシロ様が私に求めるものは……的確に仕事をこなすスキルと思慮。
それ以外のものなど……
「たまには息抜きもしろよ。俺でよかったら、付き合うからよ」
「…………」
あなたは、本当に……
「……私を、ダメにしたいのですか?」
どうしてそんなに優しくするのですか。
あなたが分かりません。
「私は、忠実に仕事をこなすことでのみ存在意義を見出せるのです。遊んでなど……」
「存在意義なんて、いくらでもあんだろうが」
おのれを否定しようとした私の言葉を遮り、ヤシロ様はこんな言葉を……私にくださいました。
「俺はお前といると楽しい。それだけで、十分意義あるじゃねぇか」
……あぁ、ダメになる。
どんなに瀬戸際で踏ん張っても、この人には敵わない。
いいんですか、それで?
私、甘え方とか、よく知りませんので、きっと下手ですよ?
止め時も分からず、際限なく甘えてしまいますよ?
「あまり優しくしないでください。……甘えたくなります」
ほら、もうすでに抑えが効かなくなってきているじゃないですか。
あなたに構ってほしい。
気にかけてほしいって、そんな見え透いた下心が言葉の端々に滲み出しているじゃないですか。
そして、察しのいいあなたはそれに気付いて……
「いいじゃねぇか、甘えりゃ」
……そう言ってくれる。
私を、受け止めてくれる…………
「たまには思いっきり甘えてみろよ」
だから、私はダメになる。
今、もし甘えてしまったら…………後戻り、出来なくなる。
とす……っと、ヤシロ様の肩に頭を載せる。
あぁ……ヤシロ様の体温がおでこから伝わってくる。
ゆっくりと、後頭部をぽんぽんと、二度叩かれる。
……溢れ出す。
影であるべきサポート役が、舞台の中央にしゃしゃり出ていくような……滑稽な結末を迎えてしまおうとも、……もう、止められない。
ヤシロ様……私を、見てください。
「私を、思い出してください……」
どんな言葉でもいい…………私だけに、語りかけてください。
「私の名前を……呼んでください」
そして……もし、叶うのなら……
私をその気にさせたのなら、きちんと責任を取って……キスを…………
「……ナタリア」
「――っ!?」
私を思い出して……名を呼んで……
「不安にさせて悪かったな。ちゃんと、思い出したから、もう心配すんな」
……あぁ。
やっぱり敵わない。
ここぞという時に、必ず結果を残す……
私を、思い出してくれたんですね……
私の名を……また、呼んでくれましたね。
私が、そう望んだ通りに……
私は柄にもなく、有頂天になり……少し大胆になる。
ヤシロ様の唇を……私の…………唇に…………
ぼんっ!
「熱っ!?」
思わずでしょう。ヤシロ様が私の頭を払いのけました。
ぽ~んと払われ、くるくるーと回転し、地面へとくずおれる。
…………ない。
それはないです、私。
無理です、無理。
想像しただけで体温が十度くらい急上昇した気分です。
キスなんてしたら…………
「むぁぁぁあああっ!」
「どうした、ナタリア!?」
致し方なし! これは、致し方のないこと。
いくらなんでも順序を飛ばし過ぎです。
ただの影だった私を、陽だまりの中に連れ出してくれた。私のこともちゃんと見ていてくれた。
それだけでいいじゃないですか。
それを独占しようなどと…………
物事には順番があるのです。
手順を踏むべきなのです……
ですから……
「ヤシロ様……」
「なんだ?」
「交換日記をいたしましょう!」
「……えっと、メンドイから、パス」
あぁ……その呆れたような顔…………悔しいかな、落ち着きます。
ふと見ると、ヤシロ様の足元に小さな種が転がっていました。
魔草の種でしょうか。
……ふふ。これで、私のことはもう、忘れない。
そうですね。今回は、それで満足いたしましょう。
だから最後に一言だけ。
「ぺったんこー!」
「だから、なんで煽んだって!?」
……不甲斐ない自分への苛立ちを八つ当たりに変えて、エステラ様のいる執務室へと叩き込んでおきました。
それでヤシロ様がいつものように笑ってくださるなら……今は、それで満足なのです。
今は――
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