三十区の街門へ赴き、詰め所に待機していた騎士に話を付ける。
他区の人間が相手なので、エステラを前に出す。
「――というわけで、オルキオは一度三十五区へ戻ることになったんだ」
「なるほど。統括裁判所が……ということは、ついに決まるのですね? オルキオ様が……」
「うん。間違いなく、彼が領主代行として着任することになるよ」
「そうですか。……それは、よかった」
騎士の表情を見るに、オルキオは本当にここの連中の心を掴んでいるらしい。
……というか、ウィシャートからどんだけ酷い扱いを受けてたんだって感じか。
「それで、すまないんだけど、他の騎士へこのことを言付けてほしいんだ」
「そういうことでしたら、お任せください」
エステラが騎士に事情を説明し、オルキオと約束を交わしていた騎士たちへの説明を依頼している。
「あの、よろしいでしょうか、エステラ姉様」
「ん? どうしたんだい、カンパニュラ」
エステラに声をかけ、カンパニュラが騎士の前へ進み出る。
「ご機嫌よう、ミスター・オードボー。お忙しいところ、お邪魔いたしますね」
スカートの裾を摘まんで持ち上げ、優雅に礼をしてみせるカンパニュラ。
騎士は慌てた様子で背筋を伸ばし、敬礼をする。
ガッシャと、鎧と槍が音を立てる。
「な、名を覚えていただけていたとはっ! 光栄であります、カンパニュラ様!」
「一度伺ったお名前は忘れません。皆様、私にとって、とても大切な領民ですもの」
「カンパ……ニュラ、様っ!」
騎士の両目に涙が浮かぶ。
「それで、きっと明日を楽しみにされていた方が多くいると思いまして。彼らと直接お話させていただくことは可能でしょうか?」
「し、しかしながらっ、門兵の中には雇われの者もおります! 領主様にお目通りさせられるような、礼儀の行き届いた者ばかりではありませんで……」
「そんなこと、気になさらないでください。私も、まだまだ半人前にも満たない見習いの身です。これから共に勉強をしていきましょうね」
「ぐっ……なんとお優しいっ!」
騎士が顔を両手で覆い隠して泣き出した。
いや、泣き方可愛いなっ!?
「えーん、えーん……」
泣き声も可愛いな、オッサン!?
「泣かないでください。私は、皆様にはいつも笑顔でいていただきたいと思っているのですよ?」
「はい! もちろんでありばずっ! 笑顔、でじゅっ!」
鼻水をぐっじゅぐじゅ言わせて、騎士が顔を上げ、涙で濡れる顔に笑みを浮かべる。
うっわ、オッサンの泣き笑い、怖っ!
「それでは、明日、四十二区へ向かう予定であった者たちを一室に集めます。皆様はしばしこちらでお待ちください!」
ガッとカカトを鳴らして敬礼をしてから、騎士が控え室を出て行った。
「なぁ、エステラ。ここの騎士ってのは貴族じゃないよな?」
「え? そりゃそうさ。騎士は騎士だよ」
日本じゃ……って、日本で騎士ってのもどうかと思うが……ナイトってのは、貴族がなるものだ。
武器や馬も自費で用意するから、貴族でなきゃ到底金が足りない。
貴族じゃない連中は兵士と呼ばれていた。
ま、ローマ時代の騎士は裕福な市民がなるものだったらしいし、騎士=貴族と決まっているわけではない。
ある部分だけを切り取ってみれば、騎士とは馬に跨がる兵士を指す言葉であり、それ以上でも以下でもないって解釈も出来る。
とにかく、この街、この国において騎士とは貴族ではない。
だから、騎士の中には獣人族がいるんだろうな。
ウィシャートの館に詰めていた騎士どもはみんな人間だったけどな。
「あんまり領民に気を遣い過ぎると疲れちゃうよ」
「私がそうしたいと思ってそうしているので、これは私のわがままです」
「ま、ボクも他人のことは言えないけどね」
「はい。エステラ姉様は誰よりも領民に優しい領主で、私の目標でもあります」
領主と領主候補が楽しそうに会話している。
お前らはどっちも甘過ぎるんだっつーの。
「もし、領民と自分の命が天秤にかけられたとしても、お前らは進んで領民を助けそうだよな」
「それは、最高のシチュエーションだね」
嬉しそうに、エステラが言う。
「ボクの命で領民が救われるなら、ボクは喜んでこの身を差し出すよ。憧れの最期の一つだよ。一番は、愛する家族に見守られてふかふかのベッドで天寿を全うすることだけど」
「私も、エステラ姉様にはそういう最期を迎えてほしいです。その時は、私もベッドの隣に呼んでくださいね」
「ありがと、カンパニュラ」
ダメだ、こいつら。
「じゃあ、領民と自分の家族だったらどうだ?」
家族が大好きなカンパニュラに、ちょっと意地悪な質問を投げる。
こいつなら、何がなんでも全部を守るとか言いそうだが。
「もしそのような状況になったなら、ヤーくんを頼ります」
「俺?」
「はい。ヤーくんでしたら、きっとみんなが幸せになれる結末を示してくださると信じていますから」
「信じんな、そんなもん」
「ヤシロ。信じる者は救われるって言葉、知ってるかい?」
「ふん! 俺の利用料は高ぇぞ?」
「もし仮に、それで財政破綻をするとしても、私はヤーくんを頼ります」
はぁ……
ダメだ。
こいつはいつかあくどい詐欺に引っかかるな。
今からしっかりと鍛えてやらなければ。
…………いや、違うぞ?
崖を挟んでいるとはいえ、隣の区だからな?
隣がゴタつくとその影響がモロに来ちまうから、そーゆーの迷惑だしな?
つまりそーゆーことだ。
「エステラ。ちゃんと面倒見てやれよ」
「どうしてボクに言うのさ? 未来の領主様直々にご指名された君がさ」
「こんな大悪党を未来ある若い領主に近付けて平気なのか、お前は? 酷いヤツだな。ジネットの時は監視してたくせに」
「監視は現在も続行中なのでご心配なく。カンパニュラに何かしようものなら、すぐ各方面に密告に行くから」
チクり魔め。
ちっ。ほんの一瞬で面倒くさそうな顔が複数脳裏に浮かんできたわ。
あ~ぁ、厄介だ。
「カンパニュラ様。準備が整いました。皆様も、こちらへどうぞ」
騎士が呼びに来て、別室へと案内される。
「あの、私はまだ領主ではないので『様』は……」
「我々の心は、すでにカンパニュラ様と共にございます」
「いえ、ですが……」
「お足下、お気を付けください、カンパニュラ様」
「……ありがとう、ございます」
「ま、受け取っておきなよ、カンパニュラ。みんなに好かれる領主っていうのは、なろうと思ってなれるものじゃない。君を慕う彼も、幸せそうな顔をしているだろう?」
「それは……はい。エステラ姉様のお言葉、心に留めておきます」
まだ素直には飲み込めないか。
でもまぁ大丈夫だ。
領民と同じ目線で、時折見下されるようなフラットな領主もいる。
カンパニュラは、そっちを目指せばいい。
「けど、肉体的フラットまでは見習うなよ☆」
「ナタリア、ドア締めて。ソレが入る前に」
「待て待て待て! 俺も入れろよ!」
「ヤシロ様。……面白かったです」
「ナタリアも外で待機してるかい?」
俺とナタリアを廊下へ追い出そうとするエステラ。
なんて領主だ。差別だ、差別! 人権を蹂躙されてるぞ、今!
ドアをこじ開け部屋へ入ると、狭い部屋にむさい男がずらりと並んでいた。
デカい耳を生やした男や、全身毛むくじゃらの男。「どうなってんだ?」ってくらいに筋肉の盛り上がった男に、下半身が馬みたいになっている「よく二足歩行できるな」って男まで。
男、男、男、男だ。
「汗クサ!?」
「そんなことありませんよ、ヤーくん」
「視覚的汗臭さが酷いな、この絵面は」
「では、嗅覚的には問題はないということですね。皆様、冗談だそうですのでお気になさらないでくださいね」
カンパニュラが兵士たちに向かって言う。
どっから騎士で、どっからが兵士なのか、俺には見分けが付かない。
「ナタリア。騎士と兵士の違いってなんだ?」
「領主が直接雇用しているのが騎士で、騎士団が人員不足や戦力強化のために雇い入れている者たちを兵士と呼んでいます」
なるほど。
分かりやすい。
会社が直接雇用する正社員と、派遣会社が間に入る派遣社員みたいな違いか。
「あとは、短期で見回りや警備をさせる短期契約の者も兵士と分類されます」
アルバイトもいた。
で、騎士も兵士もまとめて『門兵』って呼んでんのか。
「門兵の皆様、お勤めご苦労様です」
「「「はっ!」」」
「……あの、もっとリラックスしてください、……ね?」
「「「うっわ、可愛っ!」」」
「貴様らっ! カンパニュラ様の御前であるぞ! 黙って話を聞けぃ!」
「「「はっ!」」」
うわぁ。暑苦しい。
「皆様のお耳にも、間もなく入るでしょうが、オルキオ様がこの三十区の領主代行に任命されることとなりました」
「「「おおぉっ!」」」
反応はいいな。
オルキオは、直接雇用じゃない兵士連中の心もがっちり掴んでるようだ。
「つきまして、お約束があった明日の予定に関してなのですが――」
オルキオが忙しくなったから中止。
門兵の誰もがそう確信したような顔をしていた。
「――オルキオ様に代わって、私が皆様をご案内差し上げたいと思いますが、いかがでしょうか?」
「「「えっ!?」」」
門兵が全員驚いている。
俺もビックリだ。
まさか、そっちに行くとは。
「次女姉様と三女姉様が、明日は私とテレサさんの分まで働いてくださるとおっしゃってくれました。そのご厚意に甘え、私とテレサさんが皆様をご案内し、四十二区での素敵な思い出作りのお手伝いをさせていただきたいと思います」
エステラを見れば――「ま、言っちゃったものはしょうがないね」みたいな顔で肩をすくめていた。
まぁ、出店の売り子はハムっ子がいれば回るけどさ。
「大丈夫か? こういうオッサンどもは、群れで遠出とかすると、問題を起こすヤツとか出てくるぞ? お前のことを襲うヤツも出てくるかもしれん」
「大丈夫です。私は皆様を信頼していますし、何より――」
言いながら、テレサの背に手を添え、門兵たちの前へ立たせる。
「――私には頼もしい給仕長がついていますから」
「あーし、つぉいぉ! かにぱんしゃに、わぅいこと、しちゃ、めっ、だからね!」
腰に手を当てて門兵に睨みを利かせる給仕長。
まぁ、言うまでもないだろうが……
「「「か、かわえぇぇなぁぁ……、もう!」」」
門兵全員の表情筋が融解してたよね。
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