「さて、それじゃあボクたちも戻ろうか」
リカルドとイメルダという、立場的なライバルたちに快勝して上機嫌なエステラが、騎馬に指示を出す。
「よろしいのですか?」
ナタリアが俺を見ながらエステラに問う。
俺たちの騎馬は無傷だ。
それを放置しておいていいのかと、ナタリアは聞いているのだ。
「一回保護すると約束したからね。今回は見逃してあげるよ」
にこにこと、機嫌よさげにエステラが言う。
そして、上機嫌なままジネットにウィンクを飛ばす。
「でも、この次出会ったらその時は覚悟しておいてね、ジネットちゃん」
「は、はい。エステラさんも、ご武運を」
「あはは。ありがとー」
エステラが手を振り、それを受けて方向を変える騎馬。
こちらに背を向けてゆっくりとエステラたちの騎馬が動き出す。
そのタイミングで――
「えい」
俺は騎馬後方の選手にヒザかっくんを喰らわせる。
騎馬を構成する三名の内、左後方の選手が体勢を崩す。
エステラのバランスが崩れ、ナタリアが驚きの表情でこちらへと振り返る。
経験がないだろうか。
手を繋いでいる者がバランスを崩した時にそちらを向いたせいで引きずり込まれて一緒に転んでしまった。そんな経験が。
手を繋いでいる者が自分とは逆方向へバランスを崩した時は、素早く手を離すか、反対方向へ体を捻って肩を持ち上げなければ自分もまたバランスを崩してしまうのだ。
しかし今回、ナタリアは給仕の手を離すことが出来ない。
なぜならそこにエステラの足が乗っているから。
複数の選択肢が一気に提示された時、人は得てして最も選んではいけない選択をしてしまいがちだ。
すなわち、『選択しない』という選択を。
『何も出来ない』とも言うけどな。
ほんの一瞬。
一呼吸もないほどのわずかな時間のうちに起こったアクシデント。
ナタリアはその一瞬で体勢を立て直そうとした。表情が変わった。
こんな状況でも踏ん張っちまうのがエステラ&ナタリアなのだ。
だが……させねぇ。
「ジネット! エステラが危ない!」
「はっ!? エステラさん!」
俺の声に、ジネットが慌てて手を伸ばす。
そんなジネットの行動に、エステラは思わず手を伸ばしてしまった。ジネットに向かって。
本来であれば、ナタリアにしがみついて踏ん張らなければいけない腕を、後方のジネットに向かって、体を捻るようにしてだ。
「……あ」
伸ばした手と手がお互いに空を切り、エステラはそのまま地面へと落下した。
せめてもの足掻きとばかりに、ナタリアが落下の衝撃を最小限に抑えるように腕を伸ばしてエステラを抱きかかえたが、それが原因で騎馬は崩壊。エステラは地面に足を着いた。
「あ、あの……エステラさん。大丈夫、ですか?」
不安げなジネットの声に反応することなく、エステラは俺を睨む。
「君という男は!」
「んだよ。お前は見逃すと言ったが、俺は一言もそんなこと口にしてねぇだろうが」
「けどそこは紳士協定として……あぁ、もう! 自分で言ってて『ヤシロ相手に何言ってんの?』って思えてきたよ!」
「まぁ、そういうことだ」
「んんんんっ……もう! この競技すごく得意っぽいのに! もっとやりたかったぁ!」
最後には駄々をこねる子供のように手足をバタつかせていた。
「んじゃあ、今度給仕たちを集めて騎馬戦大会でも開けばいいだろ。お、なんなら給仕の訓練に取り入れたらどうだ?」
「運動会で活躍したかったのにぃ!」
悔しさと怒りが収まらず、不完全燃焼な闘志がくすぶっているエステラ。
泣くなよ、こんなことくらいで。どんだけ負けず嫌いなんだよ。
「それに、ウチでやったらナタリアが敵になるもん……」
「……お前、ひたすら勝ちたいだけなんだな」
結局、最強の騎馬にまたがっているというアドバンテージを譲りたくはないようだ。
自覚してんじゃねぇかよ、強さの秘密は最強の騎馬だって。
「これ、絶対さっきの報復でしょう。『自分の掘った穴に落ちる』とか言ったから」
「んなもんは根に持っちゃいねぇよ」
そう思ってもらわないと、こっちが困るところだ。
「ただ、ジネットを使って倒せそうなのがお前くらいしかいなかったんでな」
「……卑怯者。ボクがジネットちゃんに手出しできないことを利用して……」
「あと、ちょっとイライラしてたから八つ当たりしたまでだ」
「やっぱり根に持ってるんじゃないか!」
砂を掴んで投げてくる。
こらこら、失格した選手が競技中の選手に危害加えてんじゃねぇよ。
反則負けにするぞ、青組。
「ヤシロなんかを信用したボクがバカだったよ!」
「そうですね、オオバカですね。私が忠告したにもかかわらず」
「ジネットちゃんは無害だと思ったんだよ!」
「店長さんが無害なのは重々承知しております。ですがその下にヤシロ様がいることを考えれば『この騎馬』は油断できないと考えるのが普通です」
「ならそう言ってよ、ナタリアのバカー!」
「オオバカのエステラ様には言われたくありません。やーい、オオバカ、オオバカ」
やめて、ナタリア。
なんか『オオバカ』が『オオバ化』に聞こえて不愉快だから。
「ナタリアだって油断してバランス崩したくせに……」
「確かに予想外ではありましたが、油断はしておりませんでしたよ」
「じゃあなんで騎馬が崩れたのさ!?」
「振り返った際……とてつもない遠心力が! えぇ、エステラ様には理解の及ばない遠心力がかかってしまいまして!」
「って、胸を掴みながら何言ってんの、ナタリア!?」
「振り回されてしまいました」
「そんな遠心力かかるわけないだろう!?」
「えぇ、そうでしょうね、エステラ様ならば!」
「全人類みんな一緒だよ!」
いやぁ、それはどうだろうな、エステラ?
ジネットならたぶん、おっぱいの遠心力だけで空を飛べるぜ?
「コメツキ様。ここは目立ちます、一度外周へ避難しましょう」
イネスに言われ、俺たちは激戦区から離脱する。
負けたにもかかわらずいつまでも居座っているエステラと、そのエステラを指差して笑っているのに全身全霊でスルーされ続けているリカルドと、「敗れても美しいワタクシ」を全身で表現しているイメルダをまるっと無視して、俺たちは移動を開始した。
途中、ノーマが俺たちに狙いを定めて向かってきたが、ジネットが――
「ぅきゃう!?」
と、悲鳴を上げて頭を抱えた姿を見て、そのまま横を通り過ぎていった。その向こうにいたデリアへ狙いを変えたようだ。
うんうん。やっぱジネットには手が出しにくいんだろうな、みんな。
赤組がベルティーナを担ぎ出していたら同じように手出しできなかったかもしれないが、ベルティーナは応援席にいる。
唯一ジネットとやり合えたかもしれない強敵の不参加に、俺はほくそ笑む。
狙われれば一発アウトだろう。
だが、狙われにくいというのはこと騎馬戦においては強力な武器となる。
そのまま俺たちは外周を回りながら方々で繰り広げられる激しい戦いを観戦して回った。
立ち止まっていると目立ってカモられるからな。うろちょろしているのが一番の目くらましになる。
強敵ほど戦いに赴いて早くに討ち死にしていく。
戦わないことが必勝法。
そんなヒミツの作戦を実行しつつ、俺は俺の肩に乗せられた手が「うきゅう!?」「ひゃう!?」という奇妙な悲鳴とともに時折強く握られる感触を、誰にも悟られないように一人で楽しんだ。
なんだろうこのむにむに動く温かくて柔らかいヤツ。なんか、すげぇくすぐったくて気持ちいいわ。
あと、たま~に馬扱いで頭を撫でられるのだが、それはそれでいい感じだ。
馬って、こんな気分なのか。
嘶いてみようかな、ぶるるる……
「……ヤシロ。お馬さんごっこの約束、忘れないように」
途中すれ違ったマグダがぽそりとそんなことを漏らす。
楽しそうに見えたんだろうな。
へいへい。じゃあまぁ、そのうちな。
そうして、篝火に照らし出される中、騎馬たちはその数をどんどんと減らしていった。
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