ある晴れた日の朝。
俺は人気のない大通りで懐かしい顔に出会った。
「よぉ、久しぶりだな」
大通りを一人で歩いていたそいつは、俺の顔を見ると一瞬表情を曇らせた。
だが、すぐに営業用の笑みを浮かべて軽く会釈を寄越してくる。
小奇麗な衣服に身を包んだブタ顔の男。
そいつの名は――
「アッスント」
「ご無沙汰しております」
アッスントは笑みを浮かべつつも、俺を警戒しているのがよく分かる。
懐を開かないのだ。
人間の心理的に、胸や腹を『敵』と認識している相手に見せるのは居心地のいいものではない。なので、苦手な相手の前に行くと、腕を組んだり、お腹の前で手を組んだりしてしまうのだ。上半身を少し引くのも似た心理が働いている。
顔には笑みを張りつけつつも、アッスントは胸の前で手を組んでいる。商人らしい仕草と言えばそう言えなくもないが……まぁ、俺から声をかけられて用心しているのだろう。
「私に何か御用ですかな? お取引のない陽だまり亭さんとは、特別お話することもないかと思われますが……」
イヤミをふんだんに含んでくるヤツには、一切合財スルーするのが効く。気にしないのがベストだ。
「いや、ちょっと小耳に挟んだんだけどよ。お前って、この近辺のまとめ役を行商ギルドに任されてるんだってな」
「えぇ。僭越ながら、こちらの支部長を務めさせていただいておりますが……、それが何か?」
意訳すれば「っせぇな、テメェにゃ関係ねぇだろうが!」ってとこか。
「いや、なに。支部長なんて肩書きを持った偉いさんだったんなら、仲良くしておこうかなぁと思ってな。世間話をしに来たのさ」
「いえいえ。支部長など、大したものではありませんよ。雑用と嫌われ役を押しつけられる損な役回りです」
「謙遜なんて、らしくないんじゃないか?」
「おや。私はそんな横柄な人間に見えていましたか? だとすれば少し心外ですね。傷付きますよ」
アッスントは肩をすくめて流し目でこちらを窺う。
少しずつ、落ち着きを取り戻しているようだ。
こちらの腹積もりを探るような視線を向けてくる。
「世間話というと、何か面白いことでもあったのですか?」
「実はな、屋台販売を始めた。もちろん、領主の許可を取ってな」
アッスントの瞳の色が変わった。
俺に対する対応が決まったのだろうか? なんとなく「スイッチが入った」ように見えた。
「えぇ。ご噂は聞いておりますよ」
「さすが、耳が早いな。それとも、誰か知り合いでも見に来ていたのか? カマキリっぽい男とか……」
「そういうお話でしたら、私から申し上げられることは何もございません。失礼します」
肯定も否定もしない、か。賢明な判断だ。
だが、カマキリと聞いた時のお前の目は完全に肯定していたぜ。お前たちに何かしらの関係があるってことをな。
が、まぁそんなことはどうでもいい。
あの一件はもう済んだことで、領主直々に警告がなされたのだ。再発することはないだろう。
何より、あれは俺がアッスントに喰らわせた一撃に対する意趣返しのようなものだったのだろう。ゴミ回収ギルドの件で多少なりとも被った損失分の鬱憤をああいう形で晴らしたのだ。
あまり調子に乗るとあとが怖いぞという、脅しを込めてな。
「そんなことよりも、一つ頼みたいことがあるんだけどよ」
「私に、ですか?」
アッスントに頼み事をするということは、何かしらの交換条件を……それもかなりこちらに不利益となる条件を吹っかけられることを意味する。
「お前はそのことをよく理解しているよな?」と言いたげな疑問文だった。
アッスントは目を丸くして、驚いた表情を見せる。
「『カンタルチカ』って酒場、知ってるか?」
そこは、この近くにあるイヌ耳店員パウラの父親が経営する酒場だ。
「えぇ。私が取り引きさせていただいているお店ですね」
「へぇ、そうなのか。なら話は早い」
なんて、実際は事前にパウラから聞いていたので知っている。
けど、こういうのは演出も大切なんだよ。
「『カンタルチカ』は現在、仕入れ値の高騰で店を開けることすら出来ない有り様なんだ」
「災害というものは、いつも非情なものですよね」
「なんとか食糧を融通してやることは出来ないか?」
「『カンタルチカ』さんだけ特別に、……ということは出来ませんね。状況はどこも切迫しておりますので」
「おいおい。どうしたよ。本当に、らしくないじゃないか」
そっと目を眇め、アッスントを見つめて言ってやる。
声のトーンを落として、ゆっくりと、イヤミをたっぷりと込めて。
「『みんな平等に』、なんて……そんな平和主義者でもないんだろ?」
「……どうも、勘違いをなさっているようですね」
「平和主義者なのか?」
「『和』を大切に、とは思っておりますよ。お客様あっての商売ですから」
「仲良くしたいと思ってるのか?」
「可能な範囲で、でしたらね」
さすがはアッスント。『精霊の審判』に引っかかるような危うい発言は回避している。
「らしくないと言えば、あなたの方こそそうではないですか?」
「俺が?」
今度はアッスントが俺に仕掛けてきやがった。
「他人のために頭を下げるなど、あなたが最も忌避しそうなことのように思えますけどねぇ」
「何を言ってんだ。俺はいつだって『大切な人のために』全力を尽くす男だぜ?」
むろん、その『大切な人』というのは、俺のことだ。オオバヤシロ。オンリーワン。
他人のために頭を下げるのを忌避する? 当然じゃねぇか! なんで俺が他人の重荷を肩代わりしなきゃなんねぇんだよ?
が、ここでは言葉を濁しておく。
「ふふ……やはり、私はあなたが苦手なようです。何を話していいのか、見当がつきません」
「へぇ、そいつは『気が合う』じゃねぇか」
「…………ふふふ、おかしな人だ」
「仲良くなれそうな気がしないか?」
「いいえ、まったく」
ここまできっぱりと拒絶されるのも珍しいな。
この街では唯一かもしれん。
面と向かってこういうことを言うヤツは。
「でも、取引先とは仲良くするんだろ?」
「それは当然ですよ。お互いの信頼があってこそ、よりよい取引が可能になる。私は、信頼関係こそ、最も大切だと考えているんですよ」
「へぇ…………信頼関係か……」
「そうです。だが残念ながら、あなたとの間には構築できそうもありま……」
「会話記録」
「――っ!?」
俺が会話記録を呼び出すと、アッスントは目を見開き、顔に張りつけていた笑みを消した。
「……何を、なさるおつもりで?」
「ん~? いやぁ、別にぃ……」
アッスントの質問を軽く聞き流して、俺は目の前に出現した半透明のパネルをスクロールする。
おぉ、これってリアルタイムで書き込まれていくのか。初めて知った。
さてと……では。
「(自主規制)ーっ!」
「ぶふっ!?」
俺が、とても人には言えないような卑猥な言葉を叫ぶと、目の前でアッスントが吹き出した。汚いヤツだ。
「な、なにを……急にっ!?」
アッスントが素っ頓狂な声を上げる。
その向こうには、何事かとこちらを窺う住民の姿がちらほらと見える。
朝っぱらから放送禁止用語を叫ぶ者がいたら、そりゃ見に来るわな。危険人物かもしれないし。
「いや、放送禁止用語を言った時、会話記録にはなんて記載されるのかなぁって…………あ、見てみろ、ちゃんと卑猥な言葉が載ってる。『自主規制』とかって表現にならないんだな」
「それはそうでしょう……これはただの記録。もし、伏字などが存在するのであれば、それを使った隠語が大流行し、会話記録の意味合いはなくなるでしょう」
なるほど。
隠語を使って取引か。そりゃダメだわな。会話記録のシステムを全否定することになる。
さて、と。
俺は半透明のパネルをスクロールし、とある部分で指を止める。
そこにはこんな文字が記されている。
『俺が、卑猥な言葉を叫んだら作戦開始だ』と――
読み終わったら、ポイントを付けましょう!