「俺の中で、精霊神ってのは結構嫌なヤツなんだ」
誰がどんな力を使ったのかは分からんが、俺は日本からこの世界へやって来て、どういうわけか年齢も二十歳ほど若返った。
原理や理論を考察しようにも、常識の埒外過ぎて脳みそが思考を放棄しちまった。
精霊神か日本の神が俺に『奇跡』ってヤツを起こしたのだろう。知らんけど。
そういうところで折り合いを付けている。
その点に関しては、まぁいい。
感謝していると認めてしまうとサブイボに全身を埋め尽くされてしまいそうなので、「先見の明があったようだな」と、一定以上の功績は認めてやろう。
その功績は功績として――
「あいつ、性格ちょー悪いからな」
半径数十キロに亘って何もない草原のど真ん中に放り出したり、俺の儲けがちょうどチャラになっちまうような出来事が度々起こっている。
「あともう一歩のところでおっぱいを逃したことが何度あったか! それらはきっと、みんな精霊神の悪辣な采配なのだ! 大衆浴場が混浴にならなかったのも、全部精霊神が悪い! 俺ばっかり懺悔室に連れて行かれるのも然りっ!」
「いや、そこら辺は全部あんたの煩悩が原因さね」
ふん。
賛同が得られないことは織り込み済みだ。
……だが、もうちょこっとくらい「あぁ、分かるわぁ」みたいな共感くらいはあってもよくないか?
老若男女問わずドン引きしてるみたいな顔で俺を見るのはやめてくんない?
俺、結構精霊神にイジメられてんだぜ? いや、マジで。
「……だがまぁ、精霊神が自ら進んで誰かを破滅に追いやろうとしている――なんてのは、一度も感じたことはなかったな」
あいつは俺にばっかり地味な嫌がらせをしてくるが、悪意を持って誰かを破滅させようとしたことはない。少なくとも、俺の知る限りでは。
「で、俺の知る限り、四十二区の人間は教会や精霊神に反旗を翻して大暴れするようなタイプじゃない」
それが五十年も百年も前だというのなら分からんが、『湿地帯の大病』が発生したのは数年前だ。
そんな短い時間で人の心はそこまで変わらない。
強くなったり弱くなったりはするが、根本の部分はそうそう変わるものじゃない。
モーマットは五年前も五年先もヘタレな泣き虫だろうし、ウッセは変わらずむっつりスケベだろう。
『湿地帯の大病』を経験したこいつらは、俺の知るこいつらに違いないのだ。
「なら、突然精霊神がとち狂って四十二区に呪いをバラ撒く理由が見当たらない。そんな理不尽な神だってんなら、もっと他にも似たような事例があったはずだ」
だが、『湿地帯の大病』のような災害は他の区では起こっていない。
俺が聞き及んでいる範囲では、な。
「つまり、『湿地帯の大病』は『呪い』なんかじゃなく、ただの質が悪い流行り病だったってわけだ」
俺は、『呪い』を全面的に否定する。
精霊神の力を持ってすれば人間を呪うことくらい容易なのかもしれんが、少なくとも『湿地帯の大病』は違う。
「当時の四十二区には、病気に関する正確な知識と、それに対抗する有用な技術がなかった」
言ってしまえば、四十二区は運が悪かったのだ。
日本だって、知識が十分ではなかった時代には流行り病や飢饉で多くの者が命を落とした。
その過去は変えられない。
だが、過去に学んで対策を立てることは出来る。
それが出来るからこそ、人間は人間たり得るのだ。
「だから、二度と四十二区に『湿地帯の大病』は発生しない。それこそが、あれは『呪い』なんかじゃなかったって証拠になる」
人智を超える超常の存在が巻き起こす『呪い』なら、凡庸たる俺たちに太刀打ちできるはずがない。
だが、それに抗えたならば、それは決して神なる者の絶大な力によるものではないということだ。
「お前ら、細菌ってのは知ってるか?」
必要なのは知識だ。
それがあれば、無駄に恐れを抱く必要もなくなる。
「教会の井戸が汚染されたことがあっただろ。あの時、井戸の水は無色透明で悪臭もしなかった。だが、その水を飲むことでガキどもは体調を崩した。――その理由は、あの水の中に悪い細菌がいたからだ」
俺はなんの知識もないヤツでも分かるように出来る限り噛み砕いて、細菌と感染症について話して聞かせた。
目には見えないが、細菌はそこら中にいること。
その細菌が体内に入ることで人間は体調を崩すということ。
発熱や咳・くしゃみはその細菌に体が抗っている結果だということ。
「体が冷えるから風邪を引くのではなく、体が冷えることで細菌への抵抗力が落ちて風邪を引くんだ」
結局体を冷やすと風邪を引くのだろうと思うかもしれないが、似ていてもこの二つは明確に異なる。
『冷え』が風邪を呼ぶのではなく、あくまで『細菌』が風邪を引き起こすのだ。
「そのために、感染症予防が必要になる」
「手洗いうがいは、そういった理由で必要なことなのですね」
調理前には手をしっかりと洗い清潔にする。それを習慣として実践していたジネットも、今回の話を興味深く聞いている。
昔から『そう言われていたこと』に科学的根拠を示してやれば、理解度は上がる。納得も出来るというものだ。
細菌の概念を知らずとも、「悪くなった物を食うと腹を壊す」「飲食店従業員は手洗いを徹底するべき」なんてことは知られている。
それをさらに掘り下げていくと、原因たる細菌に行き着く。
なんとなく分かった気になっていたものも、正体を知らされると驚くことがある。
今まさに、ここにいる連中はそんな驚きの最中にいる。
「そして、細菌の中には動物や虫を媒介して人に感染するものもあるんだ」
マラリアやデング熱など、かつて世界で起こった恐ろしい感染症の話をして聞かせ、そこで威力を発揮した薬の話を聞かせる。
細菌の脅威ばかりを強調しても不安を煽るだけだしな。
きちんと救いはある。
そう、今の四十二区には頼れる薬剤師がいてくれるしな。
そんな話を一通り終え、俺は最後に、この場にいる者すべてに向かって断言する。
「だから、俺は精霊神の『呪い』なんてものは信じない。この街は、そんな『呪い』をもらうような謂われはなかった。誰がなんと言おうが、俺はそう思う」
どこぞのバカが性懲りもなく『呪いだ』などと抜かしてきたら「ふっ、無知が」と笑い飛ばしてやればいい。
俺がそう言うと、ドッと笑いが起こった。
これが、俺の考えだ。
きっと、湿地帯の泥か、カエルに悪い細菌がいたのだろう。
「だから、不安があるならマスクをして洞窟の調査に行けばいい。それで多少は細菌を防げるさ」
そうやって話を締めくくると、ベルティーナに抱きしめられた。
そっと。でも、力強く。
「……ありがとございます」
俺の耳に、温かい吐息がかかる。
「精霊神様がそのようなことをされるはずはない――そう信じてはいても、では、なぜあのような悲劇が起こったのか、私には分かりませんでした。苦しむ人々を見ながら、何も出来ない、何も言ってあげられない自分が歯がゆく、不甲斐ない自分に泣きたくなる時もありました……」
ぎゅっと、ベルティーナの腕に力がこもる。
「……そうですか。細菌…………そんな、恐ろしいものの仕業だったのですか」
誰より精霊神を信じているベルティーナ。
そんなベルティーナでも、多少は不安に思うことがあったのかもしれない。
ないとは思いつつも、ほんの少し頭の隅をかすめる程度には。その度に自分に言い聞かせていたのだろう。
これで、ベルティーナの心が少しでも軽くなればいい。
そして、精霊神という寄る辺を見失いかけた者に、もう一度説いてやればいい。
「信じていいのですよ」と。
「精霊神様は、私たちを見捨てたりなどされませんよ」と。
それで救われる者もいるのだろう。
俺は真っ平だけどな。鼻で笑いそうだ。
それでも、今こうしてベルティーナが救われた。
白い頬を伝う涙は、こんなにも温かい。俺の服に染み込んでは消えていく透明な雫は、きっと安堵の気持ちから流れているのだろう。
まったくよぉ。
もっとはっきりと自己主張しろってんだよ、精霊神。
お前の『お気に入り』が、こんなに苦しんでたんだからよ。
引っ込み思案してる場合じゃないだろってんだ。
「すみません。子供みたいに、こんな……甘えてしまって」
「別にいいさ。子供のように甘えてくれても、大人のようにアダルティに迫ってくれてもな」
「むぅ……ヤシロさん」
涙で赤く染まった瞳が俺を睨む。
これは懺悔してくださいの流れか。
「ですが……ヤシロさんの口から『呪いなんてものは信じない』と言っていただけたことはとても嬉しかったです。ですから、怒るに怒れません」
「じゃあ、お詫びでもご褒美でもいいから、懺悔三回免除券をくれよ」
「三回免除、ですか?」
こてんと首を傾げ、アゴに指を添えて、何かを考え、そしてにこりと微笑んでこくりと頷く。
「構いませんよ」
よし!
これで今日はおっぱいではしゃいでも大丈夫そうだ。
「では、先ほど精霊神様への発言の際の『あと一歩のところで~』というものと、『大衆浴場が~』というもの、そして、今の『大人のように~』で三回、懺悔を免除いたしましょう」
わぁ、使い切った!?
「……くっそ。『どうせなら、もっとぎゅってしてくれたらむぎゅっとなってわっほ~いだぜ』って叫びたかったのに……っ!」
「それを叫ぶことになんのメリットがあるのか、皆目見当がつかないけれど、今、口から零れ落ちていることは自覚した方がいいよヤシロ。免除はもうないんだからね」
さっきまで泣いていたエステラが、もうケロッとして憎まれ口を叩いてくる。
バカモノ。メリットとか、そういうんじゃないんだよ! 思想の問題だ、これは。「ハレルヤ」だの「アーメン」だのと一緒なんだよ。
「まったくもぅ、ヤシロさんは……」
ため息を吐いて、ベルティーナは俺のおでこをこつんと小突き――
「悪い子にはお仕置きです」
そう言って、俺の頭をぎゅっと胸に抱いてくれた。
お仕置き……これが? 悪い子への?
「俺、悪の道を究めようかな!?」
「ヤシロさん、懺悔してください」
ちょっとテンションが上がったところを、ジネットに叱られた。
……そうだ。こっちにも懺悔発生装置がいるんだった。
ジネットの懺悔免除券って、何と引き換えに発行してもらえんのかなぁ。
「ふふ……。今日だけですよ、特別なのは」
乱れた髪をぽふぽふと整えて、ベルティーナが席へと戻っていく。
長い間心の中にしまい込んでいた苦しみから解放されて、ちょっとだけテンション上がってんのかもな。普段のベルティーナなら、絶対にやらないだろう、あんなことを……こんな衆目のもとで。
「んじゃあ、ヤシロの罪状を話し合おうか」
「極刑を求めるぜ、俺ぁ!」
「シスターはみんなのシスターじゃぁけぇのぉ! 独占はいかんがぁぞ!」
「ワシだって『呪い』なんかないってずっと前から思ってたでねぇ~のよぉ!」
「それでは公平に、全員でヤシロ氏に頬摺りして『間接シスター』としゃれこむでござるよ」
「「「「さんせぇーい! ぅぉおおお!」」」」
「バカッ、やめろ! オッサンの頬摺りなんか拷問以外の何物でも……ぎぁぁぁああああああ!」
隠れベルティーナファンらしいオッサンどもに地獄のような責め苦を味わわされる俺。
女子たちはみんな、だ~れも助けてくれなかった。ウーマロも見捨てやがった。
っていうか、ウッセ、モーマット、フロフト、ボッバ。お前ら、覚えとけよ。
で、ベッコ……お前だけは絶対に許さねぇ。
最後の方は、なんか趣旨をはき違えたロレッタの弟たちにもっふもっふと頬摺りされる謎のイベントと化していたが……なんだこれ。俺、なんか悪いことしたか?
ったく、品行方正なヤツほど苦労を強いやがる。
やっぱろくなもんじゃねぇな、精霊神はよ。
……っけ!
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