「まぁ、ほら。とりあえず飯、食おうぜ。お前の気持ちは分かったからさ」
……気持ちが分かった?
アタシの、今のこのアタシの気持ちが、『分かった』って言うんかい?
ねぇ、ヤシロ。
あんた、本当に、本気でそんなことを言うつもりなんかぃ?
アタシのことを……『お前』なんて呼んどいて……
一度も、名前を…………呼んでもくれないでさ…………っ!
「…………ふっ…………ふふ……」
どうしよう……
どうしていいか分からないし……どうしようにもない…………
胸ん中が重くなって、足元が覚束ない……
膝の力が抜けてすとんと腰が落ちた。
尻が床にぺたりとついて、ひんやりした感触が伝わってきて…………そこで限界を超えた。
「……ふぇぇん!」
涙が、止まらなくなった。
何やってんだ、アタシは。
こんなバカみたいな格好して、一人で空回って……ヤシロにだって呆れられて……
こんなんじゃ、ヤシロに「こいつの記憶はいらない」って思われて…………忘れられちまうじゃないか…………ヤシロの中に、アタシの居場所がなくなっちまうじゃないかさっ!
そう思ったら、一層……怖くなって…………
「……ぅぇえええええええっ!」
みっともなく、醜態をさらす。
「……ヤさね…………ヤシロ……忘れちゃ…………」
いつの間にアタシはこんなに弱くなっちまったんだろう。
たまに会って、一緒に仕事をして、他愛もない話をする。そんな、よくある関係だったってのに。
いつから、ヤシロがアタシの中でこんなに大きな存在になっちまってたんだろう……
アタシはヤシロに好かれたいなんて思っちゃいない。
そんなこと、望んだりはしない。
ただ。
アタシがヤシロを好きでいたい。想っていたい。
それだけなんさよ。
それだけでいいから…………
その権利すら奪うようなことだけは、勘弁してほしいさよ……
どんなに思っても、ヤシロの心にアタシがいないなんて……悲し過ぎるじゃないかさっ!
「ヤシロ……が、…………悪い……ん、さよ…………魔草なんかに…………記憶…………」
不安で、怖くて……寂しくて。
みっともなく泣いた挙句に、ヤシロに当たって…………みっともないったらありゃしない。
けれど、どうしようにもなく、心が磨り減って…………
「あんたも男ならっ、自分の記憶くらいさっさと取り返しておみせな! ヤシロなら、魔草くらい簡単に言いくるめられんだろう!? アタシの知ってるオオバヤシロは、それくらい簡単にやってのけるような大した男なんさよ!」
叫ばずにいられなかった。
見栄を張って、ずっと心に押し込めて、知らん顔してた不安や寂しさが、涙と一緒に一気に溢れ出して止まらなくなった。
ヤシロがそっとアタシに近付いてくる音がした。
蓋をしなきゃ涙がとめどなく流れていく目を何度も拭い、そんな衣擦れに耳を傾ける。
ふわっと、頭に載せられた手が、壊れ物を扱うような優しさで髪を梳く。
手のひらが耳に触れて、一瞬体がびくんって反応する……それが恥ずかしくて、頬がどんどん熱くなる。
「心配すんなよ……」
耳元で、静かな声がする。
「ちゃんと思い出したから」
耳に流れ込んできたヤシロの声が、血管を通って全身に広がっていく。
優しさが脳を満たして、腕や足、末端まで隅々に伝わっていく。
「……もう泣くな、ノーマ」
今――アタシの全身はヤシロでいっぱいになっている。
「…………ぉ、そい……さねっ!」
アタシの背後にしゃがんで頭を撫でるヤシロ。
振り返ったらそこにヤシロがいる。そう思うと、もう堪らなくて……
「ヤシロォッ!」
振り返りざまに飛びついた。
ヤシロが名前を呼んでくれた。
それが、こんなにも嬉しいことだったなんて。
勢い余って倒れ込むも、そんなことアタシは気にしない。
ヤシロの胸に縋りついてぐりぐりと顔を押しつける。
ヤシロの匂いで肺がいっぱいに満たされる。
「遅いさねっ、どんだけ待たせんさねっ!? バカ! バカ! ヤシロのバカ!」
「悪かったって……」
「反省してるように見えないさねっ」
ヤシロが名前を呼んでくれた。
もう、ヤシロはアタシを忘れない。
忘れさせて堪るもんかい。
あぁ……やっぱりヤシロは魔草なんかに負けなかった。
そうだよ。アタシの知ってるオオバヤシロって男は、そういう大した男なんさよ。
「もう、大丈夫だから。な? ほら、種も取れたし。だからそろそろ……」
「もうちょっとさねっ!」
大丈夫と分かった途端……不思議さね…………さっきよりもっともっと甘えたくなった。
今しかないってくらいに、ヤシロに甘え尽くそうと思った。
離してやるもんか。
ちょっとだって、この温もりを手放してなるもんか。
今は、今だけは……ヤシロはアタシ専用なんさよっ!
「『ノーマ』って百回呼ぶまで離してやんないんさよ!」
「えぇ……」
「文句言うんじゃないよっ!」
「じゃあ…………おっぱい、おっぱい、おっぱい……」
「名前を呼ぶんさよ!?」
一定のリズムでそんなことを言うヤシロに業を煮やす。
だから、名前を呼べって………………
「……水着の、おっぱい、メッチャ、当たってるけど、ノーマ、それでいいの? なんかもう、暴れたせいで、ちょっと、ズレちゃって、間もなく『こんにちわっ』、しそうだけど?」
…………ふと、自分の姿を顧みる。
体にぴったり張りつくようなモノキニの水着が無理な体勢のせいで、ほとんど捲れて…………チク…………
「――ふなっ!?」
見えちゃいけないモノが見えそうになってるさねっ!?
「み、見んじゃないさよっ!」
「だから親切に教えてやったんだろうが!」
「ぁぁぁあああ、もう! お嫁に行けないさねっ!」
「……いや、たぶんそれ、俺のせいじゃ……」
「なんか言ったかぃ!?」
「……いえ、なんでもないです」
もう! ヤシロは、もう!
「き、着替えてくるから、飯でも食っとくさね!」
慌てて立ち上がり、……お尻とか、ちゃんと隠れてるか指で確認して……急ぎ足で居間を出る。
出てから、もう一度首を伸ばして居間を覗き込む。
「……おかわり、たくさんあるからね」
「おう。ゆっくりさせてもらうよ」
片手を上げるヤシロを見て、心がほっこりする。
さっきまで全身を支配していた重苦しい感情が嘘みたいになくなっていて…………はっきり自覚させられちまう。
あぁ……やっぱり、アタシはヤシロが好きなんだ。
そんで…………
いつか独占してやりたいって、思ってるんさね。
物分かりのいい大人な女なんて……もうやめちまおう。
そんなことを思いながら、いつもの服に袖を通した。
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