「それと、ゼラチンも分けてくれ」
「ゼラチンか。今作ってる分はほとんど行商ギルドが持っていっちまうから陽だまり亭に渡すとなると、ちょいと量を増やさねぇとな」
「『ちょいと』じゃねぇぞ、モーガン」
「あん?」
アゴ髭をざりっと撫でるモーガンに、無邪気な笑みで伝えておく。
「ハロウィンで使うから、今日から全力で増産しといてくれ。不眠不休で。死ぬ気でな☆」
「…………はぁ?」
だって、マシュマロはハロウィンのド定番だろうが!
しかも、四十二区にゼラチンが出回ってないってことは、ここの連中はマシュマロと初対面することになる。
売れるぞぉ、これは!
「とりあえず、今すぐにゼラチンを用立ててくれたら、こっちの隠し玉を見せてやるが、どうする?」
「用立てるって……どれくらい欲しいんだよ?」
「ん~…………いっぱい☆」
くっきりとしたシワを眉間に刻んでモーガンがエステラを見る。
エステラを見て、俺を指差している。「何言ってんだこいつは?」ないし、「なんとかしろよ、こいつを」みたいなニュアンスだろう。
エステラはまぶたを閉じて肩をすくめ、首を振った。
「ボク、イケメンには厳しくできないんだ」みたいな感情の表れだろう、きっと、うん、間違いない。
「その隠し玉の味によっては考えてやろう」
「そうかい。じゃあ、ジネット」
「はい。『漬け』ですね」
俺がテーブルに置いたモツの器とは別の、陶器の入れ物をいくつもテーブルに並べていくジネット。
時間がなくてまだちょっと不完全なんだが……十分美味いだろう。
「モツをタレに漬け込んだものになります。さっきのモツとは一味違ったものになりますよ」
嬉しそうににこにこと、ジネットが漬け込んだモツを焼いていく。
醤油ベースに、塩ダレ、味噌ダレもある。
味噌の焦げた香ばしい匂いが八分目のはずの胃袋を刺激して二分目程度だと錯覚させる。
うはぁ、腹減ってきた。
「ヤシロ」
エステラが立ち上がり、俺の隣まで来て肩を掴む。
「これ、ボクたちの分、あるよね?」
エステラの瞳がキラキラしている。
その割に、手にこもる力は脅迫レベルの力強さだ。
陽だまり亭の試食では、漬け込む時間がなかったので未登場だった漬け込みモツ。
モツ好きに変貌したエステラ他女子たちの目がギラギラしている。
「ちゃんとあるから、落ち着け。陽だまり亭にもちょっと残してあるから」
「よし! えらい! ご褒美に――」
「『ちょっとなら突っつかせてあげよう』」
「撫でてあげよう」
「ちっ!」
出し惜しみクイーンめ。
惜しもうが惜しむまいが出るものなんかないくせに!
「さぁ、どうぞ。召し上がってください」
焼きあがったモツを小皿へと移していくジネット。
まずモーガンが。そしてレーラが、カウとオックスが口へと運ぶ。
「「「「うまっ!?」」」」
声が揃った。
そして四人そろって「くにくにくにくに」とモツを咀嚼している。
「お母さん、どうしよう。飲み込むのもったいない!」
「おったいふぁい!」
「噛みなさい。噛めば噛むほど美味しくなるから」
「「うん!」」
ガゼル親子がしつこいくらいに咀嚼を繰り返す。――ガムか!?
「酒だっ! ……んくっ、んくっ、んくっ! …………だっはぁ~! やられた!」
ったーん!
と、ジョッキがテーブルに叩きつけられる。
漬け込むことで、タレのうま味がモツに染み込み、脂身と絡み合って、単純な加算ではなく乗算されて美味さを増していくのだ。
「これで大体三~四時間くらい漬け込んだんだが、こいつを一晩漬け込むともっと美味くなるぞ」
「一年漬け込もう!」
「腐るわ!」
牛飼いだよね?
牛肉のこと、詳しい人だよね!?
え、アホなの!?
「くぁあ! こんなに美味くなるのか。これも内臓、いや、モツなんだよな?」
「おう。驚いたろ?」
「あぁ! こりゃあ酒好きには堪らねぇ味付けだ」
酒好きと聞き、ふとルシアを見る。
目が合った。
エステラたちと一緒に漬け込んだモツを咀嚼しているルシアがこちらをじっと見つめている。
「カタクチイワシ」
「……なんだよ」
「酒を注げ!」
「お前、また泊まる気じゃないだろうな!? 今日こそ帰れよ!? 飲んで『帰るのがメンドクサイ』とか言い出すなよ!?」
「それは保証できぬ!」
「じゃあ飲むな!」
これ以上滞在を許すとマジで住み着かれる!
今日こそ追い出す!
確実に!
「これ持って帰っていいから」
「そうか。では受け取ってやろう」
漬け込んだモツを一瓶くれてやる。
器は返せよ? 陽だまり亭のだからな。
「よ……っと!」
モーガンがほんのり赤い顔で立ち上がる。
「約束だ。こんな美味いもんを食わせてもらったからな、ウチにある在庫のゼラチンをいくつか持ってきてやろう」
「あぁ、待て、モーガン」
隠し玉はまだもう一つある。
モツは見た目が結構強烈だから、そこで忌避感を持たれる可能性もあるのだ。
だから、モツを広めるためにはもう一手、別のアプローチが必要になる。
モツ鍋は陽だまり亭でも扱えるメニューなので取っておくとして、陽だまり亭にはちょっと合わない、というか、酒が飲める店にこそ打ってつけのメニューがある。
「帰る前に、こいつも試してくれ。ジネット」
「はい」
大きな鍋に用意しておいた、ドロッとした煮物を小鉢に入れて、刻んだネギと七味を上に添える。
コクのある濃い味噌味の、くたっとした煮物。まだ煮込みが全然足りていないが……
「お待たせしました。モツのどて煮です」
リベカの麹工場から紹介してもらった味噌工房に、八丁味噌に似たコクのある美味い味噌があったので使ってみた。味は少し異なるが、これはこれで美味い。
二~三日煮込めばたまらない味わいになるだろう。
「若造!」
新たに注いだ酒を飲み干し、モーガンが俺の胸倉を乱暴に掴み上げる。
「牧場に残ってる在庫をありったけ持ってきてやる! それで満足か!?」
とても気に入ったらしい。
「三日煮込むと、もっと美味くなる」
「ちきしょー! 三日後が楽しみだ!」
「残念だが、陽だまり亭では作れないぞ。味噌の匂いが強過ぎて、他の料理の邪魔をしちまうからな」
陽だまり亭ではケーキと一緒にコーヒーや紅茶を楽しんだりもする。
味噌の匂いを充満させるわけにはいかないのだ。
「こいつはな、一度作ったら、ずっと……ずぅ~っと継ぎ足し継ぎ足しで出汁を『育てて』いくんだ。煮込む時間が長ければ長いほど、どて煮の美味さは倍増していく」
「……腐らねぇのか?」
「環境に気を付けて、毎日欠かさずかき回して、味の確認をしてりゃ、そんなことにはならねぇよ」
数十年継ぎ足した秘伝の出汁なんて、日本中に存在する。
「煮込んだモツのうま味が出汁に染み出して、そのうま味が染み出した出汁でまたモツを煮て……来年の今頃食うどて煮はどんな味になってるだろうな?」
そのどて煮があれば、焼肉屋を模倣する店が現れても優位性を保てる。
秘伝の出汁は、真似しようとして真似できるものじゃない。
先駆者の優位性は保たれる。
それから、『元祖』の看板とな。
「酒飲みが集まる店になら、こいつを扱いこなせると思うんだがな」
「くそったれ! そういうことか!」
俺を解放して、モーガンはレーラへと詰め寄る。
旦那以外の男に触れないレーラは身を固くする。
「レーラ! オレが最大限協力する! どうか、この店を残しちゃくれねぇか!?」
「え……で、でも……」
「お前ぇ、内臓なんだろ? 確かに、ボーモのヤツは牛の中の花形、Tボーンステーキみたいな出来た男だった! だがな、内臓には内臓のすごさがあった! それは今、お前ぇも体験しただろう? なぁ、もうちっと足掻いてみねぇか? あいつが、ボーモのヤツがお前ぇら家族を守るために作ったこの店を、今度はお前ぇら家族が守っていくんだ!」
「私たち家族が……主人の店を……守る……」
「やろうよ、お母さん! 私もお手伝いするから!」
「するから! お父さんのお店、守ろう!」
「あななたち……そんなに…………うん。ここまでしてもらったんだもの……ここまで言ってくださってるんだもの…………不安だけど……きっと、主人ほど上手には出来ないけれど……頑張ってみましょう。お手伝い、よろしくね」
「「うん!」」
抱き合う親子の隣で、モーガンが高々と拳を掲げる。
「よっしゃあ! これでまた美味い酒が飲めるぞ!」
その代わり、お前はしっかりとこの店を庇護してやれよ。
肉の知識、教えてやれ。
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