「じゃあ、ちょっと座れ。診てやるから」
ナタリアを椅子に座らせ、額に手を添える。細く柔らかい髪の毛が手の甲に触れ、くすぐったい。
「…………なんのマネですか?」
「熱を見てんだよ」
「熱はありません」
「いや、あるだろう、確実に」
体温計がないのではっきりとは分からんが、微熱程度はありそうだ。
「解熱剤がいるかもな」
「解熱剤はいらないので、消毒液をください」
「雨の中放り出すぞ、コノヤロウ」
涼しい顔をして憎まれ口を叩くナタリアだが、やはりどこかダルそうにしている。視線にも、いつものような鋭さがない。
頬に手を添え下まぶたをくいっと押し下げる。毛細血管が密集しているこの箇所が白っぽくなっていると貧血の恐れがあるのだ。……とりあえずは大丈夫か。いい物食ってるんだろうな。
「…………なんのマネですか?」
「うっさいな、いちいち聞くな。ちゃんと意味はあるから、大人しく診察されてろ」
「頬に触れたりなどするから、キスをされるのかと思いました」
「するかっ!?」
とんでもない言いがかりだ。
だが、そんな言いがかりに対するリアクションは俺の隣から聞こえてきた。
「しないんですね? ……よかったです」
ジネットだ。
こいつは、何を考えているんだ……と、呆れつつジッとジネットの顔を見つめる。
「……え…………はっ!? あ、あのっ、よ、よかったっていうのは、別にそういう意味ではなく、お客さんにそのようなことをしてはいけないのでないかという心配からでして、あの、あぅ……」
「分かったから! 騒いでないでちょっと座ってろ」
「はい……すみません」
どうやら、ジネットもナタリアと同じことを考えていたらしい。
病人にキスして、「お前の風邪、俺がもらってやったぜ」なんて治療があって堪るか。
あと、俺は風邪を引きたくない。
「じゃあ、ちょっと口を開けろ」
「…………ディープキ……」
「しねぇよ! 喉が腫れてるかを見るの! ちょっと舌を出して『アー』って言ってみろ」
「………………アー」
素直でよろしい。
見たところ、扁桃腺が赤く腫れていた。
これでは唾を飲み込むのもつらかろう。
「お前んとこに紅茶があったよな? 熱湯で淹れた紅茶を水で薄めて、ぬるくしてからうがいをしておけ」
「紅茶で、ですか?」
「殺菌効果があるんだよ」
お茶の殺菌作用といえば緑茶のカテキンが有名だが、紅茶テアフラビンはさらに強力な殺菌効果を持っている。
この街には『ただいまの後にガラガラじんじんするヨード液』なんかないだろうから、紅茶うがいが最適だ。
「レジーナの薬には総合薬ってのはなかったからな……とりあえず解熱剤を持って帰るか?」
「いえ。治療法を教えていただいただけで十分です」
「いや、薬飲んどけって」
「私はお嬢様にお仕えする使用人。使用人が薬のような高価な物を、個人的な理由で使用するわけにはいきません」
「いや、薬は基本、個人的な用途でしか使わねぇだろうが」
個人が病気になった際、個人的に使うんだよ。
「お嬢様が大袈裟に言われるので、念のため伺ったまでです。お気遣いには感謝いたします」
「レジーナの薬はそんなに高くないから、もらっとけって」
「大丈夫です」
こいつ……頑固だな。
「そもそも、レジーナの薬を広めたがってるのはエステラなんだぞ? わざわざ俺をけしかけて、レジーナに対する不信感を払拭する工作までしやがったんだ。お前が使って、この薬の効果や利便性を広めれば、エステラの思惑に合致するだろうが」
いいからお前はお前の主に協力していればいいのだ。
と、そのようなことを言うと、ナタリアは驚いたような表情を見せた。
「驚きました。お嬢様のためにそこまでお考えを巡らせるとは……」
「いや、エステラのためっていうか……いいから、薬飲んどけよ」
「そうですね…………では、喉の薬をいただきましょうか」
「解熱剤は?」
「熱は本当に大したことがないのです。あまり薬に頼り過ぎるのもよくはないでしょうから」
まぁ、それはそうか。
あまり薬を飲むと眠たくなるかもしれないしな。もっとも、レジーナの薬に抗ヒスタミン剤が含まれているかなど、俺の知る由もないことではあるが。
「ジネット。喉の薬を。あとぬるま湯を持ってきてやってくれ。あぁ、あと、何か軽く胃に入れられるものを」
「はい! ただいま」
ジネットがパタパタと厨房へと駆けていく。
「至れり尽くせりですね」
「なに、これも商売の一環だ。気にするな」
「商売、ですか? 薬の代金にマージンは含まれていないと聞いておりますが?」
「薬の評判が上がれば、薬を求める人間がここに来るだろう? 薬はなるべく安い方がいいからマージンは取っていないが、客がここに来ることで生まれる利益もある」
「何も買わない人もいるのでは?」
「八割以上がそうだろうさ」
「……では、なぜ?」
「『一度も行ったことがない場所』と『一度行った場所』では、立ち入る際の抵抗感が雲泥なんだよ」
個人経営のレストランなんかでも、利益度外視の出血大サービスでとにかく客を一度店に呼ぶ努力をしたりする。同じ地域の店と連携してワインの試飲や料理の試食が出来るイベントをやったりな。
店にまで来てもらえれば最高。
でなければ、物産展で商品と店名だけでも知ってもらえればベターだ。
とにかく、名を覚えてもらうことはとても重要なのだ。
「確かに……レジーナさんのお店に入るのは、非常に勇気がいりましたね」
「怪しくないものが一つもないからな」
「うまい表現ですね。ですが、私たちは領内の住民が安心して使用できる薬をどうしても確保したかったのです」
「それで、レジーナに会いに行ったわけだな」
「えぇ。ただ…………」
当時のことを思い出したのか、ナタリアの表情が曇る。
「店主が出てきた途端、『うっひょ~、美少年とクールメイド、キタコレ!』と叫び、続けざまに『当然美少年が年上メイドに開発されて……』と、そのあたりで店を出て、扉を閉ざし、以降一度も近付いてはいません」
「それは、従者として賢明な判断だったな。有能だよ、お前は」
……何やってんだ、あのバカは。
「そんなことがありましたので、彼女の薬は一切信用できませんが……お嬢様が信用されているのでしたら、私も考えを改めないといけませんね」
「最初は抵抗があるかもしれんが……」
「いえ」
短い否定は俺の言葉を遮り、まっすぐこちらに向けられた視線は次の言葉を封じた。
ゆっくりと流れる時間の中で、俺はナタリアの次の言葉を待っていた。
そうすることが当然かのように。
「……あなたも、信用しているのでしょう?」
俺に問いを投げかけてくるその瞳は、これまで見たことがないほどに優しく、ナタリアの中の女性らしさを垣間見せていた、
これが素の表情なのか、それともただ風邪で弱っているだけなのかは分からんが、緩やかに微笑むナタリアは、とても女性的で、美しかった。
「あぁ。レジーナの薬はよく効く。お前の風邪もすぐに治るさ」
「そうですか…………では、信用すると致しましょう」
ナタリアの視線が俺から外れ、厨房へと向けられる。
視線を追うと、ちょうどジネットが顔を出すところだった。
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