「だから、あたいもなんか意地になって……イライラしてたのもあって……口調が荒くなってさ…………」
「そんな時に、ミリィが訪ねてきたんだね」
「……うん」
オッサンたちとの交渉によって溜まったうっぷんが、運悪くミリィに向けられてしまったのか。
「前に一度、生花ギルドのギルド長が来た時は、川から水を汲んで持っていけって話をして、それからはずっと来なくて……で、次に来たのがミリィだったんだ。ギルド長が疲れて来られないからって、一番若いミリィがここに来たんだって」
生花ギルドのギルド長は婆さんだと言ってたっけな。
森の管理に動き回って、相当無理をしていたのだろう。
「そしたら、ミリィがさ、『みんなもう限界だから、水位を上げるために少しの間だけでも川を堰き止めてほしい』って…………あたい、『あぁ、こいつも同じこと言うんだ』って思って…………そしたら、なんか…………」
デリアも疲れが溜まっていたのだろう。普段なら、きっとそうはならなかったはずだ。
ミリィはミリィで、無理をしていたのが言葉にも表れている。『もう限界だ』とミリィが言うなんて、相当追い詰められた状況だったってことだろう。
極限状態の二人が意見をぶつければ、相手を言い負かしてでも自分の意見を押し通そうとするだろう。相手を思いやる余裕など、もうないのだから。
冷静な判断を出来るようなゆとりも、きっとなかっただろうしな。
「…………それであたい……」
デリアは、棘の付いた球を吐き出すかのように、胸につかえた言葉を苦悶の表情で口にする。
「ミリィにさ……『鮭がどうなってもいいって思ってるのか』……って、言っちゃってさ……」
これまで訪ねてきた者が、誰一人気にかけてはくれなかったことを、つい自分の口で言ってしまった。
自分の正当性を強調するには、そうするしかないと思ったのだろう。
「そしたらミリィは……『じゃあ、森のお花は、どうなってもいいの?』って……」
同じ立場に立って、互いの視点から自分を顧みることが出来れば、そんな摩擦は生じなかっただろう。
だが、……それが出来る人間は限りなく少ない。
「なぁ……あたいさぁ…………酷いこと言ったのかな? 魚を守るために、森の花も、野菜も、米も、ニワトリも、他のものみんな……どうなってもいいって、そう思ってたのかな?」
吸い込んだ息がデリアの喉で掠れた音を鳴らす。
「他のみんなを守るために……鮭や川を、犠牲にしなきゃいけないのかな……」
「デリア。それは違うよ」
泣きそうな声で語るデリアの言葉を、エステラは明確に否定する。
「誰かの犠牲の上に成り立つ平穏なんてあり得ない。そんなものは、平穏とは呼べないんだ」
「…………エステラの話は難しくてよく分かんないよ。……分かりやすく言ってくれ」
「えっと……」
ちらりと、エステラが俺に視線を向ける。
そして、ばつが悪そうに口元を歪めて、目礼をする。
なんだろう……「ごめんね」と言われた気がしたが…………
「大食い大会の時、ヤシロがしようとしたことを覚えているかい?」
……あぁ。そういうことか。
デリアにも分かりやすく説明するには、あの時のことを持ち出すのが手っ取り早いと思ったわけだ。
……まぁ、好きにしろよ。
俺は、自分の行動を悔いたりはしない。そうならないように、責任を持って今を生きるようにしているからな。
使えばいいさ、たとえ話にでも、教訓にでもな。
「あの時、ヤシロが犠牲になって、『悪いのは全部ヤシロだった。他のみんなは何も悪くない』って言い張って、それでヤシロがこの街からいなくなっていたら……みんな幸せになれたと思うかい?」
「そんなわけねぇだろ! もしまたあんなことして、勝手にあたいらの前からいなくなったりしたら、その時はあたいが絶対見つけ出して全力でぶっ飛ばしてやる!」
おぉ……俺に死亡フラグが。
デリアは自分のスペックとか、絶対顧みないタイプだしな。
常に全力、故にオーバーキルだ。
……絶対怒らせないようにしよう。
「もし君が、他のみんなのためにって、納得しないまま川を堰き止めたとして……仮に他のみんなが助かったとしても……鮭がいなくなった川を見てデリアの元気がなくなったら……ボクはそんなのを『平穏』だなんて思えない。『よかった』なんて言えない」
うな垂れるデリアに近付き、強引に手を握るエステラ。
グッと力任せに握りしめ、まっすぐに、思いを詰め込んだ視線をデリアの瞳に注ぎ込む。
「デリアは、四十二区の大切な仲間だ。デリアが悲しいとボクも悲しい。絶対に、君を犠牲にしたりはしない」
「エステラ…………」
デリアの顔が、少しだけ泣きそうに歪む。
「……ごめん、やっぱちょっと難しくて半分くらいしか理解できなかった」
「嘘でしょ!?」
あぁ……デリアはなぁ、一度に長く話されると途中から脳がフリーズしちゃうんだよなぁ……自分は感情に任せて長く話すクセにな。
「けど……半分くらいでもちゃんと分かった」
自身の手を握るエステラの手を、デリアはさらに力強く握り返す。
「エステラは、あたいのこと、好きでいてくれるってことだよな?」
「う、うん……そう、なんだけど…………手、手が、痛い……もうちょっと優しく……っ」
「あたいもエステラのこと好きだぞ!」
「う、うん! ありがとう! でね、手! 手がね、手の骨がね! ギシギシって!」
「エステラ、大好きだ!」
「ありがぃたたたたあっ! ヤシロ! デリアを止めて! 早く!」
「デリア、俺とも握手してくれ」
「おう!」
俺が手を差し出すと、デリアはパッとエステラの手を放し、こちらに体を向けた。
解放された瞬間のエステラの安堵した顔と言ったら……精々恩に着るがいい。
「ヤシロにも握手だ!」
「と、その前に!」
テンションが上がったまま握手などされたら、エステラ以上にデリケートな俺の手の骨は一瞬でふりかけみたいに粉々になっちまうだろう。カルシウムたっぷりだね、とか言ってる場合じゃない。
こちらに向いたデリアをいったん制止させ、テンションを元に戻してやる必要がある。
「エステラの話の続きだ。難しくないからちゃんと聞いてくれ」
「うん? あぁ。聞く」
「エステラは、デリアのことを仲間だと言ったな?」
「あぁ! 嬉しかったぞ、エステラ!」
「あはは……それはよかった」
エステラがちょっとデリアに苦手意識を持ち始めている。
真逆だもんな、タイプが。
「けど、エステラにとっては、ミリィやモーマットたちも同じくらい大切な仲間なんだ」
「オメロもか?」
そこで、「いや、オメロは別!」とか言い出したら、さすがの俺もオメロに同情しちまうよ。
「オメロもだ」
「エステラって、ホントいいヤツだな!」
「あはは……そりゃどうも」
つか、デリアはオメロをどういう目で見ているんだろうか……聞くのが怖いから聞かないけれど。
「だからな、エステラはみんなのことを助けたいと思ってるんだ」
「みんなって……みんなか?」
「あぁ。みんなだ」
それが無謀だとしても、こいつはそうなるように必死にあがき続ける。
そういう損な性分をした領主なんだよ、こいつは。
「じゃ、じゃあ……さ」
少し照れたように、俯いてもじもじとして、デリアは不安げな顔を見せる。
大きな体を少し丸めて、上目遣いで俺に尋ねる。
「ミリィのことも……助けてやれるか?」
やっぱり、そこが一番引っかかってたんだな。
「モーマットとかは言い方がムカついたからぶっ飛ばしてやろうかとも思ったんだけどさ」
モーマット。お前に死の宣告が出てるぞ。
「ミリィには……完全にあたいの八つ当たりだったから…………その、悪いことしたなって…………たぶん、もうあたいのことなんか嫌いになって、会ってはくれないだろうけど……」
少し驚いた。
デリアでも、そんなネガティブなことを考えるんだな。
少し考えれば、ミリィがそんなことしないと分かりそうなものだが……自己嫌悪と罪悪感は普通の物事を最悪な状態に錯覚させてしまう。そんな心の弱さを、デリアも持っていたんだな。
「も、もし、川を堰き止めずにミリィを助けられる方法があるならさ、助けてやってくれないかな? あたいに出来ることならなんだってするから!」
ここにもいたか、「なんでもする」なんて危険な言葉を口にしてしまうお人好しが。
「……それで、ついででもいいんだけどさ…………出来たら、ミリィにさ、あたいが謝ってたって……伝えてくれない、かな?」
デリアがミリィを怖がっている。
会って冷たくされるのが怖いのだろう。
なんか、すごく貴重な映像を見ている気分だ。
「それはちょっと、出来ないかもしれないな」
声音を変えて、エステラがそんなことを言う。
あぁ、そういうことか。タイミングが素晴らしくいいな。
けどなエステラ……そういう『言葉遊び』は相手を見てやれ。でないと……
「なんでだよ!? お前、あたいのこと好きだって言っただろう!? 意地悪するなよなぁ!」
「ちょっ!? デリア! 待って、待っ…………うゎあああっ!」
デリアがエステラの襟を掴む。
背負い投げでもしそうな勢いだな。
「違う! 最後まで! 最後まで話を聞いて!」
「意地悪しないって誓ったら聞いてやる!」
「意地悪じゃなくて! いちいちボクらが伝言する必要がないって言ってるんだよ!」
「エステラの話は分かりにくい!」
「堤防を見て! 河原の上の道!」
懸命に叫び、河原の道を指さす。
ややきつめの傾斜の上。街道から延びるその道を見上げると、そこに――
「ぁ、ぁの……っ!」
ミリィが立っていた。
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