赤髪はんに手渡された小さな布袋はずしりと重く、その感触から中身が何か理解した。
……ホンマに、用意してみせたんやなぁ。
あの彼が、えらい真剣な顔して飛び出していった時、ウチは「まさかな」と思ぅたんや。
いくら彼でも、出来ることと出来へんことがあるやろと。
せやのに、店長はんも赤髪はんも、まるで信じきってるみたいに、「あぁ、これで大丈夫や」みたいな顔をしとった。
「……バオクリエアの香辛料や」
袋には、産地を示す『バオクリエア』の文字が入っとった。
「本物、やな」
店長はんらぁは、知っとったんやろか?
彼がコレを持っとるっちゅうことを。
……いや、そうやないんやろうな。
単純に信じとったんや。
『オオバヤシロなら、なんとかしてくれる』って。
「えらい信用されとるやないか、自分」
思わず、口元に笑みが浮かんだ。
アカンアカン。
大変な状況なんや。笑ぅとる場合やないで。
袋を開けて香辛料の品質を見てみる。
うわっ、これ、最高級品質のヤツやん!
よぅもまぁ、こないに仰山持っとったな!?
……あれ? でも待ってや? このクラスの品質の香辛料って他国に流通させとったかいな?
外に出すんは、同じ香辛料でももうちょこっとだけ品質の落ちるヤツまでで、これは王家が持ち出しを禁止しとったような……
アカン。
余計なことに気付いてもぅた。
入手経路は、今はどないでもえぇねん。
絶対に手に入らへんと思ぅてたもんが、今こうしてウチの手元にある。
間に合わへん思ぅてた状況がひっくり返った。いや、ひっくり返されてもぅた。
「ほなら、ウチがやることは一つだけや」
自分の荷物から薬研と、調合に必要な薬草を取り出し用意する。
間に合う。
間に合わせたる。
バオクリエアでは、薬の開発に時間がかかってもぅて数千人の犠牲者を出してしもぅた。
この街では、一人の犠牲者も出してたまるかいな。
「ウチを頼ってくれる人の信用、見事に守ったろやないかいっ」
腕まくりをして調合を始める。
香辛料ならなんでもえぇわけやない。
よぅもまぁ、こないにピンポイントで必要な香辛料を持ってきたもんや。
そういうところも、神懸っとるで、ホンマ。
ウチの言葉を聞いただけで、手に入らへんもんがコレやって気付いた勘の良さといい、それを知ってすぐに駆け出す行動力といい、多くを語らへん秘匿性といい……自分、なんやえらいカッコえぇやん。
「そう言ぅたら、飛び出していく直前の顔は、なかなか男前やったかもな……ふふ」
緩んだ口元を手の甲でこすって元に戻す。
……アカン、ニヤけてくる。
こういう職業やからやろぅな。
ウチは切羽詰まった人の顔を仰山見てきた。
切羽詰まった時、人は本性をさらけ出す。
怒鳴り散らす人、泣き喚く人、茫然として何も出来へんよぅになってまう人……
そんな中でも彼は特殊やった。
『何がなんでも助けたい』
あの力強い目ぇは、ほんの一瞬も揺らぐことなく、最良の結末だけを睨みつけとった。
確証はなくとも、可能性があれば迷わず飛びつく。しっかり掴んで離さへん。
使えるもんはなんでも使ぅて、絶対に助けたる。――そんな思いがひしひし伝わってきたわ。
トラの娘はんの時も、そして今回も。
「そう言ぅたら、ウチの家に来た時の顔も、なかなか男前やったかもな」
傘に入れてくれたん、嬉しかったな……
……アカン。
顏、熱ぅなってきた。
集中しよ! 集中集中!
ザッザッと薬研を動かす。
この音が心地えぇ。
待っとりや、お子様たち。
す~っぐによぅなるさかいな。今、めっちゃ効く薬作ったるわ。
「ホンマ、人生どう転ぶか分からんな」
ウチを信じてくれる人がおる。
ウチを頼ってくれる人がおる。
ウチの薬が必要や言ぅてくれる人がおる。
ウチはその信用を、何がなんでも守り抜いたる。
もう、半分くらい諦めとったウチの人生――
「捧げたろやないかい」
もう一回、この街で。
あの彼のもとで。
もう一回、ウチは――
「……ふふっ。笑ぅとる状況やないのになぁ」
らしくもなく口角が緩む自分に気付いて、ウチは強く思ぅたんや。
絶対に、最高級の特効薬を作ったるってな。
☆☆☆☆☆
レジーナに袋を渡した時、彼女の表情が変わった。
大したものだよ。
袋を持っただけで中身がソレだと気付いた彼女も。
話を聞いて必要なものがソレだと勘付き、あの一瞬で決断してしまった彼も、ね。
「不思議なものだね」
閉まった扉を見つめて、ボクは独り言ちる。
こうなることを予想していたわけじゃない。
むしろ驚いているくらいだ。
ヤシロが自ら進んでソレを差し出してきたことに。相応の覚悟が必要だったに違いない。
けれど、ヤシロはためらいもなく駆け出した。
あの時の顔。
「…………悪くは、なかったね」
あの顔を見た時、妙な安心感を覚えた。
「あ、もう大丈夫だ」と、確証もなくそう思えた。
だから、ボクたちはみんな行動を起こせたんだと思う。
ジネットちゃんはお湯を沸かしに厨房へ行き、マグダはシスターの手伝いに向かい、レジーナは薬草の確認を始めた。
きっとみんな同じことを思ったのだろう。
「もう大丈夫だ」とね。
そしてボクはこの場所を用意した。
ヤシロと二人きりで話が出来る場所を。
結果、ヤシロはどこまでもヤシロだった。
いつの間にか、ボクはヤシロを信用していたし、ヤシロはその信用にきっちりと応えてくれた。
そうだね。「信じていた」っていう言葉が一番ぴったりとくる気がする。
こうなることなんか予想できなかった。
心底意外で、驚いて、目の前で起こったことが信じられないくらいだ。
けれど、ボクは「信じていた」んだと思う。
確信していたわけじゃない。
確証があったわけじゃない。
ただ、信じていた。
オオバヤシロという人間を。
「……ホント、不思議なものだね」
今この段になっても、君のことを「善良ないい人だ」とは言い難いのだけれど。
……ふふ。そんなことを言うと、君が嫌な顔をするだろうからね。
けれど――
「根っからの善人はどこまでいっても、結局は善人ってことだよね」
自分で言ったそんな言葉を、もう一度呟く。
彼の心に届けばいいなと、小さな願いを込めて。
彼がもっと素直に、自分の中の正義を貫けるようになればいいなと思いながら。
「けど、『絶世の美少年』はないよね」
くつくつと笑いが込み上げ、緩んだ口元を隠す。
心地よい安心感に包まれて、ボクは廊下で一人その時を待った。
しばらくして、特効薬が完成したという知らせがレジーナ本人からもたらされた。
☆☆☆☆☆
夜遅くに特効薬が完成し、みなさんの顔に安堵の色が見えました。
もちろんわたしも、すごく安心しましたし、胸に重くのしかかっていたものがふわっと消えてなくなったような気分でした。
ですが、わたしはたぶん、もっと早くから安堵していたのだと思います。
ヤシロさんが『アノ顔』をされた、その瞬間から。
土砂降りの中飛び出していったヤシロさんの背中を見送り、無茶はしないでほしい、無事に戻ってきてほしいという気持ちと一緒に、心のどこかに「あぁ、これで大丈夫だ」と安堵する気持ちがあったんです。
無茶はしてほしくないのに、ヤシロさんに頼ってしまう。
そして、そんなヤシロさんの存在を頼もしく思ってしまう。
なんでもかんでも、甘えてしまってはダメだと思ってはいるのですが……
安心するんですよね……ヤシロさんのそばにいると。
それが偽らざる、わたしの本音なのです。
特効薬を飲んで間もなく、子供たちの容体が安定してきました。
唸るようだった寝息がすぅすぅと軽いものに変わり、くっきりと浮かんでいた眉間のしわがなくなり、どの子も静かに眠れるようになりました。
「もう大丈夫や」、そんなレジーナさんの声に、シスターは涙ぐんでいました。
本当に心配していましたからね。
シスターの顔から悲愴感が消えて、わたしもほっとしました。
特効薬を作ってくださったレジーナさん、子供たちの看病を手伝ってくださったエステラさんにマグダさん、そしてずっと子供たちについていてくださったシスターと寮母さん。
みなさんに心から感謝します。
そしてもちろん、ヤシロさんにも。
それから、わたしたちも交代で仮眠をとることにしました。
日中から気を張っていたシスターと寮母さんには先に休んでいただきました。
わたしは、エステラさんやレジーナさんと子供たちの様子を見守っていたのですが、押し寄せる睡魔に抗いきれなかったマグダさんがわたしの膝枕で眠ってしまったため、マグダさんを連れて仮眠室へ移動しました。
静かな部屋の中で、雨の音だけが聞こえてきます。
「……ヤシロさん、大丈夫でしょうか?」
ふと、階下が気になり、そんなことを呟きました。
現在、わたしたちがいる仮眠部屋は、普段は女子部屋として使用している部屋です。
今夜は看病のために男の子も女の子も男子部屋に集めていました。だから、子供部屋が一部屋空いていて、そこを仮眠用の部屋にしたのです。
「けれど、ヤシロさんを同じ部屋で寝かせるわけには、いきませんものね」
シスターの寝姿を男性に見せるわけにはいきませんし、それに、今現在ヤシロさんは、その……お洋服が濡れたせいで、あの……つまり…………
「こ、こほん」
どんなに大人しい人でも、寝相までは制御できません。
しっかりと毛布に包まっていたとしても、万が一ということがあります。
そんな万が一を、万が一にも目撃してしまったら…………あの…………だから……その…………
「こほんっ」
とにかく、ヤシロさんは一階で、我々女性は二階で仮眠をとることにしました。
そんなわけで、シスターも自室には戻らず子供部屋で仮眠をとるのです。
……階下に降りて、うっかり目撃してしまうと、大問題ですから。
「…………」
眠るマグダさんの髪を撫でると、ふわふわでさらさらの髪が指の間をすり抜けていきます。
ヤシロさんの髪は、ちゃんと乾いたでしょうか?
濡れた髪を拭いた時を思い出すと、自然と指が動いてしまいました。
あの時間を思い出すように。
……この手の中に、ヤシロさんの頭があって、静かな時間の中でヤシロさんの呼吸だけが聞こえて……なんとも満たされた時間でした
あの時、わたしの胸の中は感謝の気持ちでいっぱいでした。
シスターから子供たちの異変を聞いた直後、土砂降りの中を走ってレジーナさんを呼びに行き、教会に着いてからまたどこかへと大雨の中飛び出していったヤシロさん。
「なんとお礼を言えばいいのでしょうか」
ヤシロさんがいなければ、レジーナさんと出会うこともありませんでした。
ヤシロさんがいなければ、特効薬の材料が揃いませんでした。
ヤシロさんがいなければ、わたしとシスターだけでは、きっとおろおろと戸惑って何も出来なかったと思います。
ヤシロさんがいなければ、今、こんなに穏やかな気持ちでいられませんでした。
「ありがとうございます、ヤシロさん」
そう呟いた途端、睡魔が襲ってきました。
ヤシロさんの顔を思い出したから、でしょうか。
いつも、どんな時でも、何度でも、わたしに安心を与えてくれる、アノ顔を。
わたしも少し仮眠をとりましょう。
明日になれば、つらいことがすべてなくなっていますようにと祈りながら。
「おやすみなさい、ヤシロさん」
そう呟いたのがよかったのでしょうか。
その夜、わたしはとても幸せな夢を見たのでした。
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