候補生が帰った後、俺たちは本館の応接室へと移動し、そこでまともな味の焼き菓子を食っていた。
「美味しいなぁ。ボク、こういうの好きだなぁ」
さっきは無言で死んだ魚のような目をしていたエステラが、嬉々として焼き菓子を頬張っている。
リスか、お前は。ほっぺたぱんぱんだな。
「どうだった、ヤシぴっぴ?」
紅茶を片手に、マーゥルが興味深そうな目を俺に向ける。
「見事なまでの同調現象だな。マイノリティーは悪であるかのような強迫観念にとらわれてんのかねぇ」
「二十九区……ううん。『BU』の中では、あぁいう若者がほとんどなのよ」
マーゥルが紅茶のカップにため息を落とす。
紅茶に映る自分を見つめるように、寂しげに呟く。
「つまんないわよね、みんな一緒なんて……」
それは、若者に対してというより、この二十九区を取り巻く「そうあるべき」空気に対する批判に聞こえた。
「小さな枠組みを自ら作りそこに入り込んだ者は、そういう傾向が強くなる」
例えば、奇抜なファッションや独特の言語を気に入り使用する、いわゆるギャル・ギャル男と呼ばれる者たちは、自分たちの決めたルールを暗黙のうちに他者へと強要していることが多い。
こういう格好をしないとダサい。このモデルを知らないとイケてない。この場所にいないと話にならない。この言葉を知らないヤツは遅れている、等々……こういう際の『ダサい』等の言葉は、時にさも罪であるかのようにあげつらわれることがある。その『罪』を犯す者は、そのグループには存在できない。
そういう暗黙のルールがあるから、彼ら彼女らは必死に『流行』を追い求める。その流行が、彼らの間だけでしか通用しない極めて狭い世界限定のものだとしてもだ。
そんな厳しい制約を強要される世界にいる者には、ある特有の傾向が見られるようになる。
それが、同調現象。
分かりやすい例が、結論を言わない話し方だ。
「○○なんだけど~」と、結論を濁し明確な結論を出さないことで相手に批判や反発をさせない話し方だ。
仮に相手から反論された際は、「そういうことじゃない」と、さっさと逃げ出してしまう。
「すごくダルいんだけど~」の後には「だから頑張らない」も「だけど頑張る」も、どちらも付けることが可能であるため、相手の不興を買った瞬間に手のひらを返せるのだ。
また、「○○じゃな~い?」という言い方も多用される。
これはもっと分かりやすく、相手を同調させる――「自分と同じ考え」=「自分の味方」に引き込む話し方だ。
「○○じゃな~い?」への正しいアンサーは「だよね~」であり、「そうかな?」「それは違うんじゃないか」なんて返答は認められない。それは、彼らの言うところの『罪』に当たる。
そんな返答をすれば「マジありえない」「空気読めてない」「サムい」と、グループ内から排除されてしまう。
だから彼ら、彼女らは必死に表面を取り繕う。
『自分は味方だ』と分かりやすい仮面を被る。
だが、無理やり取り繕った『自分』なんてものは簡単に瓦解し、すぐにボロが出る。
「さっきの候補生は、その典型だな。定型文を禁じられた瞬間、敬語すらまともに使えなくなっていた」
「アレは、極端な例だと思うけどね」
「それが、そうでもないのよぉ」
苦笑を漏らすエステラに、マーゥルは困り顔で首を振る。
マーゥルが特に酷い若者をわざわざ集めたというのでない限り、無作為に集まった若者があぁいう結果になったということになり、……結構深刻な状況だと言えるだろうな。
より深刻なのは、同調現象が「同調の強要」から、「異論者の排除」にまで及び始めている。
その傾向が強くなれば、やがて『自薦の用心棒』へと進化してしまいかねない。
『自薦の用心棒』というのは、平たく言えば、反論を事前に封殺する者のことで、「あの人は酷い人だから話聞いちゃダメだよ」とか、「あの人嘘ばっかり言ってるから関わっちゃダメだよ」というようなネガティブキャンペーンを事前に展開させ、反論しそうな存在をあらかじめ排除しようとする心理のことを指す。
戦争状態でもないのに、「敵国を歓迎するな、排除せよ」という意思を国が表明することで全国民が特定の国へ反感を覚え敵視するようになる。そういう政策で国民を取りまとめようとする者は少なくなく、事実そういう国は存在する。
二十九区にそれをやられると、今回の交渉は破綻確実だな。
「あの黒い服もね、少し前までは誰も着ていなかったのよ……」
と、マーゥルが一枚の紙を差し出す。
そこには、『BU』内で流行っているファッションや、注目フードなどという記事がびっしりと書き込まれていた。
どうやら、瓦版のようなものらしい。
一枚紙なので、情報誌ではなく情報紙というところか。
言葉は自動で翻訳されるわけだから、瓦版に向いた言語を有する者がいれば、比較的簡単に作れるかもしれない。
日本語のタイプライターは複雑になるが、アルファベットならシンプルな構造に出来る――みたいなもんだ。
「おや、これは……」
「あっ……」
ウェンディが何かを見つけ、セロンがそれを見て声を漏らす。
二人が見ているものを見て、マーゥルがつまらなそうに注釈をつける。
「今はね、こういう人が流行なんですって」
マーゥルが指さした先には、美人画とでもいうのか、シンプルながらも味のある女性のイラストが描かれていた……のだが。
「これ……どう見ても、ナタリアだな」
その服装、雰囲気、髪形は、どう見てもナタリアそのものだった。
「数ヶ月に一度、こうやって『こういう人が美人』みたいな記事が書かれるのよ」
「ってことは、これは偶然……?」
エステラが食い入るように、情報紙の中のナタリアを見つめている。
黒髪を短く切り揃え、知的なメガネとシックで大人っぽい黒の衣装をまとった女性のイラスト。
イラストなので顔の造りは似ていないが、雰囲気がすごくナタリアだ。見るからにナタリア。見れば見るほどナタリアなのだ。
「だから、ナタリアが異常に持て囃されたんだ……」
腑に落ちるという言葉のお手本みたいな『腑に落ちフェイス』でエステラが呟く。
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