キッチンを出て、香辛料が並ぶ廊下を抜けて、店舗へとやって来る。
――と。
「飯食った後に、湯冷ましで飲むんだぞ。なるべくゆっくりな?」
彼が接客をしとった。
どこぞの幼い子供に、薬の飲み方を丁寧に教えて、頭を撫でて、送り出す。
「おう。遅かったな。客が来てたから薬売っといたぞ」
「様になっとったやん。もう、ここで働いたらえぇのに」
ほんの少しの願望を混ぜて、そんな冗談を口にする。
「俺は高ぇぞ」
「ほな、体で払うしかないなぁ」
「……お前、債務がどんどん増えていくぞ?」
「え、ウチがお金取られる方なん、それ?」
世知辛い世の中やなぁ。
まぁ、ウチなんかとそういう関係になって、喜ぶ男なんかおらへんわな。
「ほい、店長はん、お茶やで」
「俺がここの店長になったら、従業員は全員ミニスカで上はビキニを義務付けようかな」
「えぇ……ウチ見たないなぁ、自分のミニスカビキニ」
「俺もその格好すんのかよ!?」
「店長も従業員の一人やろ?」
「く……小癪な。これだから知恵の回るヤツは」
不満そうに漏らして、カウンター前の椅子に腰を下ろす。
作業台も兼ねるテーブルにお茶を置いて、ウチはカウンター奥の椅子に座る。
二人の距離は2メートル弱。
程よい距離感や。
「んっ、なんか美味いな今日のお茶」
「ごふっ!」
一口飲んで、そんなことを言う。
せやから、盛大にムセてもうた。
だって……だってやで?
今日のお茶には、ウチのラブラブオーラがてんこ盛りにぶち込んであるから…………まぁ、そんなんは関係ないんやろうけど…………さすがにちょっと照れたわ。
「お前……お茶を飲む体力までなくなってるのか?」
「ちゃうわ、アホ! ……ちょっと変なところに、いや、エロいところに入っただけや」
「なんで言い直した? 変なところでいいだろうが」
うっさい。照れとんねん、こっちは。
あぁ、もう!
お茶が美味い言われただけで、なんでこんな浮かれなあかんねんな。
ほんま、大概にしぃや。お茶やお茶。
葉っぱ入れてお湯注ぐだけ!
サルでも出来るわ。
そんなもん、褒められたかて……
「毎回思うけど、お前のお茶ってなんか美味いんだよな。こう、スモーキーっていうか、キリッとしててさ」
それはもしかしたら、大量に並べられた香辛料のせいかもしれへんな。
あそこの空気が、もう、そうなっとんねんやろうな、きっと。
「好きだぞ、俺は。お前のお茶」
「――っ!?」
……この男は…………
その一言が、どんだけ恐ろしい殺傷能力持っとるかも知らんと…………
思わず顔を逸らし、そっぽを向いて、敵の攻撃を拡散させるために言葉を連ねる。
「ま、まぁ、ウチにも一つくらいは特技あるっちゅうことやな。もっとも、それ以外はな~んにも出来へん欠陥品みたいな女やけどなぁ~はっはっはっ。どないする? 夕飯毎日お茶だけやったら? お腹ちゃぷちゃぷになって毎晩オネショやで? あぁ、そうか。自分はそういうプレイもお好みなんやったなぁ~、いや~、自分のマニアックさには脱毛やなぁ~って、誰がムダ毛濃い女やねん!? 脱帽や、脱帽!」
アホな言葉を捲し立てて、少しでも殺傷能力を薄めておかな、一瞬で撃ち抜かれてまうからな。
いやぁ、ホンマ、無自覚男の相手は疲れるなぁ~っと。
「お前のどこが欠陥品だよ」
…………へ?
「別に、料理だの掃除だのが出来なくったって、そんなもん気にすることじゃねぇだろうが。出来るに越したことはない程度の話であってよ。そんなことで欠陥品扱いなんかするヤツは、そいつこそが脳みそか心に欠陥があるんだよ」
なん……やねん。
なんで、ちょっと怒ってんの?
「せ、せや言ぅたかて……男は女に、そういうもん求めとるんちゃうんかいな?」
「なら俺は欠陥男かよ? 筋肉もねぇし、力も弱いし、夜道怖いし」
「そんなん。誰も自分にそういうんは求めてへんし……」
「お前にもな」
「…………え?」
いまだ、少し不機嫌そうな目でウチを見つめる。
けれど、口調はどこか気遣うような、くすぐったい声音でウチの鼓膜をくすぐる。
「お前はお前でいいんだ。誰もお前に料理だの掃除だのを求めちゃいねぇよ」
「……せ、せやな。ウチなんか別に誰にも必要とされて……」
「怒るぞ?」
「…………」
それは、割と真面目な目で……
ウチは何も言えなくなった。
ゆっくりと立ち上がり、こっちに近付いてくる。
顔が……ちょっと、怖い…………
カウンターに手を突いて、グッと身を乗り出して、ウチの顔を覗き込んでくる。
壁とカウンターと、彼に囲まれて……逃げ場がなくなる。
「お前を必要としている俺を無視して、なに勝手なこと言ってんだよ?」
ウチを、必要としてる……?
「俺はな、俺が気に入ってるもんを悪く言われるのが大っ嫌いなんだ。たとえ本人であってもな」
……ウチを、気に入ってる……?
「お前はお前でいい。何度も言わせんな」
ウチ…………このままで、いいんかいな?
ゆっくりと、彼の顔が離れていき、こちらに背を向けて、再びカウンター向こうの椅子へと戻っていく。
「……感謝してんだからよ、これでも」
なんて、囁くような声で、でもしっかりとこっちに届くように呟いて……照れたような顔でお茶を一気飲みする。
……自分、アカンで。
ホンマ、凶悪や。極悪や。
…………ウチの心、完全に射抜かれてもうたやないか……
泣きそうやっちゅうねん。
「な、なんやねんな、自分!? はっは~ん、さてはウチに惚れとるな!? べた惚れやな!? 分かる、分かるで! ウチ、ルックスとスタイルは文句なしやさかいなぁ、まぁ、しゃーないわなぁ。なんやったら、付き合ぅたろか!?」
ぎゃー!
ウチ、何言ぅてんねん!?
テンパり過ぎにもほどがあるでっ!?
「……いやぁ、それはいいわ……」
「なんやねん、そのしょっぱそうな顔!? ちょっとは悩む素振り見せぇやっ!」
助かった!
うまいこと笑いに変わった!
けど、それはそれでムカつくなぁ!?
「俺はもうちょっと、今のままでいたいかなぁ」
テーブルに突っ伏して、ぐでっと体を弛緩させて、そんなことを言う。
今のまま…………
確かにな。
ウチも結構好きやで、自分とのこの距離感。
どんなことでも話せて、どんなことも話さんでもえぇ、ウチらだけのこの空気感。
「あぁ……やっぱ、ここいいわぁ。落ち着く……」
「…………」
こっちに顔も向けんと、ぐでぐでにだらけながらそんなことを言う。
アホ……今の発言、クリティカルヒットやっちゅうねん。
「お茶、なくなったな。もう一杯入れてきたるわ」
「ん~。たのむ~」
朝からバタバタしてたせいか、完全に弛緩モードに突入したみたいやな。
ちょうどえぇわ。
……今は、顔とか、ちょっと見られへんし。
彼の湯飲みを取って、もう一度住居スペースへ向かう。
『今のままでいたい』……か。
ほんなら、忘れんとってや……ウチのこと。
なんやかんや言うたかて…………名前、呼んでもらえへんのは、結構つらいんやで?
あ……そういえばウチ、名前、呼んでへんなぁ。
なんや、照れ臭ぅて、よう呼ばれへんねんなぁ。
けど……今、なんか…………ちょっと呼んでみたい気分やな。
「…………ヤシロ」
なんてな!
今さら恥ずかしゅうて名前なんか呼べるかいな!
全っ然聞こえへん小さい声で囁くんが精一杯やっちゅうねん!
さぁ、アホなことしとらんと、お茶淹れに行こっ!
と、足を踏み出した時――
「ん? なんだ、レジーナ?」
――なんでやねん。
なんで聞こえとんねん。
ほんで……なんでこのタイミングで名前思い出してくれてんねんっ!
「…………っ!」
アカン。
嬉しい時に涙出るなんて、絶対嘘や思ぅてたのに…………ホンマやんか!
……こんな顔、見せられへんっちゅうねん!
「今日はやっぱりやめや! もう、美味しいお茶淹れられる気ぃせぇへん!」
カウンターに湯呑を置いて、弛緩するヤシ…………『彼』を無理やり立たせて、そのままドアの向こうへと押し出す。
「ちょっ!? おい、なんだよ、レジーナ!?」
「今日はもう閉店なんや!」
「まだ昼過ぎだぞ!?」
「ウチの心はいつでも真夜中や!」
「年中卑猥タイムっていう風にしか聞こえねぇよ、お前が言うと!」
「あー、お店閉めて卑猥なことしよっ!」
「お前、ちょっとは女子としてのあれやこれやを身に付けろよ!」
ふん。
なに言ぅとんねん!
「あいにくやな。ウチにはな、『お前はお前のままでえぇ』っちゅうてくれる人がおるねんや!」
言いながら、彼を突き飛ばして素早くドアを閉める。
『おい、レジーナ!』
ドアにもたれて、彼の声に耳を傾ける。
『レジーナって!』
……もう一回。もう一回だけ、名前呼んでんか?
『……ったく』
そこで声は途切れる。
ふふ……やっぱり、思ぅてるだけでは通じひんか。
『レジーナ』
「――っ!?」
『また来るからな』
「…………まいど、あり」
遠ざかっていく足音。
膝の力が抜けて、ドアにもたれたまま、ずるずると体が床に沈んでいく。
……アカンわ。
ホンマ……自分、凶悪過ぎるわ。
最後の最後に、名前囁くとか…………惚れてまうやろっちゅうねん。
「……アカン。しばらく顔見られへん…………」
遠慮なく赤く熱を上げる顔を両手で隠し、彼の匂いが微かに残る店内で一人蹲る。
あぁ……もう。ウチ、末期やなぁ。
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