「まぁ、待ちなよ、ヤシロ」
さっさと帰ってしまおうと歩き出した俺を、エステラが呼び止める。
んだよ……
「君はさっきこう言ったね? 『ベルティーナのことは俺がなんとかしてやろう』」
…………げ。まさか、こいつ……
「頑張るたって、俺は医者じゃねぇんだぞ。大根がなかった時点で出来ることなんかなんもなくなったよ」
「だが、君は自分で言ったんだよ。『ベルティーナのことは俺がなんとかしてやろう』ってね」
くそ、迂闊なことを口走ってしまったもんだ……最近緩みっぱなしだったせいかな。
「あの、エステラさん! ヤシロさんも可能な限りのことはしてくださったわけですし、これ以上のことは……」
「いや、まだ出来ることは残されているよ」
エステラがニヤリとあくどい笑みを浮かべる。
「何をやらせるつもりだよ?」
「薬草を取ってきてもらうのさ」
なんだ、そのRPGにありがちなクエストは?
見返りにどこかの遺跡のカギでももらえるのか?
「どこにあるんだよ、その薬草ってのは……」
街を出て魔獣の出る森の中を探し回れとか、ドラゴンの巣になっている岩山を登れとか、無茶なことは言わねぇだろうな?
「どこって、薬屋だけど?」
「…………ん?」
「薬屋が大通りの向こうにあるから、お腹に効く薬をもらってきてくれないか?」
…………おつかい?
「なんだ、そんなことか。まぁ、それくらいなら……」
ガンガランガラン!
突然デカい金属音が聞こえて心臓がキュッとした。
見ると、モーマットが足元に広げた農具に躓いて尻もちをついていた。
……何やってんだよ?
だが、どうも様子がおかしい。
「く、薬屋って…………ま、まさか……レジーナ・エングリンドのことか?」
レジーナ・エングリンド?
「そうだけど」
「や、やめとけ! ヤシロ、悪いことは言わねぇ! ヤツには近付くな!」
「お、おい……なんだよ。そんなにヤバいヤツなのか?」
「ヤバいなんてもんじゃない……ヤツは、悪魔の使いなんだよ」
悪魔の使い、だと……?
「レジーナってのは、ヤシロみたいに外からやって来た女なんだが……とにかく怪しいヤツで、体に効きそうもないおかしなものを粉にして人に飲ませようとしてくるんだよ。気持ちの悪い魔獣の死骸とかをな……」
なんだ、そりゃ……
「そんな危険なヤツなら追い出せばいいじゃねぇか」
「出来るわけねぇだろ!? ヤツは悪魔の使いなんだぞ!?」
「悪魔の使いって……魔法でも使うのかよ?」
「分からん……だが、おそらくそんなところだ」
モーマットの額には粒のような汗がいくつも浮かんでいる。
真っ青な顔をして語るモーマットの姿は、それだけで十分レジーナという女の異常性を物語っていた。
「なにせ……これも聞いた話なんだが……ヤツには『精霊の審判』が効かねぇんだよ」
「なんだとっ!?」
『精霊の審判』が、効かない……?
「それは、本当なのか!?」
「いや、だから、聞いた話だって!」
「どんな話を聞いたんだ!? 詳しく聞かせてくれ!」
これはすごい情報だ。
もし、『精霊の審判』を無効化する方法があるのだとすれば……詐欺し放題じゃねぇか!
そのレジーナとかいう女、調べる必要がありそうだ。
「き、聞いた話だぞ? 聞いた話なんだが……」
モーマットは念を押すように前置きをしてから、レジーナについて知っていることを話し始めた。
「高熱が下がらなくなったヤツが、仕方なくレジーナを頼ったらよ、明らかに危険なものを飲まされそうになったんだってよ。それで、そいつは言ったんだ、『そんなものが熱に効くはずがない! 嘘を吐くなら精霊神様に裁いてもらうぞ!』と――」
モーマットの喉がごくりと鳴る。
そして、背筋に悪寒でも走ったのだろう……体をぶるりと震わせた。
「――そうしたら、レジーナはこう言ったんだよ……『やってごらんなさい……私は絶対カエルにはならないから』……ってよ」
はっきりと、『精霊の審判』が効かないと宣言しやがったのか……
「それ、マジなのか? ハッタリじゃなくて」
「そいつが言うにはよ、とても嘘を言っているようには見えなかったってさ。こう、雰囲気とか話し方とかを見てな」
絶対的な自信に裏打ちされた言動、ってことか…………面白い。
「エステラ。その薬屋はどこにあるんだ?」
「行くのかい?」
「あぁ。当然だ――」
『精霊の審判』を無効化する方法に興味があるからな……とは言えないので――
「――ベルティーナが、心配だからな」
「優しいね、ヤシロは」
エステラが目を細める。
確実に俺の発言を信じていない目だ。だが、それを責めるような素振りはない。
……こいつ、何を企んでやがる?
俺をその薬剤師に会わせて、何かをしようってのか?
まぁいい……
今の俺に必要なのは情報だ。
眉唾だろうが都市伝説だろうが、必要そうな情報はなんだって欲しいのだ。
お前の思惑に乗ってやろうじゃねぇか。
「お、おい……ヤシロ。本当に行くのか?」
モーマットが心配そうな顔で俺に尋ねてくる。
ワニ顔に心配されるってのも、なんだか不思議な気分だ。日本なら、ワニがそばにいることの方が危険な状況だからな。
「薬なら、薬師ギルドに頼んでみたらどうだ? 少々値は張るが、その方が安心だぜ?」
「薬師ギルド?」
「オールブルームを股にかける、薬屋を束ねるギルドさ。多くの人がそこから薬を買っている」
エステラが丁寧に説明をしてくれる。
こういう言い方をする時は、こいつ、あんまり相手のこと好きじゃないんだよな。
「ただ、薬の価格があまりに高過ぎて一般人には手が出しにくいんだけどね」
ほらな。
そういえば、狩猟ギルドで薬箱を買い取る時、こいつは金貨を出していたな。
やはり薬は高価なものなのか。
「で、そのレジーナってのは違うのか?」
「彼女は薬師ギルドのやり方が気に入らないと言って、別のギルドを作ったんだよ」
「それはありなのか? 競合するギルドが出来ないように教会が管理してるんじゃなかったっけ?」
「競合しなければいいのさ」
「でも、薬を売ってるんだろ?」
「その薬の製法がまるで違うから、問題視されなかったんだよ」
薬の製法か。
エステラの話をまとめると、薬師ギルドは、教会と薬師ギルドが共同で管理する薬草農園で栽培された安全な薬草の実を使用して、受け継がれてきた伝統のレシピで薬を作っているのだそうだ。
一方のレジーナは、安全の確認されていない怪しい草で薬を作っているらしい。また、製法も独自のものらしい。
教会との共同運営による絶対的な安心感と知名度、実績を持つ薬師ギルドと、ふらりと現れ正体不明の草や魔獣で怪しげな薬を作るレジーナ。それだけ取ってみても、二者が競合することはないだろうと判断され、教会は新たなギルドの設立を許可したらしい。
むしろ、レジーナが薬師ギルドに入ってこないように隔離したと言ってもいいかもしれない。
「今、彼女のギルドは彼女一人だけだ。当然、四十二区以外には存在しない。地域密着型の薬屋だね」
要するに、零細なんだろ?
「そして、四十二区唯一の薬屋とも言える」
「四十二区に薬師ギルドの支部はないのか?」
「四十二区の住民は貧しい者が多いからね……」
「薬が高価で、買うヤツが少ないってことか」
「そう。そして、商売にならないとなれば、商人はそこに居つかない」
エステラの眉間にシワが寄る。
そういうところも、エステラが薬師ギルドを嫌う理由なのかもしれない。
こいつは、なんだかんだと四十二区が好きなんだよな。
つまりだ、エステラの狙いはこうだ。
レジーナの薬は安全で効果もあるのだということを、俺を使って実証しようというわけだ。
もっとも、実験台になるのはベルティーナなのだが……
モーマットの話を聞く限り、直接会うことすら危険な感じがする女でもある。
使えれば使いたい。でも自分で試すのは怖い……そこで俺か。
コノヤロウ……やってくれるな。
だが、まぁ、いいだろう。
俺自身がそのレジーナに興味を持っちまったからな。
「いいぜ。お前の策略にまんまと乗ってやるよ、エステラ」
「策略とは心外だね。情報提供をしたまでだよ」
「あ、あの、ヤシロさん……っ!」
ジッと黙って話を聞いていたジネットが堪らずという感じで声を発する。
不安げな表情で、言いにくい言葉を絞り出すように、ゆっくりと口を開く。
「その……大丈夫、なのでしょうか……?」
「任せとけ。俺がきちんと見極めて、怪しそうならベルティーナに飲ませたりはしねぇよ」
「い、いえ! そうではなくて…………ヤシロさんが……」
「え?」
俯いてしまったジネットの表情は見えない。
けれど、両手をギュッと握りしめていることから、どんな顔をしているのかは想像に難くない。
「……もし、ヤシロさんの身に、何かあったら…………わたしは……」
ジネットもレジーナの噂くらいは耳にしたことがあるのだろう。
悪い魔法使いかのような印象を持っているのかもしれない。
だが、俺に言わせれば、嘘を指摘された途端カエルになっちまう『精霊の審判』こそが性質の悪い魔法なのだ。そんなもんがまかり通っている街で暮らしている以上、悪い魔法使いの一人や二人、相手にしたところでどうってこともない気がする。
「まぁ、十分気を付けるから、そう心配すんな」
「…………はい」
何に気を付ければいいのかなど分かりもしないが、そう言って笑ってやる。気休め程度にはなるだろう。
「んじゃ、モーマット、邪魔して悪かったな」
「あ、あぁ……いや、構わねぇよ」
情報をくれたモーマットに礼を述べ、俺は台車に手をかける。
「ヤシロ!」
「ん?」
「……気を付けろよ」
「あぁ」
心配性のワニに、軽く手を振ってやる。
お前がそんな顔をしていたらジネットに不安が伝染するだろうが。心配すんな。
モーマットに別れを告げて、俺たちは陽だまり亭を目指して歩き出す。
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