「早く入れ、寒い」
馬車の入り口で突っ立っている俺に、ルシアは焦れたように牙を剥く。
こんな夜中に、こんな狭い密室で異性と二人っきりになっていいのかよ領主様。
お前の不名誉な噂、飛び交ってるらしいぞ。
「日を改めて出直してくる。それまで大人しくしていろ」
「バカか、貴様は」
初めて会った時のような鋭い眼光が俺を射貫く。
「そんなに待てると思うか? 私だぞ?」
「自慢にならねぇことを自慢してんじゃねぇよ」
なら、自発的に忍耐力を鍛えてくれ。
「また、あらぬ噂を立てられるぞ」
「気にするな。有象無象の弱小貴族の倅どもが寄ってこなくなって、むしろ喜ばしいくらいだ」
「本命も遠ざかって行っちまうかもしれないぞ」
「幸いにして、私の本命はそのようなくだらないことを気にするような男ではないのでな」
長い髪をかき上げ、うっすらと頬を染めて呟く。
「ハム摩呂たん、らぶり~」
「その病気、三十五区中に言い触らすぞ」
そうすれば、どんなに俺といようと、どこで俺といようと、妙な噂は立たなくなるよ。
それどころか、俺に対する同情の視線が集まってくるだろうよ。
「ごめんね。あんな領主の相手を押しつけちゃって」ってよ。
「いいから入れ」
腰を浮かせて馬車の中を移動し、俺の服を掴んで馬車へと引き上げる。
密室に連れ込まれちまったよ、俺。
これ、逆だったら俺極刑なんだぜ? 理不尽だろ?
「レジむぅは無事行ったか?」
「その前に、いつの間に付けた、そんな奇妙なあだ名」
「私は可愛い女子が好きなのでな。親密度を上げることに余念がないのだ」
「それが余念だっつーの」
可愛い娘にうつつを抜かしてる暇があったら働け、駄領主が。
「バオクリエアは、これから一層きな臭くなりそうだな」
「レジーナがさせないさ」
諦めて馬車に乗り込み、座席に腰を下ろす。
ルシアの斜向かい。一応ルシアが奥になるように意識する。
「現国王の病を治し、幅を利かせている第一王子に牽制して、けろっとした顔で無事に帰ってくる。こいつは決定事項だ」
きっとレジーナなら、オールブルーム侵攻の企てを阻止してくるだろう。
第一王子の切り札を無効化するような薬を作ってな。
「ふむ。貴様は随分とレジむぅを信用しているようだな」
「…………」
つい先ほどの出来事が脳内に浮かび、思わず言葉に詰まる。
触れた部分が、まだ熱い。
「……ま、そこそこ長い付き合いだからな」
「気になる間だな。何かあったか?」
なんもねーよ。
「にゃもーひょっ!」
「急に奇妙な声を発するな! ビックリしたわ!」
違うんだ。
なんもねーよと言いたかったんだ。
ちょっと噛んじゃったけどな。ちょっとだけな!
「まぁいい。アレも私のだから手を出さぬように」
「いつからお前のもんになったんだよ」
『アレ』とか言ってるヤツにやれるか、バカめ。
あと、『も』ってなんだ、『も』って。
欲を張ると最終的に身を滅ぼすんだぞ。昔話のお約束だ。
「なかなかそちらには行けぬが、話だけは聞いている」
「ムリして来なくていいぞ」
「行くわ! バカめ!」
今なんで罵られたんだ、俺?
「洞窟に出たカエル。その尻尾は掴めたのか?」
「それに関しては、エステラに聞いてくれ。今から話をしている時間も体力もない」
レジーナの考えを読んで、そこから大急ぎでいろいろと準備に奔走したのだ。
体はとっくにガス欠。
気力の方も、レジーナの一撃で使い果たした。
俺はもう布団に潜り込んで眠りたいんだよ。
「そうか、分かった」
大人しく退いてくれてよかった。
さすがに時間が時間だしな。
こいつも普段の仕事で疲れているだろう。今日はさっさと休め。
明日か明後日にでも改めて出向いてやるさ。その時はエステラを連れてな。
「では、今から四十二区へ向かおう」
「お前、今何を分かった!?」
俺の考えが分かったなら、お前は今すぐ馬車を降りて自室に帰って鼻提灯膨らませて眠りにつけよ!
「バオクリエアが侵攻してくるとすれば海路が有力だ。三十五区は最前線になる可能性が高いのでな、些細な情報でも聞き漏らすわけにはいかんのだ」
「だから、改めてエステラと出向いてやるっつってんだよ。あと一日くらい待ってろ」
「ラーメンが食べたい」
「なんでお前が知ってんだ!?」
まだ完成もしてねぇからどこにも情報出してねぇんだぞ!?
「貴様がレジむぅの偽名乗船許可をもらいに来た際に見せられたエステラの手紙に書かれていた。ジネぷーの新しい料理だそうだな。しかも、大層美味だと自慢気に書かれていたぞ」
……エステラめ。
よし、責任はあいつに取らせよう。
「四十二区に来たいなら好きにしろ。エステラの館に突然訪問して、強引に客室に潜り込んで寝ればいい」
「あの館の給仕たちは、私に大層懐いておるのでな。強引にするまでもなく寝室を整えてくれるだろう」
エステラが世話になってるもんなぁ。
領主の中では、数少ない同性の友人だ。
……トレーシーは、友人というか、愛人っぽいしな。……いや、ストーカーか。
「というわけで、ギルベルタ!」
「いる、ここに、私は」
ばたーんと馬車のドアが開き、ギルベルタが大きな荷物を背に抱えて馬車に入ってきた。
準備万端かよ。
「つか、自分の馬車で行けよ。帰りもあるだろう?」
「問題ない、その点は」
ルシアの着替えや身だしなみセットが入っていそうな荷物を降ろし、ギルベルタが自信たっぷりに言う。
「上手、私は、イメルダ先生に甘えるのが」
「帰りも馬車出せってことか……」
まぁ、ルシアならともかく、ギルベルタのお願いなら聞きそうだな、イメルダ。
あいつはなんだかんだ面倒見がいいし、何気に無邪気な年下系女子が好きだからな。
……実年齢は、たぶんギルベルタの方が上なんだろうけれど。
「もう、俺は何も知らないからな……」
俺が決めたことじゃない。
他区の領主様には逆らえない、悲しき一般ピーポーなヤシロ君は、今日も今日とて権力を笠に着た横暴な貴族のわがままに振り回されるのでした。
そんなストーリーで、俺は部外者を貫くからな?
ギルベルタが乗り込んできたドアの向こうでは、馬番の爺さんが手を合わせて「申し訳ない」と俺を拝んでいた。
……ま。
女が多い場所だと、男の立場は弱くなるもんな。
分かるよ、爺さん。
抗おうとしてくれたその心意気だけで、俺は十分さ。
ドアが閉まり、馬車が動き出す。
と、ルシアが御者側に取り付けられた小窓を開ける。
「すまぬが、少し寄り道を頼む」
小窓から御者の爺さんに進路変更を要請する。
「一度、街門の前まで行ってくれ」
「承知致しましてございます」
爺さんがゆっくりと頷き、馬車が進路を変える。
ルシアの家から大通りに出る方が近いのだが、街門の方へと回り道をする。
程なく街門の前に到着し、馬車が停車する。
「到着致しました」
小窓の向こうから爺さんの声が聞こえる。
ルシアは窓を開け、そこから街門をじっと睨み付けるように見つめた。
「……かならず、無事に帰ってくるのだぞ」
もうそこにはいない相手へ向けて、祈りのこもった言葉を発する。
窓を閉め、御者側の小窓へ向かって告げる。
「ありがとう、もう十分だ。あとは四十二区まで頼む」
「畏まりましてございます」
再び爺さんがゆっくりと馬車を発進させる。
ガタゴトと揺れる馬車の中、ルシアはじっと窓の外――海のある方向を睨み付けるように見つめていた。
俺も、真っ暗で何も見えないが、その先にあるのであろう海へ向かって祈りを飛ばしておく。
「少し眠る」
街門から遠ざかってしばらくすると、ルシアはそう言ってまぶたを閉じた。
ギルベルタが荷物の中から毛布を取り出しルシアにかけてやる。
「ギルベルタも少し寝ておけ。明日、大変だぞ」
「ありがとう言う、私は。甘える、お言葉に、友達のヤシロの」
そして、自分の分らしい小さな毛布を荷物から引っ張り出し、肩に毛布を羽織ると、そのままこてっと俺の太ももに頭を載せた。
おいお~い、膝枕の許可は出してねぇぞ。
……ま、別にいいけどな。
ギルベルタの小さな頭は重さを全然感じず、ただ少し体温が高いのか太ももが温かくて気持ちよかった。
俺も毛布を持ってくればよかった。
さすがにちょっと寒い。
「……カタクチイワシ」
呼ばれて見れば、ルシアが片目だけを開けて俺を見ていた。
「毛布なら余分を持ってきてある。寒いなら使え」
「ありがたいが、ギルベルタの寝付きがよすぎてな」
膝に頭を載せた二秒後にはもう寝息が聞こえていた。
……そして、ギルベルタは寝起きが超絶に悪い。起こそうものなら骨の二~三本は軽く折れる。
「しようのないヤツだ……」
むくっと立ち上がり、床にしゃがんで荷物を漁るルシア。
「いや、領主がそんな雑用すんなよ」
「貴様に風邪なんぞ引かれると、向こう十年は根に持たれそうなのでな」
「え、なに? お前、俺が根に持つようなこと散々しまくってる自覚ないのか?」
今さら、一個二個防いだところでもう手遅れだぞ。
「だから、今こうして骨を折ってやっている。ほれ、これでチャラだ」
引っ張り出した毛布を投げて寄越し、したり顔で言う。
勝手に決めんな。こんなもんでチャラに出来るレベルじゃなかったっつーの、お前にかけられた迷惑の数々は。
ギルベルタを起こさないように、綺麗にたたまれた毛布を広げていく。
なんというか、こう……一気に「ばさっ!」っと出来れば楽なんだが、ギルベルタの頭が太ももに載ってると思うと動きも制限される。
そろ~っと毛布をゆっくりと開いていく。起こさないように。
「鈍臭い男だな、貴様は」
俺が慎重に毛布を広げている状況に、ルシアが焦れた。
俺から毛布を取り上げ「ばさっ!」っとして広げる。
俺もそれが出来りゃ一発だったっつーの。
そして、俺の肩に毛布をかける……のだが、なぜか左肩だけにしかかけやがらねぇ。
と思ったら、こいつギルベルタメインで毛布掛けてやがる。
ギルベルタの小さな体を毛布で覆い、余った部分だけをチョロッと俺にかけている。
「右半身が寒ぃわ」
「文句の多い男だな、貴様は」
俺の文句が多いんじゃなくて、俺の待遇が悪いんだよ。
「なら――」
ふぅ、と息を吐き、自身の肩に掛かっていた毛布を軽く持ち上げて俺を包みこむ。
俺の隣に座り、俺と自分と、二人を一枚の毛布でくるむように。
「――これで文句はあるまい」
いやいや。
左側には俺の太ももを枕にしているギルベルタがいて、右隣にはルシアが密着して毛布をシェアするって……どんな状況だよ。
「お前なぁ……こういうことをするから妙な噂が……」
「捨て置け」
捨て置いていいのかよ。
「他人にどう見られようと、自分の中の重要なものは変えられぬ」
肩が触れ合い、同じ方向を向いたまま、ルシアの声がやけに近くに聞こえる。
「船に乗ったのはレジむぅの決断だ。止めることは出来たかもしれんが、それは『阻害』に他ならない。やらずにおいて正解だった」
レジーナが自分で「やるべきだ」と思い行動したこと。
それを、他人が勝手な尺度でいいだの悪いだの論じること自体がおかしい。
レジーナにとって、今バオクリエアに戻ることは必要なことなのだ。
それを止めるのは、レジーナの邪魔をすることになる、か。
その通りだな。
「だから責めるな」
顔を見ずに聞くルシアの声は――
「貴様は、自分に厳し過ぎる」
――妙にすんなりと心の中に浸透して……
「もっと器用に生きろ、阿呆め」
……癪に障った。うっせぇわ。
言われんでも分かってる。
「信じて待つさ。たぶん、すぐ帰ってくるしな」
「あぁ、そうしろ。貴様は他にやることが目白押しだからな」
「男女混浴法の制定な」
「提出してみろ。大広場で火あぶりにしてくれる。領内の全女性を集めてな」
くつくつと笑い、ルシアが体重をかけてくる。
「肩を借りる。あまり揺らすでないぞ」
勝手なことを言って、人の肩に頭を載せる。
馬車は騒音を気にしてか、ゆっくりと走っている。
コレなら、少しは眠れるだろう。
俺も、いろいろ考えることをやめ、まぶたを閉じた。
「……カタクチイワシ」
「……ん?」
「もう少し背を伸ばせ。首がつらい」
「テメェの尻を少し遠くにずらせばいいだろうが」
俺とルシアはほとんど同じ身長だ。
悪かったな、小さくてよ。ふん。
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