ベッコの家は、中央広場から延びる細い道を、ニュータウンの方へ向かって進むと見えてくる小高い丘の上に建っていた。ニュータウンを見下ろせる高台って感じだ。
「へぇ~、いい眺めだな」
デリアがニュータウンを見下ろして鼻をひくひくさせる。風の匂いでも感じるのか?
くんくん……あ、デリア、なんかいい香り。……くんくん。
俺は何度か訪れたことがあるが、そういやこいつらは初めてだったか。
「こんなところに住んでたですか、ござるさん。知らなかったです」
ロレッタがエステラの横を歩きながら言う。
「まぁ、用事が無いと絶対に来ない道だからね」
今回はエステラの先導でここまで来ているのだ。……だって、俺が先頭を歩くと、まるでベッコと知り合いみたいじゃん? 俺は少し離れたところをとぼとぼ歩いている。
エステラは、領主代行の仕事で何度かここを訪れたことがあるらしいのだが……ベッコはタイミングを見計らったように外出していたのか?
陽だまり亭で会うまでお互いに面識がなかったようだが……
「やーーーーほぉぉぉぉおおおーーーー!」
「おぉ! あたしもやりたいです!」
「……乗るべき、このビッグウェーブに」
崖に向かって大声で叫ぶデリアを見て、ロレッタとマグダも真似をする。
「いーーーーーぇーーーーーーーい、でぇーーーーーす!」
「……へいへーい」
……いや、マグダ。おまえのそれは、それで正解なのか?
騒ぐ連中を見ながら、エステラにこそっと尋ねる。
「お前、この場所知ってたんなら、蝋像の犯人に思い当たってもよかったろう?」
俺がどれだけ探し回ったと思ってんだよ?
蜜蝋なんて、養蜂場で採れるに決まってるじゃないか。当時、養蜂場があることを知らなかった俺はともかく、エステラなら気付けたはずだ。
「いやぁ……蜜蝋っていうのにあまり馴染みがなくて」
「ロウソク使うだろう?」
「ウチ、ランタンだから。あと、全部ナタリアが用意してくれてたし」
……知識不足かよっ!
まぁ、だったら仕方ないかなぁ。
「ヤシロさん。素敵なところですね」
話が終わったタイミングで、ジネットが俺に歩み寄ってくる。
柔らかい風が吹いて、微かに花の香りが漂ってくる。
「これで、近くにベッコが生息してなければ最高の場所なんだがな」
「ふふっ……それは、ちょっと酷いですよ?」
あははと、困り笑顔を浮かべるジネット。
酷いもんか。美しい風景と暑苦しいベッコでプラマイゼロなんだからな。
「ここいいなぁ! なぁ、ヤシロ! 今度お弁当持って遊びに来ようぜ!」
デリアは高台が気に入ったようで、にこにことしている。
崖を覗き込んでは、前髪を揺らす風に目を細める。
「ん~! 気持ちいいなぁ~! ホント、いいとこ住んでんじゃねぇか、ベッコのくせに」
「割とおウチも大きいですよ、ござるさんのくせに」
「……広大で美しい花の咲き乱れる土地を持っているとは……生意気、ベッコのくせに」
「あの、みなさん。ベッコさんが聞いたら悲しまれますので、その辺で……」
高台の上に立つ大きな古い木造家屋。なんだか、江戸時代の地主の家みたいだ。
大きな藁ぶき屋根が、なんとも言えない威厳を放っている。
「それにしても、立派過ぎないか?」
「養蜂には、広い土地が向いているからね。あと、近くに人が住んでいない方がいい」
「人を刺すような危険なヤツでもいるのか?」
「安全面は問題ないって、ベッコの父親が言っていたよ」
父親いたのか……何度か来てるのに、会ったことないなぁ。
いつも、すぐにベッコのアトリエに向かっちゃうからな。
……どんな変態なんだろうなぁ……変態でない可能性は限りなくゼロに近い。
「エステラさんは、ござるさんのお父さんまで知ってるです?」
「ん? あぁ。何度か会ったことがあるからね」
「ふ~む……こんな辺鄙な場所にある実家を知っていて、親御さんにまで面識があるなんて…………はっ!?」
何かに気付き、驚き、おののいたロレッタ。
やや青ざめた顔でエステラを見つめる。
「も、もしかして…………ご婚約を!?」
「はぁっ!?」
「えっ!? なになに、エステラ結婚すんのか!?」
「……意外な組み合わせ」
「ち、違うよ! するわけないじゃん!」
ロレッタのあさってな勘違いにより、エステラが凄まじい勢いで取り囲まれた。
デリアの食いつき方が異常だ。へぇ……そういう話、好きなんだぁ……
「待ってよ! 待ってって! しないから! そんな話全然ないから!」
当然、エステラとベッコが結婚するなんて話はあり得るはずもないのだが、領主代行ということを隠したままそれを否定するのは至難の業だな。
「……フラれたことにすれば?」
「……ボクのプライドが許さないよっ」
こそっと耳打ちすると、メッチャ怖い目で睨まれた。
「あら、なんだか賑やかだと思いましたら……」
その時、よく知る声が聞こえてきて……「あぁ、面倒くさいことになりそうだなぁ」と、俺は直感した。
「みなさん、こんなところになんの御用ですの?」
そこには、日傘を差し、少し不機嫌な雰囲気を放つイメルダが立っていた。
どうも、ベッコの家から出てきたらしい。
「「「修羅場っ!?」」」
デリアたち三人がヒートアップする。
「あ、あの……あのあのっ、ヤシロさん、ど、どどどど、どうしま、どうしましょう!?」
「落ち着け、ジネット。どうもしなくていい」
第二の女の登場に、事態は風雲急を告げる。……わけもなく、勝手な勘違いが加速していく。
「まさか、あのベッコをエステラとイメルダで取り合っていたなんてっ!?」
「意外にヤル男です、ござるさん!」
「……やはり、土地持ちは強いのか…………っ」
以上、デリア、ロレッタ、マグダの感想なわけだが……ベッコがそんなにモテて堪るか。
この二人から求愛されるような男、そうそういねぇっつうの。
「なんなんですの? なんだか不愉快な視線を感じますわ」
「珍しくイメルダと同じ気分だよ。まったく、いい加減にしたまえよ、君たち!」
イメルダとエステラが並び立ち、デリアたちを睨みつける。
珍しく共闘しているな。
「ヤシロさん。これはなんの騒ぎなんですの?」
「お前とエステラがベッコを取り合って修羅場っているのではないか……という疑惑だそうだ」
「……それは、四十区に対する宣戦布告と取ってよろしいんですの?」
「やっ、待ってくれ! ボクも被害者だから!」
ベッコよ。お前、戦争の火種になってるぞ。
「とにかく、ボクは仕事で何度か訪れただけだから!」
「ワタクシも、ベッコさんに依頼しておいた食品サンプルを取りに来ただけですわ!」
二人が懸命に身の潔白を訴えている。
……ベッコ。不憫だな、お前。
「でも、食品サンプル持ってないです、イメルダさん」
「それは、ベッコさんが……」
そこでイメルダが、木造家屋の向こうに広がる花畑を睨みながら、険しい表情を見せる。
「厄介なハチの魔獣に襲われて死にかけていらして、受け取れなかったからですわ」
「はぁ!?」
ベッコが死にかけてる!?
「まったく。折角ワタクシがこんな遠いところまで足を運んできたというのに……無駄足でしたわ!」
そう言って、さっさと帰ろうとするイメルダ。
「いやいやいや! なにサラッと帰ろうとしてるんだい!?」
すたすた歩き出すイメルダの腕をエステラが掴まえる。
それに対し、イメルダは澄ました顔で答える。
「何か?」
「ベッコが、死にかけてるんだよね!?」
「まぁ、……もってあと二日……いや、半日……」
見積もり、アバウトだな!?
「ベッコが危ないんだろう? 何かしてやれることとかあるだろう!?」
「エステラさん。ワタクシの街にはこういう言葉がありますわ。『なぜ、ワタクシが?』」
「いや、そういう言葉があるかは知らないけど! 助けてやろうよ!」
「エステラさん……まさか、本気でベッコさんのことをっ!?」
「違ぁああーうっ!」
再燃する疑惑に、エステラが髪の毛を掻き毟る。
まぁ、イメルダの反応を見るに、『死にかけている』という表現は間違ってはいなくとも正確ではないのだろう。
もし本当に命が危ないのであれば、イメルダはもっと必死になっているはずだ。ツンケンしているように見えるが、人を見殺しに出来るような女ではない。
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