「むっ」
デイグレア・ウィシャートが項垂れる中、ふいにリベカが声を漏らした。
あ、小っちゃくて見えなかったけど、ちゃんと一緒に来てたんだな。
荒事には参加してないと思いたいが……まぁ、メドラと一緒にいさせたし、大丈夫だろう。
で、そのリベカが、長いウサ耳をぴくぴくと動かし、外を気にしている。
「ふむ。領主様方よ、全員十歩前進するのじゃ。特に、この辺の壁は危険じゃから、左右に分かれて退避する方がよいのじゃ。――アレが来るのじゃ」
リベカの言葉に、領主たちの顔が青ざめる。
かと思えば、魚に狙われた稚エビのようにさささーっと危険地帯から退避し始める。
……おい。『アレが来る』の『アレ』ってなんだ?
「カウントダウンじゃ。3……2……1……」
言って、リベカは耳を塞ぐ。
その直後、館の壁が大きな音を立てて崩壊した。
爆砕ではなく、鋭利な刃物で何度も斬り付けたような。乱切り……いや、これはなます斬りか!?
壁の向こうに伝説の剣豪でもいるのか!?
――と思ったら。
「またつまらぬ物を斬っちゃった~☆」
マーシャがいた。
いたというか、建っていた?
なんか、巨大な移動要塞みたいなデッカい木造建築が聳え立ってるんですが?
幅2メートル、高さ3メートル。奥行きは見えないから分からんが、相応にありそうな四角柱。下部は末広がりになっているので安定感はありそうだが、それが却って物々しい威圧感を醸し出している。
ざっくりと言ってしまえば、屋根のない倉みたいなもんがそこにいた。
「お水、ま~だまだあるからね~☆」
ざぶん――っと、水の音がして、キラキラと水しぶきが舞う。
あの倉の中、海水がなみなみと入っているっぽいな。
「……アレか? ウーマロとオマールが作らされたマーシャの秘密兵器って」
「そうなんだよ、ダーリン。あんな重たい物をアタシに押せって言うんだよ、あの性悪人魚は! キツく叱ってやっておくれよ。か弱いメドラに無茶を強いるなってさ」
「いや、この街、『精霊の審判』っていうのがあるから」
誰がか弱いんだよ。
つか、あんなデカくて、しかも中になみなみと海水が入ったもんを、お前、押してきたの?
ここまで?
え、やだ、ちょっと引く。
「ハビエル。……アレ、動かせる?」
「いやぁ、かなり重かったぞ、アレは」
「え、チャレンジしたの?」
「その上、『揺れが酷い』だの、『海水がこぼれる』だの注文が多くてなぁ、海漁は」
「アタシじゃなきゃ安定して動かせないようなもの用意しやがって。そのくせ、一人でいいところ全部持ってっちまったんだよ、あの性悪人魚は! ねぇ、ダーリン、酷いだろう!?」
見れば、中庭にはびっしょ濡れの兵士が無数に横たわっていた。
全部マーシャがやったのか。
……水さえあれば最強って、マジじゃん。
「メドラママがいれば、私、陸でも最強~☆」
「ふざけんじゃないよ! もう二渡とそんなもん押してやらないからね!」
「じゃあ、ハビエル君で我慢するぅ~☆」
「はっはっはっ、イカンイカン。つい手が出そうになったぞ、今」
珍しく、ハビエルがイラついている。
三大ギルド長は実力が均衡してるから、やっぱちょっと衝突しやすいのかもなぁ。
他の連中に接する時は『とはいえ、力では負けないし』って余裕がどっかにあるのかもしれない。
でも、メドラとマーシャは別格だ。
一対一で戦えば、誰が勝つかマジで分からん。
「むぅ~……分かったよぉ~う☆」
膨れて、マーシャが移動式倉の中に姿を消す。
……つか、移動式倉ってなんだよ。
そして数秒後、「じゃきーん!」的な、冗談みたいな音がして倉の上半分が切断された。
高さが3メートルから2メートル程度に縮む。
同時に、海水がだばっとあふれ出て、中庭を洗い流す。
……あ、潮の香り。…………じゃねーよ。なんだ、このスペクタクル。怪獣映画のワンシーン?
「は~い、軽量化~☆」
「変わんないよ、バカ人魚!」
「あ~ぁ。トルベックとカワヤの苦労の結晶をいともあっさりとまぁ……気の毒だよなぁ、手伝わされた大工どももよぉ」
笑うマーシャに吠えるメドラ。そして、他者を哀れむハビエル。
三大ギルド長を戦場に集めると、こんなカオスな状態になるのか。
……マーシャが一番の危険人物だな、うん。
いや、陸地で活躍できたのが嬉しいのはよく分かるんだけどね?
にしてもさ。
限度とか、節度とかさ。
「な~んか不評っぽいなぁ~。じゃあいいもん、いつものに乗り換えるから」
俺を含め、三大ギルド長以外のその場の者たちは一切言葉を発していない。
規格外過ぎて言葉がないってのが正直なところだが。
お友達のエステラも口をあんぐり開けてぽか~んとしている。
あぁ、いや、一人。リベカだけが「すっごいのじゃ! かっこいいのじゃ、海漁ギルド!」とはしゃいでいる。
お子様には特撮モノがウケるからなぁ。
……実写なんですけどね。トリックもスタントも一切無しの。
とかなんとか思っていると、移動式倉の下部の扉が前倒しに開く。
海水が一気に流れ出し、こちらに向かって押し寄せる。
「避難避難避難!」
領主たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
……マーシャ。
扉の下部に軸があり上部が開いて前方に倒れるような仕組みの扉は、そのまま地面へ繋がるタラップへと姿を変える。
扉で出来た滑り台。
その上を、マーシャがいつもの一人乗りの移動水槽に乗って颯爽と滑走してくる。
……ビックリドッキリメカかよ。
「……エステラ」
「ごめん。あれだけ暴走してるマーシャを止める術を、ボクは持ち合わせていないんだ」
「アレが、『人魚は危険だ』って言われる所以だよ。……あいつらは限度ってもんを知らないのさ」
「まぁ、あれだろうなぁ。陸と違って、海は際限がねぇから、そこで生きる者の精神にも、そーゆー影響が出るんじゃねぇかなぁ……知らんけど」
ハビエル渾身のフォローも、非常に苦しい。
確かに、好きなことと楽しいことに関しては暴走する傾向が強かったマーシャだが……提供する娯楽はほどほどに調整しなきゃ危険なようだ。
今後の教訓として活かそう。そうしよう。
かくして、ウィシャートの館は崩壊し、水浸しとなり、かつての栄光は見る影もなくなった。
さすがのウィシャートも諦めが付いただろう。
もう二渡と、以前のような生活には戻れないんだって。
何より……
「悪い子は、この『陸上オーシャン』でオ・シ・オ・キ・だよ☆」
多くの領主に伝わることだろう。
三大ギルド長、特に海漁ギルドを怒らせるようなことはしちゃダメだってことが。
バオクリエアは、人魚に相当嫌われてるみたいだから、仲良くすると人魚の恨みを買うかもよ~――って噂を広めれば、バオクリエアからモーションをかけられても領主の方から逃げ出すな、こりゃ。
「メドラママ~! ちょっと届かなかったから迎えに来て~☆」
「ふざけんじゃないよ! あんたはそこで空でも眺めてな!」
「むぅ~。そーゆー意地悪すると~……水鉄砲!」
お風呂で父親がよくやる、両手を合わせて指の隙間から水を飛ばす、あの水鉄砲だ。
――が、その威力と速度が桁違いだな、おい!?
下手したらコンクリに穴が開く勢いだぞ、それ!?
水の量関係なく恐ろしいじゃねぇか、人魚!?
「なめんじゃない――よっ!」
そのとんでもない水鉄砲を拳で跳ね返したぁ!?
やっぱメドラもとんでもねぇ!
「あんのわがまま女……一発ぶん殴る!」
さすがに頭にきたのか、メドラが拳を握って駆け出す。
とんでもない加速!?
全人類が死を覚悟する迫力!?
「まぁ、待てメドラ。今はやめとけ、話がややこしくなる」
それをハビエルが片手で止めたぁ!?
メドラの手首を掴んで地獄の猛突進を止めた!?
え、お前いつの間に人間やめたの!?
「ハビエル、人間やめるってよ」なんてイベントいつ起こった!?
まさかハビエル……本当は、俺が思ってるより十倍くらい強いの?
普段どれだけ手加減して生きてるの?
あぁ、もう。
誰がどれくらい手加減してるのかまったく分からん。
あいつらの本気とか、人類に推測できるキャパをとっくにオーバーしてんだよ、きっと。
「ぅわぁ……」
誰かの、声にならない感情が音となって口から漏れ出した。
その音は言葉にはなっていないにもかかわらず、その場にいる全員の心を代弁しているようだった。
すなわち。
「三大ギルド長……ないわぁ…………」
俺の呟きに、その場にいた全領主が力強く頷いていた。
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