兵士のオッサンは相変わらず暇そうにしている。
他の兵士たちもさほど変わらないが、あのオッサンがとりわけ不真面目と見た。
連中の中では年長のようだし、だからなのか誰もそれを咎める者がいない。故に、あのようなだらけた態度を取れるのだ。
ターゲットにするなら、間違いなくあのオッサンが一番適当だ。
「なんだ、忘れ物か? 悪いが、一度外に出たからにはどんな理由があろうと、入る際には入門税がかかるぞ?」
親切心を装いながらいやらしく笑うオッサンの発言を、ひとまず軽く流してから話を持ちかける。
「実はあんたに、一つ相談があるんだが」
そう言って、俺は人差し指をちょいちょいと動かし、耳を貸せの合図を送る。
と、オッサンは訝しむ素振りも見せず、耳を近付けてきた。
そんなオッサンに、俺は堕落の種を植えつけてやる。
「――――って話なんだが」
要点を掻い摘まみ簡潔に伝えると、表情こそ変えないが、オッサンの目の色が明らかに変わったのが見て取れた。
「どうだ? 三人で締めて500Rb。通してくれるか?」
「ま、まぁ、そういうことなら……」
「ちょっと待ったぁ!」
オッサンが頷きかけたその時、エステラが割り込むように声を上げた。
見ると、ジネットとマグダも含めた三人が、いつのまにやら俺の背後に立ち並んでいた。
「今、何を話していたんだい?」
「ん? だから、ここを500Rbで通してくれるかっていう趣旨の話を……」
「だから、その内容をボクは聞いているんだ」
エステラが懐に手をかける。
分かった分かった。ちゃんと話してやるからそんな顔で睨むな。そして、ナイフは絶対取り出すな。
「なんてことない。500Rbほど包んでやるから、こっそり通してくれないかっていう話だよ。たった三人、『入門しなかったこと』にすればいいだけなんだし、わけないだろ?」
俺たちが門を通る際に、少しだけゆっくりな瞬きをしてくれればいいのだ。
そして、帳簿に『書いたフリ』をすれば誰も気が付かない。
たったそれだけのことで、このオッサンは給料とは別に500Rbも手に入れられるのだ。
俺たちは安く上がり、オッサンは臨時収入を得る。
ウィン‐ウィンの関係とはまさにこういうことだろう。
「真面目に取り合わない方がいいよ、兵士さん。不正入門は減刑無しの処刑だからね。手引きしたヤツも同罪だ」
「わ、分かってるよ!」
エステラの指摘に、兵士のオッサンは目に見えて狼狽する。
あぁ、これはダメだ。こいつは嘘の吐き方を知らない。
賄賂なんかもらった日にゃ、我慢できずに自慢して墓穴を掘るか、不審に思った上司に詰問されてジ・エンドだ。
「まったく。本当に君はろくでもないことばかりを思いつくよね」
「そういう方法もあるというだけの話だ」
「やっぱり、見張っていなきゃいけないようだね」
エステラがキッと俺を睨む。
だから、たとえ話だってのに。……まぁ、そういう必要があれば迷わず選択する方法ではあるけどな。
けど、これでこの兵士のオッサンの中には堕落の種が植えつけられた。
そんなやり方があると知った人間は、それがダメだと思っていても、ふとしたタイミングで「もしそれを実行したら……」という甘い妄想に取りつかれてしまう。
あとはオッサンの心次第だ。
オッサンの心が弱ければ、その悪事に手を染めるだろう。強ければそうはならない、それだけのことだ。
このオッサンが悪事に手を染め堕落しようが、それは俺の与り知るところではない。
ま、ちょっとした意趣返しだ。
あんまり人のこと見下してっと、テメェの足元が崩れ始めてるってことを見落としちまうぜってこったな。
そんな火種を落としつつくぐり抜けた門の先。
そこは一面の平原だった。
ここは馬車での乗り入れが少ないのだろう。街道というほど道も整備されていないし轍も少ない。
「……ここは、主に狩猟ギルドの組合員が使う門」
端的にマグダが説明をしてくれる。
言われてみれば、それらしき格好をした男たちがあちらこちらにいる。
「……だいたいは五人前後でパーティを組んで行動する」
そう言って、マグダはマサカリを担いで歩き始める。
俺たちより前を歩き、俺たちが追従する格好になる。
しばらく歩くと、マグダはぽつりと……
「……こうやって誰かと歩くのは、久しぶり」
そんな言葉を呟いた。
こいつは、これまで一人で狩りに出ていたのか。
しかし、久しぶりってことは初めてではないのだろう。
年齢的に考えても、それは親と同行した時のことを指していると思われる。
前を歩くマグダの耳がぴくぴくと動く。
まるで、後ろを歩く俺たちの足音に耳を澄ましているように。
「……今日は、頑張る」
誰に言うともなく呟かれた抑揚のないその言葉は、どこか楽しそうに聞こえた。
とはいえ…………お前は頑張った分食うからな。
ほどほどが一番だ。
しばらく歩くと、あちらこちらに簡易的なテントが散見されるようになった。
森が近くなり、拠点となる場所を確保でもしているのだろうか。
「なるほど。彼らは食事を作らなければいけないからこれ以上先へは進めないんだね」
エステラがそんな推論を立てる。
移動時間に加え、調理時間、そして引き返す時間を考えればこの辺りにテントを張るのが最も効率的なのだろう。
外泊をするのでなければ、それほど遠出は出来ないのだ。
「では、わたしたちもこの辺りにテントを張りましょうか?」
ジネットがそんなことを言う。が……
「いや、もっと先まで進むぞ」
「そうだね。ボクたちはお弁当のおかげで調理する必要がない。それに、人が行かない場所まで行けば、獲物もたくさんいるだろうしね」
エステラの言う通りだ。
人と同じことをしていたのでは成功は出来ない。
人がしないことを率先してやらなければ。
テントを張らずに先を目指す俺たちに気付いた狩人たちが、俺たちを指さし笑いを漏らす。
「欲張って結局獲物を逃がす」だとか「無謀なバカがいる」だとか、好き放題言ってやがる。
ジネットはそんな言葉を真に受けて不安げな表情を見せる。
が、そんな言葉は無視だ無視。そういうことを言うヤツに限って、成功者が出た後で安易に模倣をして墓穴を掘るのだ。
自分が正しいと信じられることなら、外野の声は無視してしまうに限る。
もっとも、それで失敗しても誰のせいにも出来ないという前提条件を受け入れることが出来るヤツは、だがな。
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