日が昇り、雲に覆われながらも辺りが明るくなってきた。
去年は朝のうちから雪が舞い薄暗かったが、今年は雲の切れ間から朝陽が差し込んでいる。
同じ豪雪期でも、こうまで違うんだな。
去年のどんよりと重苦しい暗いイメージはなく、今年の豪雪期は明るくキラキラで、少し楽しげな雰囲気だ。
「教会へはいつごろ顔を出すつもりだ?」
「みなさんが揃ってからにしようかと思っています」
教会への寄付は、本日から豪雪期の間は中止となる。
それは事前に打ち合わせていたことだ。
そのために、仕込みの終わった食材を昨日のうちに教会へ運び込んである。それも大量に。
今頃、寮母のオバサンたちが温かい飯を作ってガキどもに食わせていることだろう。
それでも、可能な限り教会へ顔を出したがるのがジネットという人間だ。
今日から寄付は中止だが、寄付がなければ教会へ顔を出してはいけないという決まりはない。
特に用事もなく、ガキどもとベルティーナに顔を見せに行くのだ。
まぁきっと、出来たてのおやつでも持ってということになるのだろうが。
「わたしたちが留守にしている間にどなたかが来られれば、雪の中で待っていただくことになりますし、薪ストーブも消さないといけませんから」
「じゃあ、ウーマロを残していくか?」
「それは……」
ちらりと陽だまり亭の方へ視線を向けて、ぎゅむっぎゅむっと雪を踏みしめて俺に身を寄せる。
「マグダさんも、教会へお連れする予定ですので」
教会のガキどもはマグダに懐いている。
どうせ行くなら一緒に連れて行ってやりたいとジネットは思い、またマグダも雪の中を歩くことになろうとも教会へ顔を出したいと言っていた。
だから、もう少し待ちたいと。
今のウーマロを一人にはしたくないと思っているようだ。
ほとほと他人に甘いヤツだ。
「じゃあ、デリアたちが来た後で、だな」
「はい。おそらくマーシャさんはお留守番をされると思いますので」
水槽に入っているマーシャは、この雪の中では移動が難しい。
だからきっと、デリアも残ることになるだろう。
そもそも、マーシャはあんまり子供が好きじゃないようだしな。
「じゃあ、そろそろ中に入っておやつでも作るか」
「おやつを、ですか?」
「あぁ。ガキどもに配るヤツだ。ドーナツとかポップコーンとか、教会では作れないようなヤツの方があいつら喜ぶだろうし、早めに準備した方がいいだろう」
ドーナツの生地を作る時は三十分ほどのベンチタイムが必要になる。
それなりに時間はかかるのだ。
あと、すげぇ寒いから早く中に入りたい。さぁ、ジネット。中に入って温かい厨房で料理をするのだ。ね、入ろう。早く。マジで。
「くすくす……」
寒さを感じる器官をベッドの中にでも落としてきたのか、ジネットは極寒の雪の中で楽しげに笑う。
こっちは頬の筋肉が凍り始めてんのかってくらいに顔が強張ってるのに、自然な笑顔をしちゃってまぁ。
「なんだよ?」
「ヤシロさんは、本当に子供たちが大好きなんですね」
「はぁ?」
お前がおやつを持っていくって言うから……あれ、言ってないっけ?
言ってなくても、どうせお前なら持っていくんだろ?
そんなもん、これまでの言動を見ていれば容易に想像がつく。
だから、俺発信の案ではねぇよ。
「きっと子供たち、喜んでくれますよ」
「いや、俺がそうしたいんじゃなくて……」
「その方が利益に繋がります、よね?」
利益になんか繋がらねぇよ。
ガキを甘やかして、どんな利益が転がり込んでくるってんだよ。出費だけだよ、増えていくのは。
つか、それを言えば俺っぽいみたいな発想やめてくれる? 見当違いだから。
「お前が言いそうなことをトレースしただけだ」
「そうなんですか? わたしが言い出さなくても、ヤシロさんならそうしたと思いますけれど」
「んなわけねぇだろ……」
誰があんなクソ生意気なガキどものために…………くそ。
「よし、かき氷を作ってやろう!」
「くすくす。材料費はタダで済みそうですね」
周りが雪だらけだからな。
とはいえ、全然そんなつもりがないって顔をしてやがるな、こいつは。
……はぁ。
絶対初めからそのつもりだったくせに、俺が言い出したことにされそうだ。
「ヤシロさんからの差し入れですよ~」なんて言いやがったら、罰として右乳を揉んでやる。罰なので有無を言わさずに、だ。
もし言わなかったら、ご褒美として左乳を揉んでやろう。うん、そうしよう。
「とにかく中に入ろうぜ。寒くてたまらん」
善人というレッテルを張られたせいで、背骨がゾンゾンする。
熱を出して寝込みそうだ。
いつまでもにまにましているジネットの背を押して、街道から陽だまり亭の前庭へと戻る。
こいつは、朝からずっとにまにま笑いやがって。
草木も枯れる地獄の豪雪期だというのに、危機感のないヤツめ。
「わたし、豪雪期が好きになりそうです」
陽だまり亭のドアの前で、ジネットがそんなことを呟いた。
そして、チラリと後ろを振り返り、俺に視線を投げて、また笑う。
思わず足が止まり、不覚にも言葉が出てこなかった。
無言で見つめ合うこと二秒ほど。
ジネットはもう一段笑みを深めて前を向き、ドアノブに手をかける。
その時、――おそらく、薪ストーブを焚いたせいで屋根の上の雪がちょっと溶けていたんだろうな――屋根の上から雪の塊が落ちてきて、ジネットの頭の上にどさっと降り注いだ。
「ほにゃぁああ!?」
油断して、外套のフードを被っていなかったせいで、首筋から服の中に冷たい雪が潜り込んできたらしい。
背中をぱすぱす叩いて、そのせいで服の中の雪が背中に触れて「ふにゃあ!?」とさらに悲鳴を上げる。
……何がしたいんだ、お前は?
頭の上の雪を払ってやり、ドアを開けると、ジネットが中へと飛び込んでいった。
大急ぎで外套を脱ぎ、服の裾を引っ張って中の雪を床へと落とす。
うわ~、結構デカいのが入ってたんだな。
「ジネット」
「……はぃ」
「豪雪期、好き?」
「はぅ……っ!」
豪雪期が好きになりそうと言った直後にこの仕打ちだ。
俺なら、豪雪期の方からお断りを突きつけられたと解釈して、友好関係の構築は断念し、代わりに宣戦布告を叩きつけてやっているところだ。
だが、ジネットは、涙目になりながらも理不尽な攻撃を寄越してきた豪雪期を擁護する。
「うぅ……それでも、好き、です」
あぁ、この娘はきっとダメな男に騙されてしまうタイプなのだろう。
どうしようもないクズを、「本当は優しい人」とか言って妄信してしまうのだ。
自分だけは分かってあげられるとか信じ込んで……
「ジネット。悪い男には、騙されるなよ?」
「へ? ……は、はい。気を付けます」
そうして小首を傾げる。
うん、せいぜい気を付けろ。
……もうちょっと、発言に気を付けてくれるとマジでありがたいんだけどな。ったく。
「……店長。平気?」
「あ、はい。大丈夫ですよ。お騒がせして、すみません」
ジネットのもとへとことこ歩いてくるマグダ。
耳もピンと立ち、背筋も伸びている。
寒さに震えている様子も、雪を怖がっている様子も見受けられない。
……今年は、大丈夫なようだな。
と、マグダを見ていると、静かな瞳がこちらを向いた。
そして、微かに眉を歪めて、耳がぴるぴるっと揺れた。
「……マグダは、寒いのと、暗いのと、寂しいのが嫌い、だった」
唐突に始まったマグダの語りは、抑揚のない平坦な声で淡々と紡がれていく。
「……毎年、この日が来るのが怖かった。……去年も、怖かった」
一人取り残されたマグダ。
雪は世界から音を奪い、景色を覆い隠してしまう。
孤独を抱える者にとっては、恐怖の対象とすらなるだろう。
「……でも、もう平気」
微かに首を傾けて、口角をうっすらと持ち上げて、マグダが微笑んだ。
「……朝起きたらおはようと迎えてくれる人がいるから、夜眠るのも怖くない。ヤシロや店長、みんながいるから、マグダはもう平気」
感情表現が乏しく、いつも半眼無表情だったマグダが、今、確かに笑った。
瞬きをしたら、いつもの無表情に戻っていたけれど。
きっと、ジネットも、そしてウーマロもその表情の変化を目撃したのだろう。
驚きに目を真ん丸くしている。
「……マグダは、レベルアップした」
無表情なままで、力こぶを作ってみせる。
幼く、細い腕が、とても頼もしく見えた。
「……去年までのマグダとは違う。今年のマグダは――」
胸を張り、自信たっぷりに宣言する。
「――メェグドゥア」
「いや、いい発音とかいらないから!」
そういう変化は求めてないんだ、こっちは!?
つか、言いにくいしね『メェグドゥア』!
そこは『マグダ』でいて!
「はぁあん! 生まれ変わったメェグドゥアたん、マジ天使ッス!」
「乗っかるな! 定着したらどうする!?」
めんどくせぇんだよ、『メェグドゥア』!
「マグダさん」
騒ぐウーマロを他所に、ジネットが床に膝をついて両腕を広げる。
「今年も、楽しいことをいっぱいしましょうね」
「……うん」
とてとてっと床を蹴って、ジネットの胸に飛び込むマグダ。
そうして、楽しい思い出が増えていけば、マグダの中から豪雪期に対する恐怖や忌避感なんてものはなくなっていくのだろう。
豪雪期は楽しい。
そんな思い出に塗り替えてしまえば、思い出すのは楽しいことばかりだ。
んじゃやっぱ、防寒具は揃えてみるかね。
薪ストーブが温めた空気の中で、じゃれ合う二人を見つめほっこりとした気分に浸っていると、吹き荒ぶ寒風の音に混ざって大慌てで駆けてくる足音が聞こえた
ドアが勢いよく開け放たれ、雪にまみれたデリアがマーシャを抱えて転がるように駆け込んできた。
「ヤシロ、大変だ! 変なヤツに追われてんだ!」
切迫する表情で訴えられたその言葉に、緩みきっていた空気がピリッと張り詰めた。
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