「『信頼関係が何より大切』……だったか?」
横から口を挟まれて、アッスントが隠しもしない不機嫌顔をこちらに向ける。
「信頼ってのは、嘘吐き相手には築けないものだよな」
「……私を嘘吐き呼ばわりするのですか?」
「嘘ってのは、大きく二種類ある。知ってるか? 一つは『事実と違うことを言うこと』、そして二つ目は…………『真実を隠すこと』だ」
「私が何を隠していると?」
「さっきの芝居、どうだった?」
「は?」
「あれでも練習したんだ。なんかこう、心に来るものがなかったか?」
「今は関係ないでしょう、あんな下手くそな……」
「下手でもなんでもいい! ……心に来るものはなかったのかよ?」
「…………」
しばし睨み合う。
先に折れたのはアッスントの方だった。
「……ありませんね。何も」
視線を逸らし、ふんっと鼻から息を漏らす。
……そうか、伝わらなかったか。
「あの芝居が訴えていたことは二つある。見ていた者で気が付いたヤツはいなかったか!?」
俺たちを取り巻く観衆たちに声を向ける。
気が付けば、大通りには人が溢れ返っていた。通りの先が見えなくなるくらいにぎゅうぎゅう詰めだ。
四十二区すべての住民はここに集まっているのではないかと思えるほどだ。
「なんだよ……芝居を楽しむ心に欠けた連中だな。まぁ、しょうがないか。なら教えてやろう!」
俺は胸を張り、身振りを加えながら説明を始めた。
「あの芝居の中で生産者は『食材を限界まで安値で買い叩かれている』と主張し、逆に飲食店側は、『法外な値段で売りつけられている』と主張している。これは、俺が直接その仕事に従事している者から聞き取った事実をもとにした芝居だ」
俺の主張が正しいというように、モーマットたちが大きく頷いてみせる。
観衆にもそれが伝わったようで、あちらこちらからひそひそとした話し声が聞こえ始める。これで、芝居の信憑性が上がるってもんだ。
「安く買われた食材が、法外な値段で売られている。…………じゃあ、その莫大な利益はどこに消えた?」
観衆からざわめきが起こる。
これまでよりも安く食材を買い、高く売りつけた者がいる。その者は従来の何倍もの利益を上げたことだろう。
それは誰だ?
「なぁ、行商ギルドさんよ。……どこに消えたと思う?」
「私には、なんとも言いかねることですね」
その対応はマズったな。
アッスントの言葉に、観衆たちはあからさまに不快感をあらわにした。
それはそうだろう。ここにいる観衆たちもまた、搾取される側の人間なのだから。
行商ギルドの中抜きのせいで、今現在の食糧難が発生していると知れば、誰だって怒りを覚えるだろう。
そこに来て、弁解するでもなくアノ開き直りは、焚火にガソリンをぶちまけたようなものだろう。
「くだらないこじつけ、でっち上げですね!」
「本当にそうか?」
「そこまで信用できないのでしたら結構! そちらにいらっしゃる方々とは、今後一切取引をしないということでも構いませんよ! たった数人が集まって、己の不満を相手にぶつけて……そうやって孤立していけばいいのです!」
静かに、デリアが一歩踏み出す。
が、俺が右手を上げると、その足を止めてくれた。
力で解決しちゃダメなんだよ、これは。まぁ、任せとけ。
「あの芝居が伝えたかったことはもう一つある。こっちの方がお前に気付いてほしかったんだが……残念だな」
「もう結構です。これ以上話すことはありませんので、失礼します。いろいろ手続きが必要になりますからね。他の生産者との契約や、商品を卸すお店も探さないといけませんので!」
四十二区内で、自給自足の生活をしているヤツもいる。これから新規に店を開こうというヤツもだ。
そういう連中を新規に引き入れるという脅しなのだろうが……
「その手はもう通用しねぇぞ」
「…………なんですって?」
すげぇ怖い顔で睨まれた。
なので、あえて余裕の笑みを向けてやる。
「この芝居のメインテーマは、『仲良きことは美しきかな』」
「芝居の話など、もうどうでもいいのです! いい加減にしなさい!」
「美しいってことは強さでもある。人は、美しいものに対し一種の畏怖を感じるからな」
「付き合いきれません。失礼します!」
振り返り、立ち去ろうとしたアッスントの前に、数人の男が歩み出て進路を塞ぐ。
「…………っ!」
方向を変え、再び歩き出そうとするアッスントだが、今度は別の者たちに行く手を阻まれてしまう。
「……なんなのですか、一体?」
そいつらは、四十二区で生活をする生産者ならびに個人事業主だ。食材以外にも、綿や麻、染料や香料などを作る者たちがいる。
そして、食事関連以外にも、四十二区で作られる材料で商売をする者がいる。
これは、彼らにとっても重要な案件なのだ。
一軒一軒を回り、真摯に話し合いを重ねるうち、彼らは重い腰を上げてくれた。
今日、この日、この場所に集まるよう頼んでおいたのだが、きちんと来てくれたようだ。
自分たちの手で、未来を切り拓こうという者たちが。
「アッスント。お前は本当に気が付かなかったんだな。この芝居の持つ、本当の意味を。いや……警告を!」
「け……警告?」
そう、警告だ。
これは、四十二区の住民から、お前たち行商ギルドに対する警告だったのだ。
「よく見りゃ、人ごみの中に行商ギルドの商人も何人かまぎれてるみたいだな」
人垣の中に、ちらほらと見たことのある顔があった。あいつはネフェリーの養鶏場で見かけた商人で、あっちのは米農家のホメロスの米を躊躇いなく切り捨てたヤツじゃないか。
「ちょうどいい、テメェら全員耳の穴かっぽじってよく聞いておけ!」
はたして、『かっぽじる』なんて言葉がちゃんと翻訳されているのかは分からんが……
「俺たちは、手を取り合った。……これまでお前たちが食い物にしてきた『獲物』たちは、もう独りじゃない。個体じゃない。弱く反撃の牙を持たない搾取されるだけの存在ではない!」
張り上げた声で、空気が震えた。
水に波紋が生まれるように、空気の振動が強い思いを伝えていく。
静寂。
沈黙ではなく、静寂。
この静けさは待っているのだ。
俺の言葉を。
導きの福音を。
ならば言ってやろう! お前らが求めてやまない言葉を!
「聞け! 四十二区に住むすべての者たちよ! 弱者のままい続けるな! 搾取されるままの今に疑問を持て! 拳を振り上げろ!」
俺たちを取り巻く観衆がピリピリと殺気立っていく。
これまで抑圧されてきた不満が、苦しみが、エネルギーへと変換され外へと向かう。
「変わらなければ!」という、激しい感情に突き動かされて。
「振り上げ方が分からないなら、俺が教えてやる! 今、テメェらの頭ん中にはっきりと思い浮かんでる不満を、声の限りに吐き出してみろ! どうした!? やれぇ!」
「「「「「ぅぅうううううおおおおおおおおおおっ!」」」」
地響きのような唸りが大通りを震わせる。
眩暈がしそうなほど濃密な感情の渦がその場所に発生する。
群衆の心は、俺が掴ませてもらったぜ、アッスント!
「俺たちは一つだ! これまでのように個別に圧力をかけるやり方にはもう屈しない! 孤立を恐れる弱者はもうここにはいない!」
顔をしかめたまま、じっと俺の話を聞いていたアッスントは、突如、堰を切ったように笑い出した。
「ふはははははっ! それで、どうするのです? 群れたところで何も変わらない! 今度はその群れが孤立するだけだ!」
取り囲む群衆一人一人の顔を覗き込むようにして、アッスントは言葉を発していく。
「この地区が孤立したらどうなるか、分からないわけではないですよね? 完全に自給自足というわけにはいかないでしょう? 薪は? 四十二区に木こりがいますか? お肉は? 見たところ、狩猟ギルドの方はお見えにならないようですが? 魚は!? 海漁ギルドの方もいらっしゃいませんね! それだけではないですよ。あなたたちの生活は、多くのものに支えられて成り立っているのです! 多少の不平不満を誇張させ、理性を欠いたようにバカ騒ぎして、幾年もかけて築き上げてきた信頼関係を崩してしまうなど言語道断! ハッキリ言います! あなたたちに選択肢などありません! あなたたちは! 一生! 何があっても! このまま、我々と協力しこの街での生活を送り続けなければいけないのです! それが出来ないのであれば…………それはもう、人としての生活を捨てるということです」
沈黙。
湧き上がっていた勢いは一気に沈静化されてしまった。
アッスントは勝ち誇ったように、俺を見て、嫌らしく笑う。
「そこの新参者に唆されたみなさんには同情します。出来もしないことをさも可能かのように吹聴して回り、耳触りのいい言葉で人心を惑わせる。その結果、皆様に待っているのは『こんなはずじゃなかった』という苦しく、貧しい、獣同然の生活……さぁ、目を覚ましなさい。今なら、今日のことは大目に見ましょう。誰にだって、間違いはありますから」
群衆は何も答えない。
ただ、押し黙って俯いたままだ。
……まったく。
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