「勝者、四十二区っ!」
「「「「「ぅおおおおおおっ!」」」」」
イサークもオースティンも、どちらも五十皿目を食べきることは出来なかった。
……ギリッギリの勝利。辛勝だ。
………………心臓が、痛い。
辛くも勝利を収めたベルティーナが静々と俺たちのもとへと戻ってくる。
「なんだよ、ベルティーナ! 冷や冷やさせんなよぁ!」
「ホントだよ~。私、負けちゃうんじゃないかって冷や冷やしちゃったもん!」
デリアとネフェリーがベルティーナに文句を言う。
そんな言葉をベルティーナはにこやかに受け止める。
「ですが、勝てましたのでよかったではないですか」
「まぁ、それもそうよね。お疲れさま、シスター」
「とにかくでかしたぞ! みんな、シスターベルティーナに万歳だ!」
「「「バンザーイ! バンザーイ!」」」
初戦勝利に、大いに盛り上がる応援団。
その様をにこにこと眺めてから、ベルティーナはふらりと移動を始める。
「少し、日陰で休んできますね」
「そうさね。人の前に出るっていうのは、想像以上に体力を消耗するもんだからねぇ」
「ノーマさん、それはご自身の経験談でしょうか?」
「うっさいね、ナタリア! 黙ってな!」
わきゃわきゃと戯れる四十二区の面々。そんな声を背に、ベルティーナは一人、更衣室の方へと向かう。
「ベルティーナ」
ゆっくりと近付き、並んで歩きながら、俺は声をかける。
「うふふ……心配しましたか?」
「まぁ、多少はな」
「でも、約束が守れてよかったです。ホッとしました」
「…………すまな………………ありがとうな」
「……はい」
頷いて、足を止めるベルティーナ。
俺の言葉の意味を、正しく理解したようだ。
「こちらこそ、ありがとうございます。でも、心配いりませんからね」
ゆっくりと礼をして、ベルティーナは俺に背を向け、再び歩き出した。
その背中は、「ついてこないでくださいね」と言っているようだった。
更衣室に入っていくベルティーナを見送る。
「こらこら、自分。いくらなんでも更衣室を堂々と覗きに行くんはアカンのとちゃうか?」
アホなことを言いながら、レジーナが俺を追いかけてきてくれた。
うん……こいつもやっぱ、気が遣えるよな。
ベルティーナのことは気が付いてないようだけど、俺の異変には気が付いてくれた。
だから、こうして軽口を叩きながらも、そばに来てくれたんだろう。
話が早くて助かる。
「……レジーナ」
「ん~? なんやの?」
「胃薬を用意してやってくれ」
「え? ………………あ、そうなんか?」
「あぁ。あと、頼むな。女子更衣室には、さすがに入れん」
「はいはい。ほなら任しとき。ウチが自分の代わりに、シスターはんの生唾ごっくん生着替えを覗いてきたるわ」
俺の背中をバシッと叩き、レジーナは更衣室へと入っていった。
これで、大丈夫だろう。
「ヤシロさん」
聞き慣れた声に振り返ると、不安そうな顔をしたジネットが立っていた。
調理場の片付けを終え、急いで戻ってきたのだろう。息が乱れている。
こいつも、ベルティーナの変化には気が付いているはずだ。
「すまん。ちょっと、無理をさせ過ぎた」
「いいえ。たとえこのような状況にならなくても、ヤシロさんが何も言わなくても、何も望んでなくても……シスターは、同じ行動を取ったと思います」
確かな自信を滲ませて、ジネットは言う。
ほんの少しだけ、寂しそうな笑顔で。
「大切な人のために、ほんのちょっと無理をし過ぎてしまう……、困った母親なんですよ、シスターは」
ベルティーナは、五十皿目ですでに限界を超えていたのだろう。
あと一口でも食べていれば、きっと以前のように寝込むほどの腹痛に襲われていたに違いない。
あの時、一度腹痛で寝込んだ時に、自分の限界を正確に悟ったのだろう。
「以前、シスターが寝込まれた時……回復されてからしばらくの間、ずっと元気がなかったんです。わたしたちに迷惑をかけてしまったと、自責の念に囚われていたのだと思います」
「見守るべき自分が、守られてしまった……ベルティーナが考えそうなことだ」
それでこう思ったのだろう。
「もう二度と、心配などかけたりはしない」と。
「ヤシロさん」
「ん?」
ジネットの目が、いつもよりも少しだけ淡く見えた。
どことなくノスタルジックな……懐かしい雰囲気のする色合いだった。
「シスターが、どうしてあんなにたくさん食べるか……分かりますか?」
「え? ……単なる大食いなんじゃないのか?」
「いいえ」
おかしそうに笑って、ジネットは首を横に振る。
「わたしが教会に住むようになったばかりの頃は、どちらかと言えば小食な方だったんですよ」
「はぁ!? ベルティーナが少食!?」
あり得ない。
ジネット、お前はカエルになりたい願望でもあるのか?
「ですが、……わたしもそうだったのですが、他にもたくさん……ご飯を食べない子供たちがいたんです」
「それは……なんつうか…………教会への、反発心……とかか?」
「いいえ。そうではなくて…………」
「はぁ……」と短く息を吐いて、唇をキュッとすぼめて、ジネットは思い切ったような表情で言う。
「わたしたちは、捨てられた子供……でしたので」
あの教会には、行き場のない子供たちが生活している。
事故や病気で両親を亡くした者も、中にはいるのかもしれないが……多くは、捨て子だったのだろう。
「ですから、その子たちの心には、こんなことが刻み込まれていたんです……『自分たちは要らない子なんだ……いいこにしていないと、また捨てられる』……」
俺は、その言葉に、なんと返していいのか見当もつかなかった。
「だからですね、なんとなく……感覚でなんですけども……遠慮をしてしまうんです。ご飯を食べると、捨てられるんじゃないかと……不安になって…………無意識のうちに、我慢を」
「それで……なのか?」
「……はい。それで、です」
子供たちが飯を食うように、まずはシスターが率先して飯を食うようになった……
元は小食だったシスターが、無意識のうちに我慢をしてしまうガキどもに行動で示すために……
「何回もおかわりをして、『ほら、ご飯はこうやってたくさん食べるんですよ』って……『遠慮しなくていいんですよ』って…………相当、無理をなさっていたんだと、思います」
そして、胃がどんどんと鍛えられて…………
「今では、シスターの大食いを子供たちが『しょうがないなぁ』って、笑って見守っているんです。おかげ様で、もう変な我慢をする子供は一人もいません。だって……シスターが誰よりも美味しそうに、何より、楽しそうにご飯を食べるんですから……」
ベルティーナの大食いは、ガキどものため……だったのか。
「もっとも、食べることに目覚めて、今ではすっかり食道楽になってしまいましたけど……」
くすくすと、ジネットが笑いを零す。
「けれど、そんなシスターを、わたしたちはどうしても嫌いにはなれないんです」
それも、確信を持って断言された言葉だった。
「この先、たとえどんなことがあろうとも、わたしは……わたしたちは……シスターベルティーナお母さんのことが、ずっとずっと大好きなままなんです」
誇らしげに胸を張り、満面の笑みで言う。
「どうですか? いいでしょう?」とでも、言いたげな顔で。
「自慢かよ」
「はい。自慢の母親です」
「ま、母親にしたいいいおっぱいランキングの上位であることは、確かだな」
「もう、ヤシロさん。またシスターに怒られますよ」
頬を膨らませながらも、ジネットは嬉しそうに笑った。
「じゃ、あとはレジーナに任せて、俺たちは二戦目に備えるか」
「はいっ!」
踵を返し、舞台へ向かって歩き出す。
チアガールリーダーとして覚醒したノーマが、合流したパウラに応援の手ほどきをしている。
なんだか賑々しい光景だ。
そんな中、俺はふと立ち止まり、もう一度後方へと振り返る。
ベルティーナが入っていった更衣室。
今頃、レジーナに小言を言われながら薬を処方されているのだろうか…………まぁ、ゆっくり休めよ。
でもまぁ、一言だけ。
「サンキュな、ベルティーナ」
さすがに、「お母さん」とは、恥ずかし過ぎて言えなかった。
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