「いやぁ、参ったよぉ。すごい雨でさぁ」
羽織っていたマントを脱ぎ、エステラはジネットから受け取ったタオルで濡れた髪の毛を拭く。
しかし……こいつは何も分かっていない……
「エステラ」
「なんだい、ヤシロ?」
「濡れが足りん!」
「…………またよく分からないことを」
エステラは全っ然濡れていないのだ。
外は土砂降り。しかも、急な雨だった。
だとするならば、突然の雨に驚き、なす術もなく全身ずぶ濡れとなり、大慌てでここへ駆け込んでくるべきシーンだろう、これは!
そして、服が雨に濡れて体に張りつき、普段は分からない女っぽい体のラインとかが浮き彫りとならなければいけないと思わないか!? どうですか、みなさん!? そうでしょう!?
「そこで、俺にジッと見つめられて、『あ、あんまり見ないでくれるかな……ボクの貧相な体なんか見ても、君は楽しくないだろう?』くらいのセリフが吐けんのか、お前は!?」
「……おかしな妄想もさることながら、勝手にボクの体を貧相設定にしないでくれるかな?」
ジトッとした目で睨んでくるエステラ。
だが、事実貧相じゃん!
それとも何か? 「ボク、脱いだらすごいんです?」ってか?
すごいわけあるかあぁ! 服の上からでも十分わかるわ!
「今日は雨が降りそうな空模様だったからマントを羽織ってきたんだよ。備えあれば憂いなしってやつさ」
「憂いてるよ、俺が!」
「君は…………そんなに、見たかったのかい……その、ボクの…………そういう姿を」
少しだけ恥ずかしそうに、軽く怒ってみせるエステラ。
だから、そういうのを『濡れて』やれよ。情緒のねぇヤツだな。
「……乾物め」
「そんな悪態を吐かれたのは生まれて初めての経験だね。雨じゃなきゃ表で決闘を申し込んでいるところだよ」
エステラが口元を引き攣らせる。
「もう、ヤシロさん。女の子にそういうことを言っちゃダメですよ」
エステラのマントを壁に掛けて、ジネットが俺に注意を寄越す。
ウーマロに言って、陽だまり亭のカウンター内の壁にフックを取り付けてもらっておいたのだ。これで、コートや帽子、ステッキなんかが掛けられる。
ホテルのように、コートを一時的に預かり、会計の時に返すのだ。コートは人質の役割も果たし、食い逃げを抑止する効果も多少はあるだろう。
客に番号札を渡し、それと引き換えに荷物を返す。これで返す相手を間違えることもない。
「では、エステラさん。帰りにこの番号札をカウンターで渡してくださいね」
「『9番』? これがボクの番号なの?」
エステラは店内をぐるりと見渡す。
「誰もいないのに、なんで『9番』?」
「それは……ヤシロさんが……」
二人の視線が俺に向けられる。
エステラが来る前、ジネットには「エステラの荷物は『9番』に保管するように」と言い含めておいたのだ。
俺の中では、エステラには『9番』がピッタリなのだ。
ほんの少しだけ視線を落とし、エステラに言ってやる。
「分かりやすくていいだろ、『ナインちゃん』」
「……なるほど、この雨の中で決闘をしたいってことだね?」
エステラが『ナイン』な胸を押さえて俺を睨む。
こんなにも分かりやすいというのに。
「ヤシロさん! もう、どうしてエステラさんにそんなことばかり言うんですか。懺悔してください!」
叱られてしまった。
「分かった。今後はジネットをターゲットにする」
「ぅぇえっ!? や、やや、やめてくださいね!? 本当に、ダメですからね!?」
ジネットが慌てながらカウンターの向こうへと避難する。
うむ。いい反応だ。なかなか可愛らしくてよろしい。
――と、なんでこんなことをしているのかというと……
「暇だな……」
「お客さん、いませんからね」
陽だまり亭には現在、客の姿はなかった。
リニューアルオープンから早二週間。
夕方には、ウーマロたちが大工仲間を引き連れてどやどやとやって来るのだが、昼間は見事なまでに閑古鳥が鳴いているのだ。
「やっぱ宣伝不足かなぁ……」
大工の大行進も、すぐに効果を発揮するわけではない。
しかも、ヤツらは仕事が終わってから四十二区に移動してくるわけで、この時間帯に外食をしようという客層とは出くわさない。よって、この時間に引き込むべき層に対してはまったく宣伝できていないのだ。
何か手を打たなければな。
「それにしても、随分と綺麗になったね」
「はい。ヤシロさんの設計と、トルベック工務店さんのおかげです」
実を言うと、エステラがリニューアル後の陽だまり亭に来るのは今日が初めてだった。
ここ最近はめっきり顔を見せていなかったのだ。
「エステラ。狙った男へのストーキングはもういいのか?」
「ボクが二週間もの間、そんなことをしていたと思っているのかい?」
「違うのか?」
「仕事に追われていたんだよ。……まったく、ようやく仕事を片付けて顔を出してみれば…………『お疲れ様』の一言でもくれたって罰は当たらないんじゃないかい?」
むくれるエステラは、意外と愛嬌があって可愛らしく見えた。
が、それよりも…………仕事?
こいつは一体どんな仕事をしているのだろうか?
普段はフラフラと遊び歩いておきながら、何かがあると二週間も自由を奪われるような仕事…………探偵とか?
「なぁ、お前。どんな仕事してんだ?」
「教えないよ」
「……人には言えない仕事か……」
「そうやって人のイメージを貶めるのやめてくれないかな?」
「エロい仕事か?」
「違うに決まってるだろ!?」
割とマジな否定が飛んできた。
そういうのでなきゃ、隠したい職業ってなんだ?
そもそも、仕事を隠す理由が…………あ、俺、詐欺師だったわ。今は飲食店勤務になってるけど。
どちらにしても、ヤバい仕事関連以外に思い当たらない。
「エステラさんは、海漁ギルドの方ではないんですか?」
ジネットも、エステラの職業を知らないらしい。
ちなみに、海漁ギルドである可能性はない。
「こいつは以前、『許可証』を使って漁をしていただろう?」
俺がもらって、エンブレムの参考にしたヤツだ。
「海漁ギルドの人間なら、許可証などなくてもマグダのように漁に出られるはずだ」
「あ、確かにそうですね…………」
と、考え込むようにアゴに指を添えるジネット。
その肩を軽くポンと叩き、エステラはジネットに笑顔を向ける。
「まぁ、なんだっていいじゃないか。ボクはボクなんだし」
「そうですね。どんなお仕事をされていても、エステラさんはエステラさんですからね」
そんな言葉で騙されるのはジネットだけだろうな。
もっとも、俺もどうしても知りたいというわけではない。エステラにはいろいろ秘密にしていることがあるようだし……好奇心がないと言えば嘘になるが、好奇心のために関係を壊してしまうのはあまりに惜しい。
いや、エステラに好意を持っているとか、そういうことではなく……
エステラは……こういう言い方はちょっとアレだが……俺にとって非常に都合がいいヤツなのだ。
この世界の知識、相手の思考を読む力、俺が求めている事柄を理解し解説する能力、そして、各種手続きに関する手際の良さ。それらは、ジネットやマグダ、その他、俺がこの街で出会った連中の誰にも出来ないことだ。
こいつとの関係は継続するのが俺にとって大きな利益になる。
何より、こいつは敵に回さない方がいい。
頭のキレるヤツは、そばに置こうが遠ざけようが、敵に回った瞬間牙を剥くものだからな。
特に、こいつには俺の『アキレス腱』を知られている……
幸いなことに、エステラも俺との関係を継続させたいと思っているようで……そうであるならば無暗に踏み込まない方が吉だ。
藪を突いても出てくるのは蛇ばかりだ。極稀に一億円が見つかったりもするようだけどな。
そんなコンマ数パーセント未満の可能性にかける気はさらさらない。
エステラを怒らせても、何もいいことなどないのだ。
仲良くしよう。
「エステラ」
「なんだい」
「お前は別に濡れなくてもいいぞ。全然期待していないから」
「君は、ボクを怒らせることをライフワークにでもしているのかな!?」
おかしい……友好的な関係を築こうとしたのに。
「まったく……ちょっと失礼するよ」
そう言って、エステラはカウンターへと向かう。
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