「彼女はウィシャート家に見限られた存在だから、累が及ぶことはないとは思うけれど、慎重を期してあげてほしい」
そんなことを、真剣な瞳で言って、オルキオはコーヒーを一口飲む。
ムム婆さんは黙って座っている。
ジネットも、不安げな表情ではあるが、何も言わずオルキオの言葉を待っている。
マグダとロレッタは一応客のいない店内を気にしつつ、話に耳を傾けている。
シラハは、膝に手を置いて俯いている。
だが、その膝に置かれた手には、おそらくオルキオの手が重ねられているのだろう。
こっちからテーブルの下を覗き込んで確認するようなことはしないが。
「彼女――ルピナスは、九歳の頃に我が家にやって来たんだ」
九歳……
「オルキオのストライクゾーンだな」
「ごふっ!」
さっき飲んだコーヒーが戻ってきたのか、オルキオは気管支が「もうやめて!」って悲鳴を上げそうなほど咽せる。
「ど、どうして、そんな……ごほっごほっ!」
「いや、だって。九歳のシラハと出会って一目惚れしたんだろ?」
「いや、それはそうだけれど……」
「そうなのよ。それで、オルキオしゃんったら、純情だった私を外で――」
「シラハ、少しお口を閉じようか」
握った手を持ち上げてぐっと力を込めるオルキオ。
あ、やっぱ手を握ってやがった。
「あのね、ヤシロ君。シラぴょんと出会った時、私は十四歳だったんだよ」
その年齢差もどうかと思うけどな!?
「しかも、その年齢で、外でとか……」
「そのエピソードはもうちょっと大人になってからだよ! というか、この話やめないかい!? ここにはうら若い女性も多いからさ!」
やはり、うら若い女性には聞かせられないエピソードのようだ。
頬を染めるジネットとは対照的に、マグダとロレッタは興味津々な目をオルキオに向けている。
あ、ムム婆さんもすまし顔をしながらも耳がオルキオの方に向いている。
いくつになっても好きなんだな、他人の色恋。
「ごほん、ごほん! とにかく、そういった感情は一切抱くことなく、私はルピナスと出会い、教師と生徒として接していたんだ。その時私は二十一歳だったからね」
シラハの方をチラチラと窺いながら言い訳めいた弁明をするオルキオ。
そうやってハラハラするから怪しく見えるってのに。こういうのは堂々としていた方がいいんだぞ。
チラ見よりガン見の方がバレないって言うし!
「ウィシャート家の目論見は最初から分かっていたよ。というか、父から散々言われたんだ。ルピナスに懐かれて、ルピナスが我が家にとって都合よく立ち回るようにしつけておけとね。……犬や猫じゃあるまいに。失礼な言い草だったよ」
オルキオの親族は親族で、ウィシャート家の権力にあやかって勢力を伸ばそうと考えていたって訳だ。
で、ウィシャートは表だって行えないような裏の仕事をオルキオたちがまとめている虫人族――亜人たちにやらせようとしていたと。
ホント、どっちもクズだな。
相性よさそうだ。
「当然、私にそんなつもりはなかった。その頃にはもうシラぴょんがいたからね」
顔を見合わせてにこりと微笑むジジババ。
ん? ジジババでいいだろうが、こんな歩く胸焼け製造機。
「十六歳のシラぴょんはね、ちょっと背伸びしてお姉さんっぽい女性になろうとしていてね、覚えたてのお化粧とかして……可愛かったなぁ」
「やだ、オルキオしゃん……恥ずかしくて、シラハのハートが溶けちゃうわ」
「二人の恋は――」
「――メルティーラブ」
「マグダ、叩き出してくれ」
お前ら、手紙じゃなくてもポエムが飛び出すのか。
とんだ無差別兵器だな。
「で? どんな娘だったんだ、ルピナスっていうのは」
「ルピナス様はとても聡明な方だったわよ」
オルキオに聞いたら、シラハが答えた。
口ぶりからして、随分とよく知っている様子だ。
「でも、それ以上に活発で、大胆で、アグレッシブで、たくましくて、豪快で、野性的で、パワフルで、時に凶暴で、無鉄砲で、粗野で、直情的で、手の付けられないお転婆で、おしゃまで、お嬢様の型に嵌まらないお元気な方だったわ」
「出始めと終わりはなんとなくおとなしめだけど、途中でとんでもない大暴走してなかったか、お前の形容詞!?」
『凶暴』からよく『おしゃま』に帰ってこられたな!?
どんだけ暴れ回ってたんだよ、その令嬢!?
「あはは。確かに、行儀見習いに来たお嬢様という感じはしなかったね」
そんな枠に収まらないくらいの印象を抱いたんだが?
野生児だったんじゃないのか、本当は?
「ルピナスを動物に例えるならオオカミだね。荒野だろうがジャングルだろうが、どんな環境に独りぼっちで放ってもたくましく生き抜きそうな生命力に溢れていたよ」
「そいつお嬢様じゃないだろ!?」
「いやいや、血統は確かだよ。なにせ、ルピナスはデイグレア・ウィシャートの姉だからね」
現領主の実の姉!?
ゴリゴリの正統じゃねぇか。
直系じゃん。え、なに? 突然変異?
「ただ、頭脳はずば抜けてよかったんだよ。教えたことは一度で完全に覚えるし、三年もしないうちに、教師役の私が解けないような難問をすらすら解くようになるしね」
才能はあったのか。
……才能がある手の付けようがないじゃじゃ馬。うわぁ、最低の人種だ。
「それでも、私を見下すようなこともなく、どんな些細なことでも学び吸収しようとする姿勢を持っていた優秀な女性でもあるんだ」
「うふふ。きっと、ルピナス様はオルキオしゃんが好きだったのよ」
「えっ、そんなことないよ?」
「もう……オルキオしゃん、鈍いんだから」
「いや、でも、そんなこと言われたこともないし、シラぴょんとも仲良くおしゃべりしてたし」
オルキオは、ルピナスが家に来た直後に「自分には心に決めた人がいる」と告げたらしい。
頭のいいルピナスは、自分の役割を理解した上でオルキオのもとへ来ていた。
だが、オルキオの心が他所へ向いていることを知るや、自分の役目をあっさりと放棄したらしい。
曰く、「ウィシャートの者と認められていないのに、ウィシャートの駒として動くのが嫌になりました」――だそうだ。
それが、彼女が十歳の時の台詞だというのだから恐れ入る。
もしかすれば、ウィシャート家はデイグレアなんかじゃなく、ルピナスを領主にしていた方が繁栄したんじゃないかとすら思う。
もっとも、その繁栄の仕方はウィシャート家が望むものではないだろうが。
オルキオが言うには、ルピナスは悪事を快く思わない生真面目な性格らしい。
「ルピナス様は、私たちの結婚にも協力してくださったのよ。彼女がいなければ、私はオルキオしゃんと結婚できていなかったと思うわ」
貴族がよくやる手口の一つに、裏から手を回して圧力で握り潰すというのがある。
それを未然に防いだのがルピナスなのだとか。
当時、ルシアの祖父が領主を務めていた時代、ホタル人族のお手伝いをそばに置くほど虫人族に心を砕いていた領主婦人、ルシアの祖母に取り入って『貴族の長男と亜人』という前代未聞の結婚を成就させたという。
ルピナスってのは本当に行動的な女性だったんだな。
そして、小さい頃からオルキオに惚れていたというのが本当なのだとすれば――なんて強い女性なんだろうか。
好きな男の幸せを願って、自分以外の誰かとの結婚を全力でサポートするなんて……
「私、言われたもの。『絶対にオルキオ先生を幸せにしなきゃ許さないから』って」
しかし、オルキオは結婚直後に廃嫡される。
「ルピナスがまだ家にいる間に次期当主を変更し、なんとかウィシャート家との繋がりを維持しようと目論んだんだろうね」
「でも、ルピナス様はオルキオしゃんの廃嫡に酷く憤慨なさってね――」
『私は貴族としてのすべてをオルキオ先生から教わりました。その先生が貴族でなくなるというのであれば、私も先生に倣って貴族をやめます!』
「そう言って、ウィシャート家に絶縁状を叩き付けちゃったのよ」
なんつーパワフルなお嬢様だ。
貴族として生まれ、衣食住には困らない生活をしていたお嬢様が、その身一つで世間に放り出されてやっていけるほど、当時のこの街は豊かでも優しくもなかったろうに……あ、このお嬢様は荒野であろうと一人で生き延びていけそうなほどたくましかったんだっけ?
「ルピナスが絶縁状を叩き付けたのが十四歳の年の末、そして、年が明けて彼女が十五歳の年に、私たちの家が放火されたんだ」
オルキオの親族としては、オルキオがいなくなればルピナスが大人しくなると考えたのかもしれない。
だが、ウィシャート家は違うだろうな。
うまいことを言ってオルキオの親族を焚きつけたのだろうが、腹の底の「こっちの計画を邪魔しやがって。許せねぇ」って意図が透けて見える。
ウィシャート家はそこまでゴロつき斡旋業に固執していなかった。
現に、今もゴロつきギルドの連中をうまく操ってやがる。
連中にしてみれば、オルキオの実家と縁が繋がれば『楽になるな』くらいのものだったのだろう。
ウィシャート家の女たちは、扱いが随分とぞんざいらしいし。
だが、自分たちの計画を邪魔されたという事実だけは許せなかった。
だから、火を放つように仕向けた。
なるほどな。
シラハ。お前の言ったこと、分かるような気がするぜ。
やっぱり、許せねぇよな。
そんなクズに崖の上から見下ろされてるのかと思うと、腹の虫が収まらねぇどころか総立ちでヘッドバンキング始めそうだぜ。
こりゃ、デイグレア・ウィシャートの名前が『何がなんでもぶっ潰してやるリスト』から消える日も近いかもしれねぇなぁ。
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