「ふぃ……ふぃるまん・どなーてぃです……」
すっげぇ小声だ。
ものすげぇ怯えられている。
領主ドニスへの反発心から、客である俺たちを盛大に待たせた後、不遜な態度で食堂へとやって来たフィルマンことリベカのストーカー。
俺たちが麹工場で会った者であると分かった途端、借りてきた直後に掃除機でこれでもかと腹の肉を吸われまくったネコのように怯えて小さくなっている。
「……え? 聞こえない」
「フィルマンです! お待たせして申し訳ありませんでした!」
一度落ち着けた腰を再び持ち上げて、元気のよい挨拶を寄越してくる。
うんうん。若い子はこういう元気な感じが好印象だよな。
「君は、物の一分で相手の嫌がることを見抜く天才だよね……」
エステラから大絶賛をもらう。
頼りになるだろう、俺?
エステラとこそこそ話していると、使用人の一人が背後に忍び寄り、綺麗に折りたたまれた小さな紙を手渡してきた。人目を避けるようにこっそりと。
中学の頃、授業中にこういうのをもらったことがあるな。
『速報! 吉村先生(巨乳な美人英語教師)のブラウス、第二ボタンが摩耗してそろそろ限界!』
そんな些細なニュースを知らせてくれる気のいい仲間がクラスに一人はいたものだ。
その日の授業は、頭に入ってこなかったっけなぁ。男子全員が一点に集中してたっけ。
で、そんな甘酸っぱい記憶をくすぐるようなこの手紙の差出人は、当然、向かいに座るフィルマンだ。
視線を向けると、俺の手元の紙を指さし『見ろ』と合図を送っていた。時折、隣のドニスを気にする素振りを見せながら。
……まぁ、さすがにバレバレだとは思うけどな。
折りたたまれたそれを広げると、中には慌てたような文字で簡潔に――
『今朝のことはどうかご内密に』
――と、書かれていた。
なので、俺はその紙に返事を書いてやることにした。
『誠意って、知ってる?』と。
「なぁ、エステラ。ペンを貸してくれ」
「碌なことを書きそうにないから断る」
くっ。こいつは、目の前に転がっている儲け話を足蹴にするような真似を……
仕方ないので、YESにもNOにも取れるような、曖昧な感じで目配せをしておいた。
フィルマンは不安が拭えない様子で、まだ成長しきっていない薄い胸板をきゅ~っと押さえつけている。
「んん? なんだ、そなたらは面識があるのか?」
「うっ、いや……」
俺たちのやり取りを見て、ドニスがフィルマンに言葉を向ける。
「面識がない」とは言えないフィルマンは言葉に詰まり、面白いほどに汗をかいている。
「以前、街でお見かけしたことがあったんです。まさか、ミスター・ドナーティの血縁者だとは存じませんでしたが」
さらりと、エステラが助け舟を出す。
その瞬間のフィルマンのほっとしたような、嬉しそうな顔……あぁ、こいつには恩を売ることで盛大に見返りが期待できそうだ。そういうタイプだな、こいつは。
感情がすべて顔に出てしまっているフィルマンは、とても領主に向いているとは思えない。
だが、身内故に、ドニスは少し評価が甘くなっているのだろう。親バカならぬ、……甥の息子相手の場合は『何バカ』って言うんだろうか…………まぁ、思いつかないんで『バカ』でいいや。バカジジイなのだろう。
「そんなことよりも、折角ですので、少しフィルマンさんとお話をしてみたいです」
「そ、そうですね! 話しましょう!」
どこで会ったのだと追及される前に、素早く話題を変えるエステラ。
これ幸いとそれに乗っかる……というより、飛びつくフィルマン。隠し事が出来ないタイプなんだろうな、きっと。
「なんだ、そなたらは互いに興味があるのか?」
「え、えぇ、まぁ」
「そうですね。ミスター・ドナーティが目をかけるほどの方ですから、興味深いです」
しどろもどろのフィルマンと、無難に受け答えるエステラ。
そんな二人を交互に見やり、ドニスはにっこりと顔のしわを深くする。
「じゃあもう付き合っちゃえよ、ひゅーひゅー!」
「いえ、そういうことではないです」
口の両サイドに手を当て、ひょっとこみたいな口をしておどけるジジイ。……燃えるゴミの日に出したい系男子だな。
「ドニスおじ様。そういうお話はやめてくださいと何度も言っているでしょう」
フィルマンの声にうんざりとした苛立ちが含まれる。
先ほどまでの慌てた様子も消え、ただただ鬱陶しそうな表情を浮かべている。
しかし、当のドニスは一切気にする素振りも見せない。
むしろ、一層生き生きとしてきている。
「なぜだ? 見ろ、ミズ・クレアモナを。息をのむような美人ではないか」
目の前で褒められて、エステラが少しだけ頬を染める。
こいつは、褒め言葉に弱いな。
日本の商店街を歩かせたら、八百屋と魚屋と肉屋とクリーニング屋あたりにいいカモにされることだろう。
「それにな、年上の女房というのはいいものだぞ。しっかりとしていて、落ち着きがあり、貞淑で、教養があって……」
「そんな話は聞いていません」
「家柄も釣り合っているし……」
「いい加減にしてくださいっ!」
しつこいジジイに、フィルマンが激昂する。
硬いテーブルを殴り、腹からの怒声を吐き出す。
細い肩が静かに上下している。
ドニスは渋い顔をしながらも、よく回るその口を閉じ、顎を撫でてフィルマンを見つめる。
するとおもむろに、右腕を持ち上げた。
「じゃあ、あっちの給仕長にするか?」
「ドニスおじ様!?」
「家柄を取っ払えば、あっちの方がいいかなってワシも思っていたんだ。超美人だし、パイパイデカいしな!」
「黙れジジイ!」
……あぁ。身内にもジジイ呼ばわりなんだ、こいつ。
つか、エステラ以上の大絶賛だな。
やっぱあれか? 『BU』では、ナタリアみたいな女が持てはやされるのか。
先ほどまで薄く染まっていたエステラの頬が、今は引き攣っている。
……だよなぁ。許せねぇよな、そんな言い方は。
「ドニス」
あえて呼び捨てで、殺気すらも混ぜた視線をドニスに向ける。
返答次第では、貴様は俺の『敵』だ――
ゆっくりと立ち上がり、俺はナタリアを指さして声を上げる。
「『パイパイ』とは何事だ!? ちゃんと敬意を表して『おっぱい』と呼べ!」
「どうでもいいことで騒がないでくれるかな!?」
「黙れノーパイ!」
「上等だ、ヤシロ! 表に出てもらおうか!?」
「まぁまぁ、お二人とも。ここは『絶世の美女』である私に免じて」
「「調子に乗るなよ、ナタリア!」」
皮肉にも、エステラと意見が合ってしまったので矛を収めることにする。
「そなたら、無礼にもほどがあるだろう」
「あなたも、人のことは言えませんよ。ドニスおじ様」
しわジジイが何かをほざいてストーカーに注意されている。
……この空間、まともなヤツが一人もいねぇ………………俺以外。
「いろいろと失礼をいたしました」
「いや、なに。ワシの方こそ、見苦しいところを見せしてしまったな」
互いに謝罪の言葉を述べ、その場が仕切り直される。
そっとドニスを窺い見ると、さほど不快感は表していないようだ。
思っていたほど短気でも偏屈ジジイでもなさそうだ。面倒くささはピカイチではあるが。
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