異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

132話 微妙な変化 -2-

公開日時: 2021年2月8日(月) 20:01
文字数:3,086

 陽だまり亭へ戻る道すがら、エステラに出会った。

 って、おい!

 

「エステラ!」

「やぁ、ヤシロ。随分遅かったじゃないか」

「お前、何してんだよ? 陽だまり亭に居てくれって頼んだろうが!」

 

 俺は、レジーナの店に行くにあたり、エステラに留守番を頼んだのだ。

 いや、ジネットがいるから留守番の必要はないのだが……ジネットしかいないから、一緒にいてやってほしいと、頼んだつもりだったのだが……

 

「さっきナタリアに仕事を押しつけられちゃってね」

「ナタリアは? 陽だまり亭か?」

「いや、ウッセのところだよ。いよいよ、狩猟ギルドが魔獣のスワーム討伐に乗り出してくれることになったんだ。これでやっと不安材料が一つなくなるよぉ」

 

 そうか、それはめでたい。

 だが、そんなことはどうでもいい!

 どちらにせよ、大食い大会が終わるまでウーマロたちは動けないわけで、街門の工事再開は大会後になるんだ。スワーム討伐なんか、その前までに終わっていればそれでいい。

 それよりも、だ!

 

「じゃあ今、陽だまり亭にはジネット一人きりなんだな!?」

「う、うん。でも、大丈夫だと思うよ、お店を開けているわけでもないから、お客さんもいないしね」

「だから頼んだんだろうがよ!」

 

 ジネットはここ最近、独りぼっちになることを怖がっている。とても不安そうな顔をするようになったのだ。

 だから、常に誰か一人でもいいから、ジネットが落ち着けるヤツをそばに置いておいてやりたいと思っているのだ。

 

「しゃあねぇ。急ぐか」

「ヤシロ」

 

 走り出そうとした時、エステラが俺を呼び止めた。

 

「何をそんなに焦っているんだい? ジネットちゃんなら平気さ。これまでも、君が来るまでは一人でお店を切り盛りしていたんだから」

 

 これまでとは状況が違うから焦ってんだっての。

 

「最近、ジネットの様子が少しおかしいんだよ。だから気になってんだ。気付いてないのか?」

「ジネットちゃんの様子?? ……特に?」

 

 なんてこったい。

 抜け目ないエステラが、ジネットの変化に気が付いていないなんて……

 

「おかしいのは、君じゃないのかい?」

「俺?」

 

 何を言ってんだ。俺は至って普通だろう。

 四十二区の中で一番……いや、唯一まともな人間だというのに。

 

「君は最近、ジネットちゃんを気にし過ぎなんじゃないのかい? まるで、幼い子供を世話しているようだ」

「あのな……それはジネットのヤツが最近……」

「それに」

 

 グッと体を近付けてくるエステラ。

 澄んだ瞳が、俺の目を覗き込んでくる。軽くお辞儀をすればキスしてしまいそうな、そんな距離で、エステラがジッと俺を見つめてくる。

 

「最近君は、どこか遠くを見ていることが多い。心ここにあらずって感じでね」

「そんなこと……」

 

 ないと、言おうとしたのだが……エステラの瞳が微かに揺れ、どこか寂しげな色に染まり……言えなかった。

 

「もし、悩みがあるなら相談に乗るよ。遠慮はいらない。ボクと君の仲じゃないか」

 

 軽く握った拳を、トンッと胸にぶつけられる。

 ……なんだか、やけに重い一撃に思えた。

 

 悩み?

 俺がか?

 

「それじゃ、ボクは仕事に戻るけど、夕飯は陽だまり亭で食べるから」

「金は払えよ」

「分かってるよ。じゃあね、ヤシロ。あんまり一人で抱え込まないでくれよ? 大会は近いんだから」

「そういうのは、俺じゃなくてベルティーナとマグダに言っとけよ。あいつらが万全の状態なら勝てる」

 

 そう言うと、また……エステラの表情が曇った。

 

「君がいなきゃ、始まらないだろ」

 

 その一言は、どこか寂しそうなニュアンスを含んでいた。

 

「それじゃ、また後でね」

「……メニューはカレーでいいか?」

「そうだね。あれはホント癖になるよね」

「だろ?」

「じゃ、またね!」

「頑張って働いてこい」

「…………」

「ん?」

「いや、なんでもない」

 

 片手を上げ、颯爽と走り去っていくエステラ。

 どこかのヒーローみたいな去り際だ。女子にモテそうだな、羨ましい。

 

「っと、早く戻ってやるか」

 

 ジネットが一人で留守番をしていることを思い出し、俺は陽だまり亭に向けて走り出した。

 エステラは気にし過ぎだと言うが……あれだけあからさまに寂しいオーラを出しているのに、本気で気付いていないってのか?

 なのに俺の方がおかしいだなんて……エステラのヤツ、疲れてんじゃねぇのか?

 

 そんなことを、走りながら考えていた。

 

 陽だまり亭に到着し、ドアの前で乱れた呼吸を整える。

 なるべく、普段通りに……

 

 ドアを開けると、ジネットがフロアの掃除をしていた。ブラシをかけていたのだろう、床が水浸しだ。

 

「あ、ヤシロさん!」

 

 俺を見つけると、ブラシを置いてパタパタと駆けてく……

 

「うにゃぁっ!?」

 

 ……滑って転んだ。

 

 

「大丈夫か?」

「イタタ……うぅ……お恥ずかしいです」

 

 尻もちをつき、目尻に涙を浮かべるジネット。

 すごい音がしたからな、相当痛かっただろう。

 

「さすってやろうか?」

「い、いえっ! さすがに、それは……お尻、ですし……」

「じゃあおっぱいの方をさすってやろう」

「そっちはさする必要ないですよ!?」

「いや、でも、物凄い『ぶるぅぅぅんんんっ!』ってしてたし」

「もう! 懺悔してください!」

 

 胸を押さえ、頬を膨らませる。

 けれどお尻が痛いようで再びさする。

 ぱたぱたと腕を振り回し、忙しいヤツだ。

 

「掃除してたんだな」

「はい。時間のある時に、徹底的にやってしまおうかと思いまして」

「んじゃ、手伝うか」

「い、いえ、そんな! 悪いですよ、ヤシロさん、帰ってきたばかりでお疲れでしょうし」

「まぁ、確かに、レジーナに会うと精神が疲弊するもんな……」

「あの、そういう意味で言ったわけでは……レ、レジーナさん、楽しい方じゃないですか。ね?」

 

 苦しいフォローをしつつも、苦笑は隠しきれていない。

 

「ほら、立てるか?」

「あ……、すみません」

 

 手を差し出すと、ジネットは両手で俺の腕にしがみついてきた。

 少し膝が震えており、立つのに苦労しているようだった。

 相当痛いのだろう……

 

「やっぱさすろうか?」

「お気持ちだけで……」

「遠慮しなくても、いくらでもペロペロしてやるぞ?」

「それはさする時の音ではありませんよ!?」

 

 いや、唾つけとけば治るとか言うしさ。

 

「あ……」

 

 と、ジネットが短い声を漏らし、お尻を押さえて顔を真っ赤に染める。

 あぁ……そうか。

 

「漏らしたか……」

「ち、違います! その、お尻が……濡れて…………スカートに丸い染みが……」

「え、どこだ?」

「見ないでください!」

 

 俺が覗き込もうとすると、ジネットは体をひねり俺とは反対方向へ尻を逃がす。

 ほぅ……その動き、俺とやろうってのか? 小学四年生の時に『カバディの鬼』と呼ばれた、この俺と!?

 

「カバディカバディカバディカバディ」

「なんの呪文ですか!?」

 

 腰を落とし、左右に短くステップを踏みながら相手の隙を窺う……わずかでも隙を見せたら、一瞬で背後に回り込んでやるぜ!

 

「カバディカバディカバディカバディ」

「怖い、怖いですよ、ヤシロさん!?」

 

 よし、今だっ!

 左足に体重をかけ、一気に右側へと跳躍する。

 この一瞬のフェイントで、ジネットは完全に虚を衝かれ無防備状態に……ガンガラガッシャーン! …………カランカラカラ……そんな、金属音が店内に響いた。

 

「……あの、ヤシロさん…………大丈夫ですか?」

「あぁ……ちょうどぬるくて、風邪引きそうだ」

 

 跳躍した先に、水の入ったバケツがあり、俺は見事にそいつをひっくり返してしまったわけだ。マンガみたいにすっ転んで、全身水浸しだ。

 

「掃除中に遊ぶのは、やめましょうね?」

「はい……先生」

 

 気分はまるで、先生に叱られた小学生だ。

 何やってんだかなぁ、俺。

 俺もいい歳なんだし、もう少し落ち着きっていうヤツを持たなきゃいけないよなぁ……

 

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