「仲がいいんだな、お前とトレーシーは」
「……へ?」
同じものを見て、同じ感想を抱くってのは、感性が近いってことだ。
同じ空間で同じ時間を生きてきた者同士なら、そういうこともあり得る。むしろそうなる確率が高い。
「幼馴染なんだってな」
「おさな…………あ、あの。それを、どこで?」
「どこって、トレーシーがそう言ってたんだよ」
「トレーシー様が……っ!?」
驚きの表情を浮かべ、身を引く。若干驚き過ぎて、無人の椅子に体当たりをしてしまったほどだ。
どこにそんな、驚くような要素があるんだ? それ以外に考えられないだろうに。
「覚えて……いてくださったんですね…………」
「いや、覚えてるだろう、普通!?」
いくらなんでも、ガキの頃から一緒にいて、幼馴染だったことを忘れるヤツはいないだろう!?
どこかで一回記憶でもなくさない限りは。
「自分に仕える給仕長は、お前以外あり得ないって言ってたぞ」
「ぼぅぅうううっ!?」
「なんの意思表示だ、その音は!?」
「ぼ…………っ……ぼぅっ…………ぼ……嬉しい……っ」
「どっから出てきた音だよ『ぼ』っ!?」
やたら長いテーブルの前に並んだ無数の椅子。
俺とその隣の椅子の間に蹲り、身を丸くしてむせび泣くネネ。
顔を覆った両手の隙間から、「ぼぅっ……ぼぅっ……」と、謎の鳴き声が漏れてくる。……もうちょっと可愛く泣いてもらいたいものだな、美少女には。
「わ、私も……お仕えするのは、トレーシー様しか……いないと、常々…………っ」
涙でぐしゃぐしゃになった顔で本音を吐露するネネ。その言葉に嘘は一切見られない。
怒鳴られてばかりの毎日でも、ネネはトレーシーを慕っているようだ。
「トレーシー様がいなければ、私は…………生きている意味が…………トレーシー様がいなければ、私など………………雨の日の大通りに落ちている手袋(片方のみ)ほどの価値もなくて……」
「だから、ネガティブ発想やめいっつのにっ!」
何と比較してんだ!?
そして、この世界にもあるんだな、道路の真ん中に落ちてる謎の手袋(片方のみ)! 日本では軍手率が高いけどな。
「いつも怒鳴られてばかりの、役立たずな私のことを……そんな風に思っていてくださったなんて………………今すぐ死んでも悔いはありませんっ!」
「発想が逆走してんぞ、お前!?」
生きてこそだろうが! お前以外に給仕長を任せたくないっつってんだから。
「うぅ……嬉しいです……嬉し過ぎて今晩眠れそうにないです…………」
「その感情はよく分からんが……嫌になったりはしないのか? こう毎日、ことあるごとに怒鳴られてさ」
「嫌になる? ……私が、トレーシー様を?」
涙で赤く染まった目を大きく見開き、奈良の大仏が立ち上がってムーンウォークをするくらいにあり得ないものを見るような驚きの表情をさらすネネ。
そして、その顔には怒りにも似た感情が広がっていく。
「とんでもないですっ! 私は生まれて一度も、トレーシー様を疎ましく思ったことはありません! むしろ、こんな私をずっとおそばに置いてくださることへの感謝ばかりで……嫌になるなんて、考えたことも、頭をよぎったこともありません!」
凄まじい気迫だ。
真剣過ぎる瞳は鬼気迫るものがあり、「ふざけたことを抜かすとぶっ殺すぞ」くらい言われそうな迫力に満ち満ちている。
全身全霊の否定。
ネネは、トレーシーを心底慕っている。
それは間違いなさそうだ。
「でもよ、怒鳴られるのはつらくないか?」
「つらいのだとすれば、トレーシー様にそのようなことをさせてしまっている、自分の不甲斐なさがです」
「けど、理不尽な叱責もあるだろう?」
「理不尽とは、理に敵わない行動という意味です。トレーシー様が私のためを思い、その言葉で、声で、私の至らぬ部分を指摘してくださっている――これほど理に適ったことはないのではないでしょうか?」
つまり、理不尽な叱責など一度もされていないというのか。……こいつ、本気か?
ここが日本で、俺がとある会社のパワハラ撲滅に駆り出されたコンサルタントで、ネネがその企業の人間であったならば、立場的にそのような発言をして保身に走っているのだと考えたかもしれない。……が、こいつの目は真剣そのものだ。
自身が置かれ続けてきた環境を『普通』だと思い込み、疑うことをはなっから放棄して……いや、そんなことすら考えもしないで生きてきたのだろう。
幼い頃から異常な同調現象の中で生活していたこいつらは、とにかく「自分の意見を持つ」とか、「他人を疑ってかかる」ということを放棄しているように見える。
それが、こいつらの『普通』なのか……
まるで、小学生のような純粋さだ。
先生にやるなと言われたことはやらない。ルールを破る者は「悪者」として糾弾され、そしてそんな対応に疑問を抱かない。
個性が芽生える前に集団としてのルールを教え込むことは重要で、それが不十分だと道徳観念に乏しい人間になってしまう。
だが、逆に個を殺して集団であることを強要し過ぎると、自分で考えるという大切な能力を削いでしまう危険がある。
それが、二十九区のマーゥルの館で会った、給仕候補生たちのような連中だ。
マニュアル通りの受け答えしか出来ず、イレギュラーに対応できない。
ネネも、そんな『BU』の若者の一人なんだろうな。
「ネネ。お前は、トレーシーに怒鳴られたくないとか考えないのか?」
「毎日考えています。『トレーシー様に注意を受けなくて済むような完璧な給仕長になりたい』と」
……うん。怒鳴られたくない理由が俺の言っているものとはまるで別物だな。
こうまで噛み合わないとは。
だが、怒鳴られないようになりたいとは思っているわけか。
なら、トレーシーの望みとネネの望みは合致していると言ってもいいだろう。
まぁ、その望みを叶えるためには、双方ともに意識改革が必要だけどな。
トレーシーは、怒る必要もないところでも癖で怒鳴ってしまう悪癖を。
ネネは、怒られないことを最優先とし、相手の顔色を窺ってしまう悪癖を。
こいつらの体に刻み込まれた同調現象過多の性質を利用すれば、それもなんとか出来るかもしれない。
その悪癖が顔を覗かせる余地もないような環境に置けば……悪癖が出ない環境が普通であると認識させることが出来れば……こいつらの悪癖は根底から消え去るかもしれない。
やってみる価値はある。
恐怖の対象だった俺を、「可愛い」と思わせることには成功したのだ。
環境さえ整えば、きっと……
「お前の望みを叶えてやろうか?」
「えっ……?」
トレーシーに怒鳴られずに済むように――他人の顔色を窺うばかりで、逆に不興を買っている無責任な事なかれ主義を矯正する。
それが出来る場所に、心当たりがあるんでな。
「俺が、お前たちに協力してやる」
ただし、お前たちの切なる願いを聞き入れ、望みを叶えてやるんだ。相応の報酬は覚悟してもらわないといけない。
「も、申し訳ございません! ……お気持ちは嬉しいのですが」
「え……断る気か?」
「は、はい……本音を言えば、是非にもご協力いただき、今すぐトレーシー様に負担をおかけしない自分に生まれ変わりたいのですが…………オオバ様のお力を借りるということになりますと…………」
信頼されていないからか?
大食い大会での悪印象が影響しているのだろうか。
珍しく、自ら手を差し伸べてやったら、きっぱりと払いのけられた。
その理由は、一体……
「四十一区の領主、リカルド様より聞き及んでおります。オオバ様は、Eカップ以下の者を人として扱わず、報酬はすべておっぱい由来の奉仕でなければ納得しないとっ!」
「お~い、エステラ~。帰りに四十一区寄ってくんねぇか? あそこのクソ領主を一発ぶん殴りに行かなきゃいけなくなったんだ」
「へぇ、奇遇だねぇ。ボクも、その男を一発ぶっ飛ばしたいと思っていたところなんだ」
「お供いたします、ヤシロ様、エステラ様」
「あ、あの……どなたか、止めなくてもよろしいのですか?」
俺、エステラ、ナタリアの意志が合致して、それに対しトレーシーがおろおろと戸惑いを見せる。
止める? なぜ?
あそこのアホ領主は一回きちんと締めてやらなきゃ分からないようだ。これは親切だ、ある意味な。
だがまぁ、リカルドを殴りに行くのはいつでも出来るから後回しにするとして……
「トレーシー。いつか時間を作ることは出来ないか?」
「時間、ですか……?」
「あぁ。一泊か二泊ほどなんだが、二十七区をあけることは可能か?」
「二泊も……一体、何をなさるつもりなんですか?」
領主を外へ連れ出す。それも給仕長も一緒に。
かなりな無茶を言っている自覚はある。
だが、こいつらはここにいてはダメなのだ。悪癖を治すためには、あの場所へ連れて行かなければ……
「四十二区へ来てほしいんだ。宿泊は、エステラの館になると思うが……」
「作ります! ネネ、直ちに調整を行いなさい!」
「はい! ただいま!」
ものすげぇ食いついたっ!?
決断早かったなぁ……
「時間を取れるか」と聞いたら、「時間は作るものだぜ」と返された気分だ。
しかし、こいつらを連れ出せればこちらのものだ。
「ただ四十二区に来るだけじゃなくて、お前たちの悪癖を治すための訓練を行ってもらう必要がある。観光ではない」
「あ、あの……具体的には何を……?」
トレーシーとネネが一度視線を交わし、改めて俺を見つめる。
まぁ、そう不安そうな顔をするな。そんな難しいことをやらせようってんじゃないんだ。
ただな……
「ちょっとしたアルバイトをしてもらおうかと思ってな」
いつも笑顔の絶えない、怒る雰囲気が形成されにくい空間で、怒る暇もないほど動き回って、頭を使って、笑顔と楽しいおしゃべりに溢れるあの場所で、自分の意志でやるべきことを見つけてそれを的確に、要領よくこなしていかなければならない。
そんな場所で、しばらくアルバイトでもしてくれりゃあいい。
「ヤシロ、それってもしかして……」
俺のやろうとしていることを察したエステラが焦り半分、戸惑い半分な顔で尋ねてくる。
あぁ、そうだ。たぶんお前の考えていることは合っていると思うぞ。
「トレーシーとネネを、陽だまり亭で働かせてみようかと思う」
人畜無害な最強社畜がトップを務める、あの職場でな。
「で、でも……他区の領主を働かせるなんて……それに、そんなことでトレーシーさんの癖が治るかどうかも怪しいし……」
「何言ってんだよ、エステラ」
お前だって知ってるだろう?
『癇癪癖』なんて悪癖、陽だまり亭で少し働けばすぐに治っちまうさ。
なにせ――
「ジネットのお人好しは、他人に伝染るんだぜ?」
俺は自信に満ち溢れたウィンクを一つ、エステラへと飛ばしてやった。
まぁ、見とけって。
その後、トレーシーにせっつかれながらネネが奔走し……ランチを食べた後、つまり今日この後から、四十二区へ向かうこととなった。
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