異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

334話 旅立ちの時、別れのアイサツ -1-

公開日時: 2022年2月8日(火) 20:01
文字数:4,130

「おかえりパーティー、楽しみにしてるわ」と微笑んだレジーナの顔は、今までに見たことがないくらいに無邪気で、誰もその言葉を疑わなかった。

 おそらく、レジーナ自身も本心からそう言ったのだろう。

 

 実現できるかどうか分からない。

 そんな不安を押し殺して、本心から「おかえりパーティーに参加したい」と思ったのだ。

 そうまでしてでも、バオクリエアへ行かなければいけない理由がレジーナにはあって、そしてその理由を知りながら見て見ぬふり出来るようなヤツじゃないのだ、あの変に責任感の強過ぎる薬剤師は。

 

 だから、きっと誰も怒りはしないさ。

 お前が最初からこっそりと旅立つつもりだったって知ってもな。

 

「ま、人を欺くには、まだまだ経験が足りてないようだけどな」

「……自分…………」

 

 人目を避けるように、真っ黒なローブを羽織り、フードを目深に被ったレジーナを呼び止める。

 先回り成功だ。

 まぁ、こいつが何をする気か分かっていればこれくらいは容易い。

 

 篝火が生み出す頼りない燈の中で、レジーナと向かい合う。

 他には誰もいない。二人っきりで。

 

 

 こいつがお見送りパーティーのメニューを『なんでもいい』と言ったのは、今日食べる物がそのメニューになると知っていたからだ。

 メニューを指定してしまえば、それを食べるまで出立できなくなってしまう。

 もしジネットがそのメニューを「腕によりをかけて作ります」なんて言った日には、その発言が嘘になってしまう。

 レジーナはジネットや、あの場にいた者たちに嘘を吐かせたくなかった。

 

 そして、『せやから』。

 

 おかえりパーティーは豪華にやろう。『せやから』今日は普通の料理を。

 そう言って、レジーナはらしくもなく自分から「一緒に飯を食おう」と提案した。

 

 みんなが言ってくれたお見送りのパーティーを、ささやかながらも実現させるために。

 

 律義過ぎるっつーの。

 まぁ初めて友達が出来たんだ。それもあんなに。

 嫌われるようなことはしたくねぇよな?

 

 俺が呆れ顔で見つめていると、レジーナは諦めたように肩をすくめた。

 

「よぅ分かったな」

「俺を誰だと思ってやがる」

「おっぱい妖怪チクビこねくり」

「そりゃお前だろ」

 

 自分でボケたくせに「ぶはっ!」っと吹き出し腹を抱えるレジーナ。

 

「こんな軽口も、しばらく叩けへんようになると思うと、ちょっと寂しいなぁ、やっぱ」

 

 フードを取ると、いつもよりも幾分すっきりとしたレジーナの顔が現れる。

 少し前髪を切ってきたようだ。

 

「なんだか可愛らしいな。少し若返ったんじゃないか?」

「あ、あほ言いな。……一応、第二王子に会うさかいに、むさ苦しくないようにしよう思ぅただけや」

 

 レジーナでも、さすがに王族に会う時は気を遣うようだ。

 

「けど、ホンマびっくりやわ。ここまでドンピシャで当てられるとは思わへんかったで」

 

 選択肢はいくつもある。

 今日の夜か、明日の朝か、どこの街門を通るのか、どのルートで旅立つのか。

 

 だが、レジーナの思考をトレースすれば、こいつが選択するルートは一つしかなくなる。

 

 

 旅立つと宣言したその日のうちに、三十五区の街門を出て、海路でバオクリエアへ向かう。

 

 

 俺の読みはドンピシャで、まんまとここ三十五区の港へ通じる大通りでレジーナを捕まえたってわけだ。

 背後には街門が見えている。

 光るレンガを導入した三十五区の街門は、夜の闇の中でぼんやりと白く浮かび上がり幻想的な雰囲気を醸し出している。

 

 こんな光景を一人で見て胸に刻み、こっそりと旅立とうと思っていたわけだ、こいつは。

 

「お前は脆いからな。一晩寝れば決心が揺らぎかねない。まして、日が昇るころには誰かしら活動を始めているのが四十二区だ。誰かに会って、あいさつでもされたら――」

「せやね。きっと『あともうちょっとだけ』言ぅて、とどまってしもぅとったやろうな。あの、居心地のえぇ世界に」

 

 街門近くのこの場所は、海が近いせいかやたらと冷える。

 美しく整備された港への大通りも、人がいないこの時間は寂しさを倍増させる。

 おそらく、あと一時間もすれば、そこらの安宿からバオクリエアへ向かう行商人たちがわらわらと出てくるのだろう。

 

 今は港の男たちが、巨大な船に大量の物資を積み込んでいる頃合いだ。

 

「寂しい船出だな」

「そうでもあらへんよ」

 

 夜風に緑の髪がなびく。

 レジーナは、白く光る街門を指さし、すっと目を細める。

 

「めっちゃ綺麗やん。ウチ、こんな景色、見られるなんて思てへんかった」

 

 四十二区と関わったことで、三十五区も変わり始めている。

 それもこれも、四十二区が大きく変わったことがきっかけだ。

 生活が向上し、様々な物が生み出され、それが良くも悪くも目立ってしまって、こんな離れた区の領主までもを引き付けてしまった。

 

「お前がいてくれたから、あの街門は輝いてるんだよ」

「なんでやのん。ウチ関係あらへんやん」

 

 笑いながら言って肩をすくめる。

 確かに、光るレンガを生み出したのはウェンディとセロンだが――

 

「教会のガキどもが倒れたあの日、お前が助けてくれていなければ、きっと俺は四十二区を離れていた」

 

 もっと言うなら――

 

「お前が、あの因縁の香辛料を薬に使ってくれたから、俺の中でなんかが吹っ切れたんだと思う。たぶん。それがなきゃ、俺は今でも小悪党のままだったさ」

 

 まぁ、詐欺師っていう悪党であることには変わりないが――

 私利私欲のために他人から奪ったあの香辛料が、罪のない者たちの苦しみを取り払った。

 俺の罪が消えるわけではないが、それでも、少しだけ……

 

「救われた気がしたんだよな、あの時」

 

 素直にそう言うと、レジーナは驚いたように目を丸くして、そして口元を緩めた。

 

「なんや、なんか変やなぁ。自分、そんなん言うタイプ違ぅやん」

「まぁな」

「話してよかったんかいな、ウチなんかに。香辛料の出所、内緒やったんちゃうのん?」

「別に構わないさ」

 

 今となっては、もう結構な人間が知っていることだ。

 ルシアにも話しちまったし、ベルティーナも気付いていた。

 そして、おそらくジネットも――

 

「やめてぇ~や? ウチこれから船旅やねんから、嵐きたら困るわぁ」

「別に珍しいことじゃねぇよ」

 

 軽口を叩くレジーナに、挑発するような笑みを向ける。

 

「お前、なんか死にそうだから、言っとこうと思ったまでさ」

「アホっ! 誰が死ぬかいな!」

 

 そうだ。

 そう口にすることで、人の命はこの世に縫い付けられる。

 

 死なない。

 死ねない。

 

 その思いを、ほんの一瞬たりとも見失うんじゃねぇぞ。

 

「けろ~っとした顔で戻ってきて、今日のこと蒸し返して悶絶さしたろ! 恥ずかしさで頭ん先からオケツん割れ目まで真っ赤にさしたろ!」

 

 下半身だけ白いな、その状態の俺。

 けど、まぁ。

 

「おう。悶絶させてくれ。なんなら、もっと燃料を投下してやろうか?」

 

 レジーナの眉根が微かに寄る。

 シワを作るまではいかないまでも、らしくない空気に戸惑いが表れている。

 

「面白おかしく身悶えてやるからよ、――絶対帰ってこいよ」

 

 それが叶うなら、オケツの割れ目だって赤く染めてやる。

 悶絶上等。

 その時に、今のこの行為を後悔させてくれよ。

「あんなバカなこと言わなきゃよかった」ってよ。

 

「……アホやなぁ」

 

 脱いだフードをもう一度被る。

 俯けば、レジーナの顔はフードと緑の髪に隠れてしまう。

 

「パッと行ってパッパと帰ってきたら全然平気や。黙って出てって、帰ってきた時めっちゃ怒られたら、この罪悪感も多少は薄れるやろうなぁ。まぁ、今まで腐るほど一人でいたんや、一人旅も気楽でえぇやろ。平気や平気。ぜ~んぜん問題あらへん――」

 

 顔を隠したまま、レジーナが明るい声を夜の空へと吐き出していく。

 白く染まる息と共に吐き出された言葉は、冷たい風にさらわれて消えていく。

 

「――そう、思ぅとったのに」

 

 はぁ~……っと、レジーナの口から白い息が吐き出される。

 

 

「今、こうして会えて、こうして話せて……めっちゃ喜んどるねん、ウチ」

 

 いつもの飄々とした笑みとは違い、ぎこちなく歯を見せてレジーナは笑う。

 

「ホンマ、あほやな、ウチ」

 

 寒さか、涙か、照れなのか。

 レジーナの頬と鼻は真っ赤に染まっていた。

 

「あほついでに……もいっこ、えぇかな?」


 俯き、震える吐息を吐き出す。

 吐き出された息は白い湯気となり、夜の闇に紛れて消える。


「……ホンマは、怖いねん……あの国は、この街とは命の重さが全然違うねん。自分や領主はん、トラの娘はんとかクマ耳はんとか……この街のみんながいてくれたら、理由なんかなくても大丈夫やって思えた思う……せやけど……ウチ、一人や」


 俯くレジーナを、何も言わずに抱きしめた。

 少々強引に。

 有無を言わさず。


 だが、レジーナは反発することもなく、俺の胸に頭を預ける。

 細く白い指が、俺の服を掴む。

 抱き留めた細い肩は、小さく、ずっと、ず~っと、震えていた。


「……独りぼっちで死ぬんは…………怖過ぎる……」


 レジーナの涙が止まるように、震える体を抱きしめる。

 骨が折れるくらいに、全力で。

 俺の腕の中にいるのは、天才薬剤師でもお調子者の破廉恥娘でもなく、ただ一人の普通の女の子だった。

 

「その恐怖を和らげる方法を教えてやろうか?」

 

 耳元で囁くと、レジーナが真っ赤に染まった瞳をこちらへ向けた。

 ……急に顔上げんな。唇触れそうになったろうが。

 

 まん丸い瞳が俺を見ている。

 どっかの小動物みたいに可愛らしくて、ちょっと笑ってしまった。

 

 独りぼっちで死ぬのが怖いなら――

 

「死ななきゃいいんだよ。生きて帰ってくりゃ、なんにも怖いことなんかねぇだろ」

 

 生きて帰ってくれば、お前は死なないし独りぼっちでもない。

 この街には――四十二区には、お前のことが気に入っているお節介焼きが山のようにいるからな。

 

「……ふふっ」

 

 笑って、鼻を押さえて洟を啜り、ぐいっと俺の胸を突き放す。

 

「簡単に言ぃな。具体案出さんかい」

 

 眉をつり上げて不服顔を見せるレジーナは、それはそれで可愛く見えた。

 へーへー。具体案ね。

 

 いいとも。出してやろうじゃねぇか。

 

 お前の恐怖を取り除いてやれるなら、俺はなんだってやってやるさ。

 脳みそをフル回転させて、弾き出された妙案を無償で提供してやったっていい。

 

 だから、死んでも生きて帰ってこい。

 

 

「俺が、究極の作戦を授けてやる――」

 

 

 

 そうして、レジーナの身に降りかかる危険を限りなくゼロにするべく、俺は秘策を授けてやった。

 

 

 

 

 

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