「ジネットちゃん。悪いけど、一度マントを返してくれるかい?」
「それでは番号札を……」
「……『ナインちゃん』の番号札を」
「ぽそっと言っても、しっかり聞こえてるからね、ヤシロ!」
耳聡いヤツである。
「もう帰るのか?」
「まだ帰らないさ。ジネットちゃんのご飯も食べてないし」
「俺の顔が見られたからもう満足なのか?」
「帰らないって言ってるだろ!?」
「じゃあなんでマントなんて……あっ、そっかぁ、イッケねっ、メンゴメンゴ~!」
「ホンット、デリカシーないよね、ヤシロはっ!?」
エステラが真っ赤な顔をして肩を怒らせる。ってことは図星か。
トイレだ。
ここのトイレは店を出て裏に回らなければいけないため、雨の日は雨具が必要になるのだ。改善の余地が大いにあるよな、トイレは。
「それでしたら、いい物がありますよ。ちょっと待っていてください」
パンと手を鳴らし、ジネットはカウンターの奥へと入っていく。
「え、ジネットちゃん? いい物ってなんだい?」
「オムツだ」
「うるさいよ、ヤシロ! ジネットちゃんがボクにそんなものを勧めるわけないだろう!?」
分からんぞぉ?
この世に絶対などというものは存在しないのだからな。
が、まぁ違うだろうな。
おそらくは、この前俺が作ったアレだ。
「これを使ってみてください」
そう言ってジネットが差し出したのは、俺の予想通り……傘だった。
「なんだい、これ?」
「ヤシロさんが作ってくださった、雨をよけるための道具です。ここを押すと傘が開いて……」
ジネットは先日覚えたばかりの使い方を、嬉しそうにエステラに教えている。
ちょっと優越感でも感じているのだろう。
「こうすると屋根のようになるので、この中に入って移動すれば濡れずに済むんです!」
それは、素晴らしい発見だ。……とでも言いたげな興奮気味の口調で説明を終える。
ジネットは、俺がもたらす日本の文化がお気に入りのようだ。……まぁ、傘なんかどこの国にもある、比較的簡単に作れる物だが……とりあえず、日本人が普通に知っている文化は、こちらの世界では興味深いもののようだ。
ジネットはいつしか、俺が何かを作り始めるとその完成を心待ちにするようになっていた。
「全然濡れないんです! すごいんですよ!」
「あぁ、エステラ。そこまで万能じゃないからな?」
「いや、まぁだいたい分かるけど……」
エステラも、ジネットの熱に若干押され気味なようだ。
ちなみに、俺が作ったのは番傘に似た簡単な作りの傘だ。ジャンプアップ傘とか折り畳み傘が作れれば、一財産築けそうなんだがな。
「それじゃあ、ちょっと借りていくよ」
「おう。傘に気を取られてぬかるみに足を取られるなよ……お。俺うまいこと言ったな」
「ばぁ~か」
軽い笑みを寄越し、エステラが食堂を出て行く………………前に、ドアを開けた状態で動きを止めた。
……なんだ?
「……念のために聞くけどさ」
首を微かに動かし、視線がこちらに向くか向かないかという角度で止める。そんな微妙な振り向き加減で、エステラは持ち前の鋭さを発揮しやがった。
「……ボクが顔を出さなかった間に、何かあった?」
「ね、ねぇよ! 別に何も!」
「はい! ないですよ!」
別に俺は、この前ジネットとチューしそうになったことや、その後のちょっとしたあれやこれやのことを気になどしていない。
あんなものは別になんてことはない、ただのコミュニケーションの一種だ。俺くらいの男になれば、あんなもんは掃いて捨てるほど経験している。
ただちょっと、エステラが鋭い質問をしてきたりするから、今だけほんの少しばかりビックリしただけなんだよ。
だから、別に何もない。こいつは嘘じゃない。あんなもん、『何か』にカウントするような事象では、決してないのだから。
「………………へぇ。そう」
静かに言って、エステラは食堂を出て行った。ドアがゆっくりと閉まるまでの間、やたらと雨の音がうるさく聞こえた。
……ったく。
マジもんの高校生じゃあるまいし、俺がそんな青春みたいなもんで甘酸っぱい気持ちになるかってんだ。
ジネットが必要以上に緊張するから、それがウツっただけだ。
と、ジネットを見ると……
「~~~~~~~~…………っ!」
両手で顔を押さえ、身もだえていた。
ハッキリそれと分かるくらいに、耳が真っ赤だった。
……やめて、そういうの。
…………恥ずかしいの伝染するからさぁ。
「はぁ………………熱い」
手扇で、顔の粗熱を冷ます。
こういうのはアレだ。俺らしくない。
うん。気を付けよう。ジネットのペースに巻き込まれると、お人好しまでウツされかねない。
しっかりと自分を持て、俺。目的を、決して見失うなよ。
…………よし。落ち着いた。
ここからは通常営業だ。
いつも通り。大人の余裕で若い娘たちに付き合ってやるとしようではないか。
「ジネット」
「ひゃいっ!」
……おかしな声を出すんじゃないよ。
「……ぁぅう……すみません」
失敗に失敗を重ね、ジネットがしゅんとうな垂れる。
肩を落とし、俯いて……頑なにこちらを見ないように視線を外している。
……普通にしてくれねぇかな、やりにくいからさ。
「とりあえず、エステラの飯を用意してやったらどうだ?」
「そ、そうですね! 少し遅いですけど、お昼ご飯を食べていただきましょう!」
必要以上に大きな声でそう言って、ジネットはぎくしゃくとした動きで厨房へと入っていった。
……大丈夫か、あいつ?
まぁ、そのうち慣れるか。
これまで自分が存在していた世界の中に、新たな変化が起きると人間はそれに対応するために意識をその変化へと集中させる。
転校生なんかがそのいい例で、これまで平穏だったクラスの中に異分子が含まれることで、保たれていた均衡が崩れるのではないかという思いが誰しもの胸に生まれる。そうして、迎合か反発か、はたまた勧誘か誘惑か……人はなんらかの行動を取る。
興味が一点に集中している状態。その状態を、人はしばしば恋と勘違いしてしまうことがある。
『恋のつり橋理論』などと呼ばれているが……要は、これまでにない状況に対する負荷やストレス、緊張感といったものを『恋のドキドキ』だと勘違いしてしまうのだ。
今のジネットがまさにその状態なのだろう。
突如現れた『オオバヤシロ』という異分子を前に、緊張や驚きに見舞われ、意識がこちらに向いてしまっているだけだ。
まして、図らずも俺は、ジネットが望むような結果をもたらす行動をいくつか取ってきた。
ジネットの目に「親切だ」と映るような行動をだ。
好感を持たれているという自覚はある。
ただ、それは『恋』では、――ない。
平たく言えば、勘違いなのだ。
いつか、その熱も冷め……勘違いにも気が付くだろう。
それまでは、そっとしておけばいい。
夢はいつか覚めるし……夢見る少女もいつかは大人になるだろう。
その頃には、今の気持ちもすっかり整理されているだろうし、忘れられているもしれない。
まぁ、それならそれでいいさ。
誰もいなくなった食堂に雨音だけが響いている。
「………………」
俺、いつまでここにいるんだろうな。
ふと、そんなことが頭をよぎった。
この街での生活基盤を固めるまで……
『精霊の審判』や『強制翻訳魔法』などの知識を得るまで……
それは、いつだ……?
俺は、いつまでここに…………
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