早朝。
木戸が閉め切られて真っ暗な部屋の中で、俺は目を覚ます。
すっかり眠り慣れたワラのベッドの中で身をよじると、隣に人の温もりを感じた。
腕を伸ばし、ろうそくに火をつけると……俺の隣にナタリアが寝そべっていた。
「うふふ……素敵でしたよ、ヤシロ様」
「朝からそういう重た~いギャグやめてくんない?」
なんかもう、胃がむかむかしてくるからさぁ。
あと、ちょっといい匂いしてるからって邪険にしきれない自分がもどかしいっ。
昨晩は泊まってもいないくせになぜか寝間着を着込んで俺のベッドに潜り込んでいるナタリア。……お前には淑女としての品とか素養とかないのか。
「悪かったな、朝早くに来てもらって」
「いえ。夜遅くに参りましたよ」
「いつからここに潜り込んでた!?」
「ナタリアッ、何やってるんだい!?」
俺の怒鳴り声に続いてエステラの絶叫が早朝の部屋にこだまする。
……お前もさぁ、人の部屋に入る時はもっと静かに…………まぁ、もういいけどさ。
「可愛い寝顔をさらしていたヤシロ様が悪いと思います」
「えっ、なんで俺のせい? で、微妙に恥ずかしいから、そういうこと言うのやめてくれる?」
ルシアとギルベルタが陽だまり亭に泊まりに来たあの日から三日が過ぎていた。
ルシアとギルベルタを盛大に接待してやった甲斐もあって、ルシアが各区に働きかけてくれた。その結果、各区での移動販売の許可と、それぞれの領主関係者に出店に関する説明をする時間を、俺たちは与えられた。
というわけで、今日は早朝から屋台を曳いて各区を回るのだ。
それぞれの区で販売のデモンストレーションを行い、領主に説明をし、今日の日没までに三十五区を目指す。
ルシアの館で一泊し、翌日の夕方に戻ってくる予定だ。
そんなわけで、今日と明日、教会への寄付は行えない。
その代わりをエステラとナタリアに頼んだのだ。
二日分の朝食の仕込みはすでに終わっている。あとは教会の寮母とナタリアがいればちゃちゃっと調理できるような献立だ。問題はないだろう。
「ヤシロも早く準備しなよ。他のみんなはもう下で待ってるよ」
「……んぇ? マグダもか?」
「目を爛々とさせて、食堂でずっとそわそわしてたよ」
「……遠足前の小学生かよ」
マグダは、俺たちと遠出することがあまりない。
このデモンストレーションが決まってからというもの、ずっとわくわくそわそわしっぱなしだった。
「とにかく、君も早く着替えるんだね」
「はい。お嬢様」
「君に言ったんじゃないよ、ナタリア!? っていうか、なんで君は寝間着なのさ!?」
「給仕服で寝ろと?」
「寝るなと言っているんだけど、分からないかな!?」
エステラがナタリアをマグダの部屋へと引っ張っていく。そこで着替えさせるそうだ。
二人が出て行ってから俺も服を着替える。
時刻は午前三時半。
目覚めの鐘までまだ時間がある。
普段ジネットが起きる時間だ。この時間に起きないと、日没までに三十五区にたどり着けないのだ。途中で屋台販売もするしな。……かなりハードスケジュールなのだ。
テキパキと着替えを済ませ廊下に出ると、ちょうどエステラたちも出てくるところだった。
「留守中、しっかり頼むな」
「うん。任せておいて」
「お任せください。ヤシロ様のベッドは私がくんかくんかし尽くしておきます」
「こういう変なヤツが潜り込まないよう、留守をしっかり頼む」
「うん、任せておいて。そこだけは確実に!」
俺とエステラがやたらと強い握手を交わす。
身内に危険人物がいるって、大変だな、しかし。
陽だまり亭の留守はエステラが見ておいてくれることになった。
とはいえ、四十二区でのことだ。さほど心配はしていない。
怖いのは自然発火とか、天災だが、まぁ、それも無いだろうな。エステラに頼んでおくのは念のためだ。
階段を下りて中庭に出ると、ロレッタが井戸の水を汲み上げていた。
「一気っ! 一気っ! 一気っ! 一気っ!」
「や、やめてです!? この桶一杯の水はどう頑張っても無理ですよ!?」
「禊っ!」とか言って頭からばしゃーっと被るような素振りもない。
一体、何をやっているというのだろうか?
「何してんだ?」
「へ? 顔を洗う水を汲んでるですよ?」
「うっわ! 普通!」
「い、いいじゃないですか!? 普通、いいことですよ!?」
「ヤシロはロレッタに何を求めているんだい?」
何も求めてねぇよ。
ロレッタはこうやって俺に弄られ続ける存在でいてくれれば、それ以上は何も望まん。
「お兄ちゃんがそろそろ起きてくるからって、店長さんに言われたです」
「あぁ、俺のための水なのか?」
「そうですよ。よく冷えてて目が覚めるですよ」
「そっか。ありがとな」
「ヤシロ様用ということは……今陽だまり亭にいる女性陣が素足を一度浸すわけですね」
「……うん? 俺、今からこの水で顔を洗うんだけど」
「だからこそ、素足をっ!」
「エステラ~」
「ごめんねぇ。今手元に鈍器がないんだ」
顔くらい普通に洗わせてくれっつの。
「ナタリアさん。違うです」
水を木桶に移して、ロレッタがナタリアに向き合う。
「お兄ちゃんは、生足はダイレクトにいきたい派の人です」
「なるほど」
「よし、ロレッタ。水を汲んでくれた感謝は今のでチャラな」
礼なんか言うんじゃなかったぜ。まったく。
キンキンに冷えた水を勢いよく顔に浴びせかける。
くぅ…………効くなぁ……
「なぁ。何か拭くものないか?」
「脱ぎたてでもよろしいですか、ヤシロ様?」
「……エステラ」
「ごめんよ……ナタリア、実は昨日から徹夜してて、今、テンションが最高潮なんだよ」
なるほど。どうりで……
しかし、そういう理由なら、こんな早朝に呼びつけた俺にも多少は責任があるか。
今日だけ大目に見てやる。……俺もまだ眠くて、いちいち絡むのも面倒くさいしな。
「申し訳ございません、ヤシロ様」
「いや、まぁ、今日は別にいいよ。気にすんな」
「いえ。脱ごうと思ったら穿いていませんでした」
「お前、ホンット、いい加減にしろよ!?」
濃いんだよ、朝っぱらから!
あぁ、お前は真夜中のテンションなんだっけな!?
このズレは致命的だよね!
「……俺のベッド使っていいから、ちょっと寝てこい」
「しかし……」
「教会でこのテンションはマズい……ガキもいるんだ。頼むから寝てきてくれ」
「では…………ムラムラして眠れるか定かではありませんが……使わせていただきます」
「エステラ。『空き部屋』にこいつを放り込んできてくれ」
「分かった。……世話をかけさせないでよね……もう」
そんなわけで、ナタリアは一時離脱だ。
うん。睡眠って大切なんだな。俺も今度から十分に取るようにしよう。
「ふぅむ……アレが、大人の色香というヤツですね……あたしにはまだ出せないです……」
「アレが出始めたら、お前クビな」
「にょほっ!?」
あんな状態のウェイトレスを店に置いとけるか。
ナタリアは心身ともに限界で、ちょ~っと『素』が出ちゃっただけなんだよ。
………………『素』が、アレなのかぁ……
なんだか、悲しい現実を目の当たりにし、俺は桶の水を畑に撒いてから厨房へと入った。
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