「まず、最初に言っておきたいことがあるんや」
レジーナの話は、そんな言葉から始まった。
「湿地帯の大病は、精霊神はんの呪いなんかやない。……あれは、人間の悪意が生んだ災厄――人災やったんや」
エステラが短く息を飲む。
人災……
湿地帯の大病は、人の手によって引き起こされたということか。
「ウチ、自分らに黙ってて、今ここで言わなアカンことが二つあるねん」
そう言って、にへらっと笑ってみせる。
口角が震え、うまく笑えていない。
「今日穿いとるパンツの色は~……とか、いつもみたいにふざけられたらえぇんやけど……」
ぱしっと音を鳴らして、レジーナが自身の手を掴む。
握った手が、細かく震えている。
「レジーナ」
その手を掴むように、俺は手を重ねる。ついでに、ぐっと握っておいた。
「大丈夫だ。ちゃんと聞いてやるから」
怖がらずに話せばいい。
「お前が言いたいことも、パンツの色も、全部な」
「……あほ。パンツの色は言われへんわ」
そんな、いつもならエステラが呆れてため息を漏らすようなやり取りも、レジーナの緊張を解すことは出来ず、レジーナの言葉はなめらかにはならない。
「どうせ、泥で汚れて、真っ茶色や……」
俯いて、そんな冗談を口にして、「……はぁ」と、重たい息を吐き、奥歯を噛みしめるように頬が微かに動いて……
「一つ目は、謝らなアカンことやねん」
顔を持ち上げて、今にも泣き出しそうな瞳で俺たちを見る。
「ウチな……調査隊に志願、したやん?」
言い出しにくい言葉を口にするために、遠回りをしながら言葉をなんとか音に変えていく。
俺も経験があるから分かる。
言葉が喉につかえて出てこないのだ。
頭では言わなければいけないと思いつつも、口から出てくる言葉は自分の意思とは関係なく逃げ腰なものになってしまう。
そんな自分に、腹が立つ。
今、レジーナは一番つらい気持ちでいるのだろう。
もしかしたら、人生で一位二位を競うくらいに。
「湿地帯の大病の話を聞いた時に……その症状を聞いてな……もしかしたら、アレなんちゃうかなぁ~って……思い当たる病気が、あったんやけど……な」
言葉が、途切れ途切れ、ゆっくりと吐き出されていく。
それに比例するように、レジーナの震えが大きく、強くなっていく。
自身の拳を握るレジーナの指先にも、力が込められていく。
「くはぁ……」
強引に息を吸い込む音がして、レジーナは最も言い出しにくい言葉を吐き出す。
「せやけど、ウチ……言われへんかった。たぶん……いや、『たぶん』ちゃうな……逃げや、こんなん。……ウチは……保身に走ってもぅたんや」
レジーナの瞳に涙が溜まっていく。
保身。
その症状を知っていると申し出ることで、自身に向けられるなんらかの感情から逃れたいと思った。
レジーナが、病気に対して背を向けるなんてこと、これまではなかった。
けれど、レジーナは今回初めて背を向け、顔を逸らした。
「せやから、調査隊に参加して、自分の目で見て、確かめて、『そんなことあらへん』って、確証が得たくて…………ほんで、勘違いやったら、また、今でも、この先も、ずっと……ずっと黙っとくつもりで……おった」
頭に浮かんだ可能性を認めたくなく、知られたくなく、自分で検証してそれが勘違いだったならば、またそっと自分の胸の内にしまい込んでしまおうとしていた。
それほどまでに、レジーナにとってソイツは知られたくないことだったのだ。
「けど……やっぱ世の中、そんな甘ぁないなぁ…………ホンマは、前の領主はんの症状を聞いた時から、もしかしたら……って、思ぅとってん」
レジーナの葛藤は、今回の騒動よりもずっと以前から、こいつの胸の中でくすぶっていたのだという。
「けど、そんなことあり得へんし、あったらアカンことやし、絶対ない、絶対あらへん……って、自分に言い聞かせて、見ぃひんかったことにしとったんや」
少しだけ、エステラの表情に変化が現れる。
苦しそうに眉が寄る。
「……ごめんな。もしかしたら、もっと早く、前の領主はんの病気、診られたかもしれへん……」
「いや……」
自身の表情に変化が出てしまい、それをレジーナに気取られたと知り、エステラは顔を隠すように手で覆う。
軽く撫でて、再びこちらを向いた顔は、いつものエステラの顔に戻っていた。
「ボクの方こそ、君の存在を認識しながらコンタクトを取れずにいたんだ。それを言うなら、ボクがもっと早く君に頼みに行くべきだったよ」
「しゃーないよ。ウチの噂は悪いもんばっかりやったし、前の領主はんが病床にある状況で、代理をやっとった領主はんが無茶なこと出来るはずあらへんもん」
『精霊の審判』が効かない謎の魔女。
そんな噂が立っていたもんな。
エステラが無茶をして、妙な呪いや魔術をかけられるなんて事態はあっちゃいけなかった。
あの時点では、どちらも踏み込むことが出来なかったのだ。
当時の四十二区は、本当にギリギリの綱渡りをしているような状況だったからな。
レジーナが噂通りの怪しいヤツで、エステラがその毒牙にかかれば四十二区は破綻する。
それは、絶対に避けなければいけない事態だった。
レジーナにしても、自らしゃしゃり出て患者を診察するような暴挙には出られなかった。
自身の噂や、周りからどう見られているかを正確に把握していたなら、自分が動くことで四十二区を余計に混乱させることは分かったはずだから。
まして、出来ることなら目を背けていたい事象に、望まれてもいない、信頼関係も構築できていない、ろくに話したこともない相手のために踏み込んでいくなんて、出来るはずがない。
「だから、ね? レジーナ。昔のことは、もう言うのはやめよう。タイミングが悪かったんだよ、ボクにとっても、君にとっても」
「……せやね。当時からこんくらい話せる関係やったら、よかったんやけどな」
レジーナの瞳から涙がこぼれ落ちた。
瞳の上でギリギリ踏ん張っていた雫は、少しの安堵と共に溢れ出した。
あとを追うように、涙の粒はレジーナの頬を伝い落ちていく。
「あ~、アカン。泣いとる場合ちゃうのに」
手の甲で目尻を拭い、意識的に明るい声を出して上を向くレジーナ。
話さなければいけないことはもう一つ残っている。
それはきっと――
「もう一つ、言わなアカンことはな――」
――今よりも、重い話。
先ほどの謝罪が、前座になるくらいの。
「さっき、自分が見つけた花……」
魔界の太陽のような、不気味な形状の花。
アレを見て、レジーナの感情は振り切れた。
こいつは、あの花を知っている。
それも、詳細に。
「あの花は、自然に生まれたモノやない。薬学のメッカ、バオクリエアで研究開発された人工的な新種の花や」
自然界にはない、人工物。
バオクリエアで生み出されたという花が、なぜかオールブルームの、最貧区と言われた四十二区の、そのさらに最奥――人が寄りつかない湿地帯の中に咲いていた。
「あの花は、水気のある場所に種をまくと三日と三晩で花を咲かせ――」
レジーナの表情が変わる。
「開花と共に、人を死に至らしめる細菌を胞子に載せてまき散らす、細菌兵器なんや」
これまで、一度も見せたこともないような激しい怒りを瞳に宿らせて。
強く噛みしめた唇から、一筋血がしたたり落ちる。
「ほんで、言わなアカンもう一つの話はな――」
切れた唇を指でなぞり、レジーナが真っ青な顔で呟く。
「謝ったところで到底許されへん事実……」
光を失った瞳が、俺たちを見る。
「あの花を生み出したんは、ウチなんや」
こいつは誰だ?
と、一瞬迷ってしまうほどに、レジーナの表情はこれまでに見たどの顔とも異なって、別人のように見えた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!