「では、皆様。ご案内いたします」
ネネを先頭に、俺たちは食堂へと向かう。
ネネの後ろをトレーシーとエステラが歩き、その後ろに俺とナタリアが続く。
エステラに張りついている分、ナタリアの方が若干前にいる。
食堂の大きなドアの前には別の給仕が二人控えており、ネネが合図を出すとそれぞれ左右のドアを同時に開け放った。
完全に開け放たれたドアの向こうには、どこかの映画で見たような無駄に長いテーブルが置かれており、テーブルの上には純白のテーブルクロスが敷かれ、美しい花が飾られていた。
テーブルクロス引きは出来そうにないな、この長さだと。
そんなどうでもいいことを考えながら、俺たちは食堂へと足を踏み入れた。順番に。
ネネとトレーシーが先んじて食堂へ入ると、細く長い部屋の両側、壁の前にずらりと並んだ給仕が一斉に礼をした。
数瞬の乱れもなく衣擦れの音がする。軍隊かというほどに揃っている。
三十人ほどもいる人間がまったく同じ行動を取ると圧倒されるものだな。
どれも、まだうら若い女子たちだというのに、よく訓練されている。物凄く厳しい規律でもあるのだろうか。圧巻だ。
そして、やや遅れてエステラが食堂へ入ると……空気が一変した。
「きゃあっ!」だの、「わぁ!」だの、なんだか黄色い声が方々から飛んできた。
見れば、隣の者の肩を叩いて「ねぇ、見て見て! エステラ様よっ」「ホント、お綺麗ね~!」みたいなやりとりがあちらこちらで行われている。
……規律、どうした。割と緩い職場なのかな?
「確実に、トレーシーの影響だろうな、このエステラ人気」
「でしょうね」
そんな会話を、すまし顔で俺と交わしたナタリアだったのだが……
一歩、ナタリアが食堂に入った瞬間――
「「「「「きゃぁぁぁあああああああああああああっ!」」」」」
ライブで国民的アイドルが登場した瞬間のような大声援が巻き起こった。
中には、口元を押さえて感涙している女子までいる。
「…………」
突然の大歓声にナタリアは足を止め、一瞬考えた後、静かに片手を上げた。
「「「「「きゃぁぁぁあああああああああああああっ!」」」」」
何をやっても大歓声である。
……そうか。『BU』に加盟している区では情報が共有されているんだったな……ナタリア人気は、二十七区でも健在なのか。
エステラにぞっこんなトレーシーと、トレーシーの顔色を窺うことに忙しいネネとしか会話してなかったからうっかり忘れそうになっていた。
ナタリアは今、この限定された空間においては、マジでアイドルなのだ。
途中で寄った喫茶店でも、知らない間に花束とかもらってたしな。
「ナタリア様ー!」
「こっち向いてくださーい!」
なんか、カラフルな刺繍が施されたハンカチを広げたり振り回したりしている女子がいる……あれって、日本で言うとこのアイドル応援うちわみたいなもんなのかな……
つか、いつの間にか名前まで浸透してるし……二十九区で騒がれ過ぎたせいかもしれないな……ナタリアの素性くらい、調べればすぐ分かるだろうし。
エステラにナタリア。
二十七区の若い女子が夢中になりそうな噂の二人の登場に、食堂内は歓迎ムードを通り越して、イケメン教師が赴任してきた女子高のような華やかな喧騒に包まれている。
キャーキャーと飛び交う黄色い声が留まることを知らない。
そんな食堂に、俺が一歩足を踏み入れた瞬間――
「「「「「いやぁぁぁぁあああああああああああああっ!」」」」」
絶叫が轟いた。
黄色かった声は恐怖一色に塗り潰され、阿鼻叫喚の巷と化す。
ナタリアの時とは明らかに違う意味で泣き出す者が続出する始末だ。
「あぁ……なんと恐ろしい顔……」
「イヤァアッ!? こっち見たわっ!?」
「ウサギさんを返せぇー!」
あぁ……うん。最後ので理由がよく分かった。
こいつらが全員大食い大会を見に来ていたとは考えにくいから、おそらくそれを目撃したトレーシーあたりの話が尾ひれを盛大に付け足して広まったのだろう。同調現象も相まって、俺の評判は最悪を通り越して最凶となっているわけか………………けっ。
「……ネネ」
「は、はいっ! なんでしょうか、オオバ様」
「ウサギさんリンゴを用意してくれるかなぁ?」
「お怒りなのですねっ!? 給仕たちを代表して私が心より謝罪いたしますっ! ですので、その『実際に見せて給仕たちの心にトラウマを植えつけてやろうか?』と物語るような表情をどうかおやめくださいませっ! ご不快な思いをさせてしまって申し訳ございません!」
持ち前のネガティブがこいつの中の危機管理能力を爆発的に昇華させたのか、俺の顔色を的確に読み取って三十人分の非礼を一身に背負ったような全身全霊のお辞儀を寄越してくる。土下座でもしそうな勢いだ。
つか、こんなに騒がしいと、またトレーシーの『癇癪癖』が発動するんじゃないか?
「静まりなさい。口を慎むのです。私のお招きしたお客様に失礼ですよ」
しかし、予想に反してトレーシーはいたって冷静な――むしろ、優しいくらいの柔らかい物腰で給仕たちを叱る。
給仕たちも、そんなトレーシーの言葉を素直に聞き、俺に向かって非礼を詫びるような礼を寄越してくる。スカートの裾を摘まんで、可愛らしく会釈する。……表情が恐怖でガッチガチに固まっているけどな、どいつもこいつも。
「それに、よく見るのです。オオバヤシロさんは……、とても可愛いですよ」
いや、そんな胸を張って宣言せんでも……また『さらし』が破れるぞ。望むところではあるが。
「かわ……いい?」
「えっと……ト、トレーシー様が……そう、おっしゃるなら……」
「そ、そうですね……トレーシー様が可愛いとおっしゃるのならきっと…………」
「か、わ…………いい?」
あ、そこはすんなりいかないんだ。
やっぱり、全体の空気がそっち方向に向いていないとここの連中であっても釣られないんだな。人が言ったからってそれに同調するってわけではないようだ。
特に、感性が丸っきり変化してしまうトレーシーみたいな例は稀有なものなのだろう。
もっとも、俺を「可愛い」というトレーシー自身が、俺に対しかなりよそよそしい態度を取っているから説得力がないのかもしれない。
まぁ、その、なんだ……俺を可愛がったせいで『さらし』が破壊されたわけだからな。気まずい部分もあるのだろう。
しかし、噂だけで泣き出すヤツが出るほど怖がられるとは……
なんとも居心地の悪い雰囲気だ。
給仕たちが全員びくびくしていて、猛獣を見るような目で見てきやがる。
「エステラ。もう一度俺を可愛がってみないか?」
「お断りだよ!」
何かを警戒するように、両脇をぐっと締めて俺から距離を取る。
まぁ、確かに。冷静に考えてみれば、さっきのアレはいささか戯れが過ぎたかもしれない……いくら確証が欲しかったとはいえ……
ネネも言ってたっけな。「婚礼前の娘は男との過度な触れ合いを避けるべきだ」と。……エステラも婚礼前なんだよな。ちょっとは気を遣ってやるべきなのかもしれないな。
「さぁ、エステラ様。こちらの席へ」
にこにこと、トレーシー自らがエステラをエスコートしている。
これは友好の証とか、外交的なあれこれは一切関係なく、単なる職権乱用、役得というヤツなのだろう。
エステラに話しかけているトレーシーはとても幸せそうだ。
「さぁさ、ナタリア様! こちらへ!」
「ありがとうございます」
「「「きゃぁぁあーっ!」」」
ほとんどの給仕がナタリアに群がって、我も我もと世話を焼いている。
あっちはあっちで姦しいな。
一瞬ナタリアが俺へと視線を向けてきた。
助けを求めたそうな雰囲気も見て取れたのだが……けれど諦めたようで、ナタリアは静かに椅子へと腰を下ろした。
下手に動かない方が、こういう騒ぎは落ち着きを見せるからな。
そして。
「あ……あの……オ、オオバ様は、私が…………私なんかでご不満かもしれませんが……」
俺の前にはネネが立っていた。
相変わらずネガティブであり、俺を怖がっているのか視線が泳いでいる。
「そんなに怖いか? 庭で話した時はそんなに怖がってなかったろ?」
「怖いだなんて、とんでもありません。ただ……オオバ様は、トレーシー様が可愛いとお褒めになられた方ですので…………失礼があってはいけないと……あ、あのっ、わた、わた、ワタシハ精一杯ガンバリマス……!」
「硬い硬い硬い!」
がっちがちに緊張している。
こいつは、俺が大食い大会でやらかしたあれこれに恐怖を抱いているのではなく、俺に無礼を働いてトレーシーに叱られるのが怖いのだ。
「も、もっとも……私も、大食い大会をトレーシー様の隣で観戦させていただきましたので…………オオバ様への恐怖が完全にないと言えば嘘になりますが……」
なんかぷるぷる震え始めた。
怖いは怖いんだな。仕事上、そういう素振りを見せないだけで。
「今でもたまに、夢に出てくるんです………………」
美少女に「今でもあなたが夢に出てくるの」なんて言われるなんて、本来なら歓喜するシチュエーションなのかもしれんが…………はは、苦笑いしか出て来ねぇ。
「……私は、あの時、あの場所で…………自分はここで死ぬのだと、覚悟をしました」
トレーシーとまったく同じことを言ってやがる。
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