カンパニュラを三十区領主にする。
それはすなわち、カンパニュラが三十五区を離れるということを意味する。
「本当なら、今日から家に戻って家族でゆっくりと過ごさせてやりたいところだが」
「それには及びませんよ、ヤーくん」
生まれ育った家には思い出も思い入れもあるだろうと思ったが、カンパニュラはいつもの笑顔で首を振る。
「私が陽だまり亭さんでお世話になっていることもすでに知られているでしょう。明確に敵対姿勢を取った今となれば、あちらは『最初からそのつもりで私をヤーくんが保護した』のだと思うでしょう。そんな中私が生家へ戻れば、こちらが何を思いそのような行動を取ったのか、相手方に察知される危険が高いです」
キーパーソンを動かす時、そこには必ず意味が存在する。
ウィシャートも、その意味を察するだろう。
まだ幼いカンパニュラを保護しておきながら、事態が収束する前に親元へ帰す。
それは、事態が収束する前に大きな動きを見せる兆候となる。
せめて少しくらいは子供らしく、親元で――そんな気遣いなのだろうと。
「標準以上の偵察能力を有していれば、ヤーくんがとても優しい方だということはすぐに分かりますので」
にこりと笑うカンパニュラ。
その笑顔は少しずつだが、ジネットに似てきていた。
俺を善人に仕立て上げたくて仕方ないという表情だ。
俺を優しいだなんて評価しか出来ないようじゃ、そこの偵察能力は機能していないと言わざるを得ないけどな。
「すべてが終わってからでも、時間は作れます。それに、私と父様、母様との絆は距離ごときで綻びるようなものではないと私は信じておりますので、寂しくなどありません」
「カンパニュラ!」
「トーチャンは寂しいぞ!」
お利口なカンパニュラにルピナスとタイタが抱きつく。というか、しがみつく。
娘の方がしっかりしてるよな、この家族は。
特にタイタ。お前はもっと自立しろ。
「今は何より、目前に迫る危機に対処するべきだと思います。……付け入る隙が見出せない場合、次に取る行動は限られておりますので」
重箱の隅を突っついて難癖を付け譲歩を引き出す。
そんな常套手段が通用しなくなった時、追い詰められた者が取る行動は限られている。
負けを認めて相手方の慈悲にすがるか、見つからない綻びを強引に作り出すか。
――ウィシャートなら後者を選ぶだろう。
「工事現場が何者かによって破壊されでもすれば、否応もなく工事は中止せざるを得なくなります。敵方には土木ギルド組合の者が加担しているとの話もありますので、注意は怠らない方が賢明でしょう」
ん~……さすがカンパニュラ。
よく状況を把握している。
これまでは保護されている関係者という立場だったので口を出してくることはなかったが、自分がウィシャートの後釜になるとなれば無関係ではいられなくなる。
なので、今感じていることを口にしているのだろう。
両親を説得するためというのもあるのだろうが。
そういう面でもよく空気が読める娘だ。
「ですから、ね? 父様。母様。もうしばらく、娘のわがままをお許しください」
「カンパニュラ……」
「私は四十二区へ戻ります。安心してください。お世話になっている陽だまり亭さんはとても素敵な場所なのですよ。みなさんとても優しい方で、お客さんたちも素敵な人たちばかりなんです」
「いや~、それはどうかなぁ」
「ヤシロ。茶々いれないの」
「だってよ、エステラ。客っていったら、ほとんどが大工どもだぞ?」
「素敵な大工たちじゃないか」
「え、具体的には?」
「…………」
「エステラ様。カンパニュラさんの説得の邪魔になっております。しばし口を閉じられてはいかがでしょうか?」
「ボクのせいかな!? え、ナタリアにはボクのせいに見えてる!? ねぇ!?」
騒ぐエステラを、カンパニュラが困ったような笑顔で見つめる。
あんな小さい子に気を遣わせるなよ、エステラ。
「そうね。陽だまり亭のみなさんはとても素敵な人たちだったわね。……客の大工たちに関しては、後日じっくりと調査するとして……」
あ~ぁ、ルピナスの目がギラついちゃった。
身辺調査されたら、大工たちのカンパニュラに対する痴態がバレるぞ。そしたら、五~六人は減るだろうなぁ、大工。
ま、しゃーないな。
「それに、ヤーくんが必ず私を守ってくださいます。ヤーくんは、それだけの信頼に足る方です。それは、母様もご存じでしょう?」
わぁ、変な期待乗せられちゃった。
「そうね……」
こちらを見たルピナスと視線がぶつかる。
さっと逸らす!
「期待しているわね、ヤーくん」
期待が重ぉ~い。
「信頼、しているからね」
重さが増したっ!
倍率どん! さらに倍!
「デリアが認めた男か……うん、なら大丈夫だな!」
タイタからの期待は判断基準がよく分からん。
まぁ、スルーでいいだろう。どーせ大して何も考えてないだろうし。
「分かったわ。寂しいけれど、あなたの好きなようになさい、カンパニュラ」
「ありがとうございます、母様」
「その代わり、落ち着いたら一度帰っていらっしゃい。また、三人で並んで眠りましょう。あの家で」
「はい。その時は、母様の子守歌が聴きたいです」
「まぁ……、カンパニュラがおねだりだなんて、初めてじゃないかしら」
「えへへ……。陽だまり亭さんで教わりました。プロの甘え上手さんがいらっしゃるんですよ」
「まぁ、そうなの?」
「はい。とても可愛いお姉様です」
マグダだな。
あ、ロレッタもか。
そういや、おねだりとか甘え方を教えてたっけなぁ。
実際、甘えられたルピナスはめっちゃ嬉しそうにしている。
すげぇな、プロ。
まぁ、俺には通用しないけどな、おねだりだの甘えだのなんてもんは。
ルピナス程度の素人には、十分通用するようだけれど。
「では、約束ね。あなたの好きな歌をなんでも歌ってあげるわ」
「では、指切りしましょう」
「くっ……可愛過ぎる、うちの娘っ!」
小さい子の指切りは可愛いからなぁ。
「この指切りに誓って、二時間ぶっ続けで歌い続けるわ」
ライブか。
ライブでも途中途中にMC入るわ。
「母様、適度で」
ふつーにツッコまれてるし。
「カンパニュラ。オレも歌ってやるからな」
「父様は、きっと一番先に眠ってしまわれます」
「そんなことねぇって!」
くすくすと笑う母娘。
タイタは寝付きがいいタイプなのだろう。
そんな家族のやり取りを、テレサがじっと見つめていた。
寂しいのかと思ったが――
「よかった、ね。たくさん、あまえられて」
包み込むような温かい視線をカンパニュラに向けていた。
そうか。
テレサももう、大切な家族がいるもんな。
羨ましがる必要なんかないもんな。
「テレサも、今晩はいっぱい甘えさせてもらってこい」
「はぅっ!?」
俺が声をかけると、テレサは驚いたように肩を奮わせ、こちらへまん丸な目を向ける。
「……あーし、もう、そんな子供、ちぁう、ょ?」
おぉ~う?
テレサが甘えん坊を恥ずかしがるようになってないか?
今までは素直に甘えて嬉しそうにしてたのに。
俺に言われるのは恥ずかしいのか?
「友達が出来るとね、そういうのがちょっと恥ずかしく感じるようになるもんなんだよ」
「あぁ、なるほどな」
エステラが耳元で情報を寄越してくる。
確かに、同年代の友人が出来ると見える世界が変わるもんな。
そっかそっか。
テレサも、ちゃんと成長してるんだな。
「子供じゃなくても甘えるもんだぞ」
でも、テレサにはまだまだ足りていない。
親に甘える時間ってもんがな。
今はまだ、泥のように溺愛されていればいい。字の如く溺れるくらいに。
「見てみろ。カンパニュラも素直に甘えているし、甘えられた両親も嬉しそうだろ?」
「あまえられると、おかーしゃもおとーしゃも、うれしい?」
「当たり前だろう、テレサ」
俺が肯定しようとしたら、エステラが横から掻っ攫っていきやがった。
そして、テレサの前にしゃがんで、テレサの頭をぽ~んぽんと撫でる。
「こんなに可愛い娘に甘えられたら、嬉しいに決まってるじゃないか。君の両親なんだから、なおさらね」
「…………そっか。……えへへ~」
両親の顔でも思い浮かべたのか、テレサの頬が桃色に染まっていく。
「あーし、かえったら、おとーしゃとおかーしゃに、たくさんあまえる、ね」
嬉しそうに笑って、大きな目をキラキラ輝かせる。
その目を覗き込めば、きっとテレサが見ているキラキラした世界が映っているのだろう。
見るものすべてが華やかに色付いた、素晴らしい世界が。
平和な世界ってのは、ガキの目の中に存在しているのかもなぁ。
「えーゆーしゃ、りょーしゅしゃ」
緩んでいた頬を引き締めて、テレサが俺たちを見上げてくる。
「あーしも、かにぱんしゃのおてちゅらい、いっぱいするからね!」
こいつも状況を把握したのだろう。
カンパニュラの隣に立つのは自分だと、自覚もしている様子だ。
「あぁ。精一杯カンパニュラを助けてやれ」
「うん! ……えへへ」
テレサの笑顔をもって、関係者全員の賛同を得られたとしておこう。
あとは、時が満ちるのを待って実行するだけだ。
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