「私、実は四十一区で行われた大食い大会を見ていたんです」
「えっ!?」
意外な言葉が飛び出したものだ。
エステラも驚いたようで、口を開けて固まっている。
四十二区に街門を作ろうとして隣の四十一区と揉めた際、俺たちは四十区までを巻き込んで大食い大会を開催した。
二日に分けて大々的に行われたその大会は、多くの観衆が見守る中、最終的に四十二区の優勝という形で幕を閉じた。……閉じる寸前には、一悶着あったりしたのだが。
そこに、トレーシーもいたというのだ。
「私は、リカルドさんと面識がありまして。……あ、もちろん、揶揄されるようなやましいことは一切なく、私よりも少し前に領主の座に就いた若い領主として、いろいろお話を伺ったり、相談に乗ってもらったりしたんです」
若造が領主になると例外なく舐められる。
そうさせないために、時には大胆な政策を取ったり、我武者羅に成果だけを追い求めたりと、若者らしい暴走を演じてしまうことが多い。
若い領主であるトレーシーは、直近の先輩であるリカルドに近しい立場の者として助力を求めたようだった。
「その伝手で、大食い大会の決勝戦を観戦させていただいたんです」
……ってことは、こいつは四十一区の応援席に座ってたってわけで…………決勝戦の後、俺は四十一区の客席にいる連中全員にケンカを吹っかけたりしたわけで…………
「オオバヤシロさん。……あなたは、とても恐ろしい方なのだと思いました」
「は、はは…………そ、すか」
あ、あぁ……なるほど。それでさっきから、俺が話しかけるとびくびく怯えられてたわけか……なんでだろう、変な汗が出る。
まさか、あの群衆の中に二十七区の領主がいるとは…………領主だの貴族だの、権力を持つ連中には下手にケンカを売らないようにしようと思っていたんだけどな…………先に言ってくれりゃあいいのに。
「今でもはっきりと覚えています。会場を埋め尽くした、あの重苦しい空気。そして、客席にいた者が等しく植えつけられた……恐怖を」
うん……そこはまぁ、そうなるように俺が仕向けたわけで…………作戦大成功だったんだな、って、再確認しちゃったな。
「……私は、あの時、あの場所で…………自分はここで死ぬのだと、覚悟をしました」
オーバーなヤツだな、まったく。笑っちゃうな、あっはっはっ………………くっ、笑えん。そんなに怖かったかな?
「そんな時、天使が舞い降りたのですっ」
ぱぁぁあ……っと表情が晴れやかになり、瞳からキラキラ輝く星が飛び出してきそうなほど煌めく。
重苦しい会場に舞い降りた天使。その名は――
「あなたです、エステラ様っ!」
――エステラっていうらしい。
う~ん……それも俺が仕組んだことだしなぁ……
悪役を追い払って好感度を爆上げさせようという俺の目論見は見事成功していたってわけだ。
素直に喜ぶべきことなのかも、しれないな。……なんか釈然としない気分だけれども。
「エステラ様はあの殺伐とした会場に舞い降り、その美しい声で、会場内を埋め尽くしていた恐怖や怒り、不安や悲しみといったすべての負の感情を洗い流してくださったのです」
「い、いや……それはさすがにオーバーだと思…………」
「威風堂々とした佇まいで、地獄の縁に追い詰められていた者たちへ優しい笑みを向けてくださった」
「……あの、トレーシーさん……もう、その辺で……」
「あの時の麗しい笑顔に、私、ハートを射抜かれ……それ以来、何をする時もエステラ様のことばかりが頭に浮かんで……寝ても覚めてもエステラ様! 泣いても笑ってもエステラ様!」
「分かった! もういい! もういいから!」
熱く語るトレーシーを落ち着かせようと、エステラが腰を浮かせ懸命に腕を振る。
だが、そんな姿すらも、トレーシーには舞いを踊っているようにでも見えているらしく……とてもうっとりとした視線でエステラを見つめている。
「一目で虜になった私は、大会の後しばらく仕事が手に付かない日々が続き、数週間悩んだ挙句、リカルドさんのもとへと向かったのです。あの、美しい領主様のことを教えてほしいと!」
そんな情報を聞いて、あからさまにエステラの表情が歪む。
物凄く嫌そうな顔で、恐る恐る、聞きたくないけど聞かないのはもっと気持ちが悪いという質問を口にした。
「で…………リカルドはなんて言ってたの、かな?」
「はい。リカルドさんはこうおっしゃいました。『あいつは……微笑みの領主だ』と」
「ごふっ!」
エステラの口から、なんだか分からない汁が勢いよく噴出した。
ばっちぃヤツだな。
ほとばしったエステラ汁は、体内でもエステラを苦しめているようで、気管にでも詰まったのだろう、ゲホゴホと盛大にむせている。
ナタリアがエステラの背中をさすっているが、顔が思いっきり半笑いだ。全身全霊、全力の半笑いだ。
まぁ、大食い大会から数週間ってことは、共同開発云々の話し合いの大筋が決まった後あたりで、リカルドの中のエステラに対する偏見がなくなった直後くらいなのだろう。
これまでの反動か、大会でのエステラの言動を高く評価した結果か、物凄い高評価だな。『微笑みの領主』……ぷぷぷっ!
「笑うな、ヤシロ! ナタリアァ!」
「おいおい、怒鳴るなよ、『微笑みの領主』……ぷっ!」
「そうですよ、『微笑みの領主』様。笑顔を心がけてください……ぷっ!」
「むぁぁああ! 覚えてろよぉ、二人ともぉ!」
『微笑みの領主』が泣いている。
リカルドに言われたというのが、最高に気持ちが悪いポイントだな。どの顔で言ったんだ、『あいつは……微笑みの領主だ』なんて。…………ぷぷぷーっ!
「ヤシロ……」
顔を真っ赤に染め、でも瞳は死後半年くらい経った魚のように濁らせて、エステラが口から魂と共に言葉を吐き出していく。
「これまで、ヤップロックやベッコがヤシロを崇め奉っている光景を、最高のエンターテイメントだと思って眺めていたんだけれど…………反省するよ。キツいね、これ……」
泣きべそをかきながら、エステラが謝罪の言葉を述べる。
つか、そんな目で見てやがったのか…………報いだな。
半泣きの領主を、半笑いの給仕長が介抱している。……なんだ、この絵面?
「私も……エステラ様のように、優しくなれれば…………いつも微笑みを絶やさず、人のことを思いやれる領主になれれば……と、憧れは日々募る一方でした」
「いや、あの……ボクはそんな大それた領主では……」
「私は…………っ! ……もう、ネネを怒りたくは、ないのです…………大切な、幼馴染ですから……」
不安に語尾が震え、掠れる息が切実さを物語る。
「お願いします、エステラ様! 私の『癇癪』を、直す手助けをしていただけませんか!? 『微笑みの領主』の、その力でっ!」
ソファから降り、床に片膝をついて、神に祈るようなポーズを取る。
いきなり拝まれたエステラは困り顔ながらも…………こんな言葉を口にした。
「出来る範囲で、なら……」
まぁ、そうだろうな。
こんな頼まれ方をすれば、断ることなんか不可能なんだろう、こいつには。
「でも、『微笑みの領主』としてっていうのだけは、断固拒否させてもらうからねっ! 同じ新米の、若い、女の領主として、君の手助けをするよ!」
「ありがとうございますっ、『微笑みの領主』様っ!」
「だから、それやめてって!」
なんだか、どたばたと慌ただしくも、エステラがまた厄介な人助けを背負い込んだようだ。
だが……相手は二十七区の領主にして、――『BU』の一角。
うまくすれば、『BU』を突き崩す一手になるかもしれない……
「エステラ」
だから、この『チャンス』を逃すわけにはいかねぇ。
「俺が手伝ってやろう、そいつの『悪癖』の克服を。だからな――」
そして、俺の行う『人助け』には、相応の対価が必要になる。
「トレーシー、お前は俺たち側に付け」
『BU』の情報を寄越し、時にはこちらから働きかけ、そして――多数決の際はこちら側に手を上げろ。
「私の『悪癖』が治り、エステラ様のお役に立てるのなら……検討します」
さすがに「分かりました」とは、即断できないだろう。今はそれでいい。
あとは結果をもって納得させてやるさ。
「それからエステラ」
この『人助け』はお前が言い出したことだから、こいつの責任者はもちろんお前ということになる。だからな……
「見事解決したら、お駄賃寄越せな」
「…………たまには純粋な善意のみで動いてみたらどうだい?」
そんなもんは、淡水魚に「海で暮らせ」と言っているようなもんだ。
「まったく……。おまけしてくれると、ボクは信じているからね」
「信じるのはお前の勝手だぞ」
「……もうっ」
頬をぷっくりと膨らませて、よわ~いネコパンチを俺の二の腕にぶつける。
ささやかな抵抗だ。八つ当たりとも言う。
ま、それくらいの八つ当たりなら、甘んじて受けてやってもいいけどな。
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