異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

無添加74話 モリーとヤシロと家鳴り -2-

公開日時: 2021年4月4日(日) 20:01
文字数:2,513

「ヤシロさん……。ヤシロさん」

 

 体を揺らされて、俺は重いまぶたを開ける。

 

「ん…………モリー?」

「こんなところで寝ていると風邪を引きますよ」

 

 目を開けると、モリーが困ったような顔で俺を覗き込んでいた。

 途端に寒気が背筋を駆け上ってきた。……ぅぉおおおう!? 寒い!

 足を浸けているたらいの中の水は、すっかりと冷え切っていた。

 結構な時間寝入ってしまったらしい。

 

「あぁ、悪い。助かった」

 

 すぐさま足を水から出して、タオルを用意していなかったことに気が付いた。

 あ……

 いや、いつもはジネットかマグダが用意してくれるから、うっかり。

 

「あ、タオルですね。取ってきます」

「悪いな。何から何まで」

「いいえ」

 

 小走りで厨房へと駆けていくモリー。

 すぐさま戻ってきて、タオルを渡してくれる。

 

 足を拭く俺をじっと見つめ、腰の後ろで手を組んで、モリーが申し訳なさそうな顔で俯く。

 

「あの……たぶん、私が上にいたから、ヤシロさんはここで湯浴みをしなきゃいけなくなっちゃったんですよね?」

「ん?」

「すみません。ヤシロさん、お疲れなのに私のせいで……フロアじゃ湯浴みも出来ませんよね。だから……」

 

 足湯しか出来なかったんですよね。と、そんな言葉を含んだ沈黙。

 俯いたモリーは唇を引き結んでいた。

 

「モリーのせいじゃねぇよ」

 

 靴下は省略して靴を履き、俯いているモリーの頭を撫でる。

 なんでも悪い方に考えるな。なんでも自分のせいだって背負い込むな。

 悪くないことで反省なんかする必要もないし、元気をなくす意味がない。

 

「面倒だったから足湯で済ませただけだ」

「足湯……って言うんですか、それ?」

「あぁ。やったことないのか?」

「えっと……体を拭いたお湯は汚れますし、汚れたお湯にキレイにした足を入れるのは……あ、先に足を浸けるんですか? でも、そうしたら体を拭くお湯が汚れそうだし……」

 

 あぁ、なるほど。

 浴槽に浸かるって発想がない人間にとっては、湯浴みのたらいは綺麗なお湯を入れておくための入れ物でしかないのか。

 

「先に足の汚れを落としてからお湯に浸ければいい。体を拭きたいならまた別にお湯を用意する必要があるだろうけどな」

 

 足湯でのんびりした後の冷めた湯で体を拭くのはちょっと寒いし。

 

「足を温めることに何か意味があるんですか?」

「単純に気持ちがいいんだ。特に長距離を歩いた後とか、一日立ち仕事をした後なんかは格別だな。旅先の宿で足湯があると疲れが吹っ飛ぶんだ」

「旅、ですか……私、したことがないのでよく分からないです」

 

 モリーがまだ小さい頃から、砂糖工場は経営が苦しく兄妹二人で懸命に生きていた。旅行なんかしているヒマなどなかっただろう。

 逆に、こいつらの家を訪れるような客もいなかったのかもしれない。行商ギルドの商人くらいか。

 

 ルシアが知っているんだから、一般的に知られていない知識というわけではないはずだ。たまたまモリーが知らなかっただけだ。

 まぁ、必要がなければ知らない知識なんてものは多々あるだろう。

 

「今度やってみろ。気持ちいいぞ~。ついついうたた寝しちまうくらいに、な」

 

 そう言うと、モリーが「くすっ」っと笑いを漏らした。

 ようやく笑ったか。

 

「じゃあ、ウチじゃ出来ないですね。私、きっと寝てしまって風邪引いちゃいます」

「パーシーに起こしてもらえよ」

「兄ちゃん、私の湯浴み中は湯殿に立ち入り禁止なので。違反は即家出だと伝えていますので」

 

 うわぁ……そんな取り決めしなけりゃいけない家庭環境なんだ。

 まぁ、あいつなら妹可愛さに一緒に湯浴みしたがるかもな。娘を溺愛する父親のように。

 

「足湯は足だけだから、誰か他のヤツと一緒にやるといい。俺もジネットやルシアと一緒にやったしな」

「男女で、ですか? ……その…………特別な……いえ、なんでもないです」

「モリー、なんで全力で顔逸らしてんの? こっち向いて。そんな卑猥な意味合い含んでないから。マグダやロレッタ、ハム摩呂にギルベルタも一緒だったから」

 

 モリーはちょいちょい困った思春期の顔を覗かせるなぁ。

 もし仮にジネットとの足湯がそんな特別な事態だったとしたら、未成年のモリーに話して聞かせたりしねぇよ。

 

「温泉旅館なんか行くと、到着と同時に桶にお湯を入れて出してくれたりするんだぞ。『遠いところお疲れでしょう』って。アレがまた、気持ちいいんだよなぁ」

「おんせんりょかん、ですか?」

「あぁ。火山なんかで温められた天然のお湯が沸く場所でな、でっかい風呂を作って、そこに宿場を設けてあるような施設なんだが、この街にはないかな?」

「えっと、聞いたことはあります。行ったことはないんですが。あ、でも街の外にあるみたいです」

 

 詳しい場所は知らないが、両親が結婚する前に旅行で行ったことがあるらしい。

 あるんだ、温泉。

 じゃあいつか行きたいもんだな。……街の外だと言葉が通じなくなる可能性が高いんだけどな。

 外壁のそばならまだ『強制翻訳魔法』の範囲内なんだけどなぁ。

 

「ヤシロさんは行ったことがあるんですか? おんせんりょかん」

「あぁ。この街に来る前に、故郷でな」

「へぇ。いいですね」

「俺の故郷は風呂と美味い飯が大好きな国だったからな」

「ヤシロさんは、外から来られた方なんですよね」

「おう。あれ、言ってなかったっけ?」

「えぇ、まぁ。でもお話は聞き及んでます。ヤシロさんのお話、いろんなところから漏れ聞こえてきますから」

 

 えぇ……

 あんまり噂とかしないでほしいんだけどなぁ。

 

「八割くらいデマカセ入ってないか? 俺の噂する連中は穿った見方したり、尾ひれはひれを付けやがるからな」

「いえ。大体真実ですよ」

 

 その『真実』が、俺の思う真実と激しく乖離していることが多々あるんだけどな。

 

「あぁ、そういえば。モリーはどうしてフロアに? 何か用だったか?」

「いえ、あの……お手洗いに」

「そうか。悪かったな、足止めして。行ってきてくれ」

「いえ…………もう、済みました」

 

 ほほぅ。ということは、「あ、寝てるなぁ、風邪引きそうだなぁ」と思いつつ、先にトイレを済ませたわけか。

 結構しっかりしてるよな、モリーも。

 まぁ、トイレに行くのに見送られるのも、こんな夜中の静かなフロアでトイレの外に他人がいる状況も落ち着かないもんな。賢明な判断だよ、うん。

 

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