「ただいま戻りましたわ」
四十区にある木こりギルド本部。
実家に戻り、執事に挨拶を済ませると、ワタクシは自室へ向かいました。
お父様に会う前に、一度服装を整えるためです。
服を着替え、髪をセットした後、ほんの一時、一人になる時間をいただきましたわ。
「……はぁ」
部屋に入り、一人になった瞬間、思わずため息が漏れました。
ワタクシらしくもなく、顏が俯いてしまいます。
「……重たくは、なかったでしょうか」
ヤシロさんに、ワタクシの今の夢を語り、ほっとした気持ちが半分。
もう半分は、余計な負担を背負わせてしまっていないかという不安。
けれど、どうしてもヤシロさんには話しておきたかったのです。
美しいだけのマスコットのままではいないという、ワタクシの決意を。
「ウーマロさんがいけないのですわ。一人でヤシロさんの期待を独占して……」
憎々しいキツネの顔が思い浮かんで、クッションでも叩いてやろうかと思い、やめました。
みっともない八つ当たりはやめましょう。
「ですので、次に会ったら直接ボディに打撃を与えますわ」
正当な報復として。
これで、なんの問題もありませんわ。
「……ふふ」
そんな冗談を思い浮かべる自分が可笑しくて、思わず口元が緩みました。
こんなこと、以前のワタクシは考えもしなかったでしょうね。
「ヤシロさんがいけないのですわ。ワタクシに会う度におかしな冗談ばかりおっしゃるから」
それが楽しくて、ついついワタクシも真似を。
そうしたら、思いのほか楽しくて、癖になってしまったのですわ。
「まったく、ヤシロさんは……」
責任問題ですわよ、これは。
大きな窓に歩み寄れば、暗い空の下に明るく光を放つ光るレンガが見えました。
もう、こんなところにまで普及していますのね。
ヤシロさんが、ワタクシを――木こりギルドを呼ぶために用意した切り札。
それほどまでに焦がれていたのがワタクシであれば、どれだけよかったことか。
けれど、ワタクシは所詮、美しいだけのマスコット。
もちろん、今現在はそのように思っておられないことは承知しておりますわ。
けれど、女というのは臆病なものなのです。
どれほど楽しいひと時を過ごそうとも、ふとした瞬間に過去のつらい思い出が蘇り不安に飲み込まれてしまうものなのです。
もし、もう一度……あの頃のようにヤシロさんを失望させるようなことをしてしまえば……もう二度と優しく微笑みかけてもらえないのではないか。
そんな、誰に言われたわけでもないくせに、しつこくこびりつく勝手な恐怖に身を震わせるものなのです。
だって……
初めて会った時のヤシロさんの瞳は、恐ろしいくらいに冷たかったですもの。
今、あの視線を向けられれば、ワタクシは絶望を覚えるでしょうね。
優しいヤシロさんは、一度深く知り合えばそうそう簡単に見捨てたりはしない。それが分かっていてもなお、拭い去れないのですから、根深いものですわね、恐怖というものは。
「ですが……別にあなたの気を引きたいから無理をするわけではありませんのよ」
あなたを独占したくないと言えば嘘になりますわ。
ですが、今はそれ以上に、自分の力を試してみたいと思っていますの。それは偽らざる本心ですわ。
新しく生まれた木こりギルドの支部。
伝統ある木こりギルドのノウハウがあると言えど、土地が違えば勝手も異なる。
思わぬトラブルも起こるでしょう。
何より、ワタクシが知らないところでどれだけお父様が腕を振るわれていたか……今になってようやくその片鱗を目にして驚きの連続ですもの。ワタクシには荷が重い、それが世間の意見であり、現実なのでしょうね。
けれど、娘に甘いお父様は「やってみろ」とおっしゃってくださいました。
おそらく、ワタクシが失敗をしてもご自身が尻拭いをするつもりなのでしょうね。
本当に娘に甘いお父様ですわ。
でも、ワタクシはその幸運な立場を最大限利用させていただくつもりです。
格好を付けず、みっともないところをさらしてでも、木こりギルド四十二区支部の支部長をやってみたいのです。
だって、目一杯背伸びをしなければ、到底追いつけそうにありませんもの。
ワタクシが羨望すら覚えるあの方たちには。
「イメルダ。準備は整ったか?」
ドアがノックされ、お父様が部屋へ入ってこられました。
楚々として立ち上がり、再会の挨拶を行います。
「お久しぶりです、お父様。どうですこと? あなたのイメルダは、今日も美しいでしょう?」
「あぁ。会わないうちにまた一段と美しくなったな。見違えてしまったよ」
ワタクシとお父様の間でだけ交わされる冗談。
以前は、こんなセリフを本心で口にしていましたのね、ワタクシは。
ですが、今は冗談だと割り切っているので――このようなことだって口に出来るのです。
「当然ですわ。ワタクシは四十二区に住んでいるのですもの」
「ははっ、四十二区の水はそんなにお前に合うのか?」
「水もさることながら――恋は女を美しくする秘薬ですから」
その言葉に、お父様は一瞬目を丸くして、そして弾けるように笑い出しました。
「あははは! そうかそうか! それは結構。だがね、イメルダ。ワシは生半可な男は認めないぞ。少なからず、ワシを圧倒するくらいの骨のある男でなければな」
「それでしたら、ご心配には及びませんわ――」
あれほど骨のある男性は、他にはおりませんもの。
「――お父様をも凌駕する、規格外の殿方ですもの」
「ふふふ。今、一人だけワシの脳裏に顔が浮かんでおる男がいるが……誰かは言わないでおこう。まだお前を譲るつもりはないし、少々癪なのでね」
「では、ワタクシも名は伏せると致しますわ。まだ、この手に収めたとは言えませんもの」
四十区にいたころ、ワタクシのもとへは日に数十件もの縁談話が舞い込んできていました。
分不相応な申し入れを含めば数百はくだらなかったでしょうか。
そんなワタクシが、手を差し出しても受け取らない、手を伸ばしても届かない、そんな殿方が現れるなんて……
人生とは、なんと面白いものなのでしょうか。
「大食い大会に関して、少し話をしたいのだが――」
「四十二区の情報でしたら、お渡しできませんわよ?」
「はははっ! そんな卑怯な真似をするつもりはない。ワシら木こりは、この身一つで森に飛び込む。相対するのは樹齢数百年という大木だ。小手先で得られるような勝利には興味を示さんよ」
「さすがお父様ですわ。世の男性が皆お父様のようでしたら、ワタクシ、もうすでに結婚していたかもしれませんわね」
もっとも、お父様であっても、ワタクシを食事へ誘うのには半年はかかるでしょうけれど。
「今回、四十区は四十一区と四十二区の仲を取り持つために参戦すると言っても過言じゃない。とはいえ、負ければ相応のペナルティがあるからな、そうそう簡単にやられるわけにはいかないんだ」
「当然ですわね。無残な敗北をする木こりギルドなど見たくはありませんわ」
たとえ、ヤシロさんの前に立ちはだかる強敵になろうとも、木こりには誇り高くあっていただきたいものですわ。
「だからな、ウチの連中に発破をかけてほしいんだ。イメルダの前で無様な戦いはしないように」
「そういうことでしたら、ご協力いたしましょう」
「よし。じゃあ、今すぐ集めさせよう」
お父様が手を打ち鳴らすと執事が入室し、指示を受けてすぐに退室していきましたわ。
木こりたちもすぐに集まることでしょう。
食事の前に、少し話をすると致しましょうか。
木こりギルドの若手たちは、ワタクシのことをよく思ってくれておりますもの、「ワタクシのために勝ってくださいませ」と言えば、かなり士気が上がることでしょう。
そうですわね。
小細工を弄して安易な勝利に満足をするような軟弱者はワタクシの伴侶には相応しくありませんわね。
ですから、ヤシロさん。
ワタクシはあなたに相応しい女に成長してみせますから、あなたもワタクシに相応しい殿方に成長してくださいまし。
そうしたら、そこからが真剣勝負ですわよ。
ワタクシがあなたを惚れさせるか、あなたがワタクシを虜にさせるか。
……ふふ。そう言ったら、あなたでしたら「どっちも結果が一緒じゃねぇか!?」とおっしゃるでしょうね。そうしたら、ワタクシはこう返事いたしますわ。「何か問題でも?」と。
ねぇ、ヤシロさん。
変わろうとするって、こんなにもわくわくするんですのね。
ワタクシ、あなたに出会ってから、知らないことに出くわしてばかりですわ。
本当に楽しい。
ですので、今しばらくは、ワタクシと共に成長をいたしましょう。
ワタクシと同じ歩調で。歩幅で。
隣を歩く権利を差し上げますわ。
もし、それを拒否するとおっしゃるなら、その時は、ワタクシの方から出向いて、隣を歩いて差し上げますわ。
こう見えて、押しかけるのは得意ですのよ、ワタクシ。
そうしたら、いつかのように困った顔をしながら受け入れてくださいまし。
こっそり打ち明けますとね、ワタクシ――
あなたの困ったお顔、大好きですのよ。
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