「……ヤシロ」
「お兄ちゃん」
マグダとロレッタが、俺の背後に音もなく歩み寄る。
「……そのソースはいいもの。是非食べるべき」
「そうですそうです。ドッバドバかけて食べるといいです」
……こいつら、ジネットのイタズラにまんまと嵌められたな?
「そうだな。じゃあ、パスタを用意してくれ」
移動が長く……あと豆にうんざりしていて……夕飯を食っていなかった。
陽だまり亭に入ると、不思議と腹が減るもんだな。
ロレッタが、「これにかけて食え」とばかりに硬そうなパンを持っているが、俺はこの街のパンがあまり好きではない。味が悪いこともさることながら、教会の銭ゲバ司祭に金が流れるのかと思うと無性に腹が立つのだ。
「……分かった。マグダが最近マスターしたパスタを持ってくる」
「お、教わったのか?」
「……うぃー、むっしゅ」
…………どこで覚えるんだろうなぁ、あぁいうの。
得意満面の無表情で、マグダが厨房に入る。
器用な顔をしているな、あいつは。
「えっと……あたしとこのパンはどうしたらいいですかね?」
取り残されたロレッタとパン。
とりあえず、パンは厨房に戻しとけ。まだ口を付けてないから客に出せる。
ロレッタが触っているが……ロレッタファンに出してやればむしろ大喜びするだろう。
もっとも、手が清潔でなければロレッタに責任を持って処分させるがな。
「ロレッタ。お前、今汚いか?」
「もうちょっと聞き方ってあると思うです! 清潔です! 妖精や精霊がビックリするくらい清潔ですよ!」
なら、問題ないだろう。
「パンを置いたら、ちょっと手伝ってくれ。落花生の殻を剥く」
「はいです! …………多いですね」
「今日は試作だけして、明日、お前の弟妹に手伝わせてくれ」
「分かったです! 任せてです!」
駆け足で厨房へと戻り、ボウルを片手に戻ってきたロレッタ。
ちらちらと、厨房を振り返る。
「どした?」
「店長さんが、厨房の隅でうにうにしてたです」
「……何やってんだ、あいつは」
「ネコが顔を洗ってるみたいだったです。あれきっと、頭とか背中を撫でると『ころんっ』ってひっくり返ってお腹撫でさせてくれる感じですよ」
懐き過ぎなネコがたまにそんな動きをするっけなぁ。
俺もちょっと撫でさせてもらおうかなぁ、お腹。
「とりあえず剥くです! 店長さん、そのうち正気を取り戻して手伝いに来てくれるです」
「んじゃあ、今日はもう店じまいでいいか、店長代理の代理」
「ほにょ!? あたし、店長代理の代理ですか!? いいんですか!?」
マグダが店長代理だからな。
そのマグダが席を外している以上、この場の最高責任者を任せられるはロレッタしかいないだろう。
「許可を頼む」
「むはぁー! ついにあたしもここまで出世したですか!? 閉店の許可、出せちゃうですか!?」
「そうだ。だから早く許可をくれ」
「ん~……どーしよっかなぁ~です」
こいつ……ちょっとでも長く最高責任者の地位に居座る気だな。
「早くしないと、店長代理が戻ってきて、さっさと閉店しちまうぞ」
「ぬわぁ! それは困るです! 閉店の許可を出すなんて、一年に一度あるかないかです! 譲るわけにはいかないです! お兄ちゃん、閉店してきてです!」
「へいへい」
そんなわけで、表のプレートを『Close』にひっくり返し、陽だまり亭は閉店した。
さぁ、ここからは試作の時間だな。
「何を作るですか?」
「とりあえず、ピーナッツバターとハニーローストピーナッツは決定してるんだよな」
「なんか、すごく美味しそうです!」
ロレッタもすごい食いつきだ。
「ハニーって付くものは大抵美味しいです!」
「え? そっち?」
俺はてっきり、ピーナッツバターの方に食いついているのかと思っていたのだが。
「ピーナッツもバターも甘くないですからね。ときめくなら、ハニーローストピーナッツの方です、女子として!」
エステラたちも、もしかしたらそっちに反応していたのかもしれないな。
そうだよな。ピーナッツバターって、知らない人が聞いたら、甘い味は想像できないかもしれないな。
「んじゃ、剥くか」
「……じゃすとあもーめんと」
落花生を取り出したところで、マグダが戻ってきた。
手には出来たてのナポリタン。……異世界で『ナポリ』もないんだけどな。まぁ、そういう名前だし、しょうがないだろう。
「……熱々を召し上がれ」
「おぉ、いい匂いだな」
「……ヤシロは、汗フェチ」
「お前の汗の匂いの話じゃねぇよ! パスタの香り!」
汗をかいたマグダに「いい匂いだな」とか言ったら、俺捕まるわ!
いつもの席に座ると、そこまでマグダがパスタを運んでくれた。
俺の目の前にパスタを置き、フォークとスプーンを用意してくれる。
「……召し上がれ」
「よし、じゃあ折角なんでこのピカンテオイルをかけて……」
と、ピカンテオイルの瓶を持ち上げると、その腕をマグダにガシッと掴まれた。……ピクリとも動かない。
「おい。……なんの真似だ?」
「……マグダの初パスタ。きっと美味しい」
「おう。だから温かいうちに食わせてくれよ」
「……そんなふざけたもので味を台無しにするのは許容できない」
ふざけたものって言っちゃったよ!?
最初の計画どうしたんだよ? 俺に「辛いー」って言わせたかったんじゃねぇのか?
まぁ、言わないけど。
「大丈夫だよ。このオイルのことは知ってる。そもそも引っかかりはしなかったんだ」
「……そう?」
「あぁ。大丈夫だから、食わせてくれ」
「…………分かった」
マグダの手から解放され、俺はフォークを握る。
最初は何も手を加えない、マグダの味付けを楽しむとするか。
たっぷりとソースを絡めて口に運ぶ。
「ん……、美味い!」
「…………ほっ。……当然」
緊張の糸が緩んだ途端、素直に安堵の息を漏らすマグダ。
だが、その後はいつも通りの強気なマグダだ。
麺に火が通り過ぎているので、歯ごたえは悪くなっているが、味は問題ない。
客にはまだ出せないが、及第点だろう。
「茹でた後の味付けで時間をかけ過ぎたな」
「……フライパンの動かし方がイマイチよく分からない」
「今度教えてもらえ、そこらへんも」
「……すぐマスターする」
マグダが意欲を燃やしている。
こりゃ、マスターするのも時間の問題だな。
いつの日か、料理がツートップになったりするのだろうか。
「というわけで、ピカンテオイルを使わせてもらうぞ」
「……折角の味が台無しになる」
「大丈夫だよ。こう、たらーっと一回しかけて…………」
細く垂らしたオイルをくるりと一周回しかける。
俺は辛いのが結構いける口なので、ちょっと多めにかけるのが好きだ。
よく混ぜて、口へと運ぶと……うん! 美味い!
「いい辛さだ。ピリッとした刺激が食欲をそそるな」
「……おかしい」
「もだえ苦しまないですね……」
俺をジッと見つめるマグダとロレッタ。……なに、お前らもだえ苦しむほど大量摂取したのか?
言われてみれば、結構減ってるな、これ。
「ちょっと食ってみるか?」
「……平気?」
「俺は大人だからな」
「……なら、マグダも平気」
「あ、じゃあ、あたしも平気ですっ!」
変な対抗意識を燃やし、マグダとロレッタが一口ずつパスタを口へ運ぶ。
一瞬顔をしかめるも、大きな目がくりくりと見開かれる。
「……程よい」
「はいです。なんか、後を引く美味しさです!」
マグダは口に残った後味を堪能し、ロレッタはすぐさま二口三口とパスタを掻き込んでいく。……こら、それ俺んだぞ。
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