ジャリジャリと、靴底が土を踏む。
街道として整備したといっても地面にレンガを敷き詰めたわけではない。
デッカい木の器具で均し、押し固めただけだ。
中世ヨーロッパ風というより、江戸の時代に近いものがあるかもしれない。
しかしそこはそれ。
獣人族の力で押し固めているので重い馬車が通っても轍が出来る様子もない。
けどまぁ、いつかレンガを敷き詰めるのもいいかもしれないな。
三十五区の大通りはレンガ敷きだし。
――と、そんなことを考えてしまうくらいに静かだ。
隣を歩いているのはレジーナだというのに。
口を開けばくだらない下ネタばかりの、目先の小笑いを必死に拾いに行く若手芸人のような、あのレジーナだというのに。
今は、随分と大人しい。
口を開けば騒がしいのだが、口を開かなければただの美人だ。
運動をほとんどしていない痩せた体と青白いほど日に焼けていない肌のせいで儚げな美少女に見えるから始末に負えない。
……つか、なんかしゃべれや。
………………しょうがない。こっちから話題を振るか。
「……どう、だった? バオクリエアは」
「……うん」
「…………」
「…………」
どーだったのー!?
いや、別にどーしても聞きたいわけじゃないけどさ!?
「あの……アレやな」
レジーナは両手で自分の髪の毛を掴んで、顔を覆い隠すように引っ張る。
「くっそ恥ずかしいな、なんか!」
顔を隠して、必要以上に大きな声を出す。
うん。
その気持ちはよく分かる。
だが一言言わせてほしい。
それはこっちのセリフだ!
だから言っただろうが!
そんなことしたらこの次顔を合わせる時に悶絶するって!
「あの場面で『信じてる』とか『待ってる』とか、よぅ言ぅたな、自分!? ウチ、今日会ぅてからずっとよぅ顔見やんかったわ!」
「ばっ!? それを言うならお前の方がだろうが!? あの時急にあんな……っ!」
「ちょぉおおい、すとおっぷぅぅう! それ以上口にしたらアカンで、自分! 絶対アカンからな!?」
「え、それはフリか?」
「ちゃうわ! 言ぅたら、ウチ家に閉じこもって向こう一年出て来ぉへんからな!」
そんな、口にするのも耳に入れるのも憚られるようなことをされたこっちの身にもなれと言いたい。
こいつ、マジであの時は戻ってこられないと思ってたんだろうな。
いや、戻ってこられないかもしれないという恐怖を抑えつけるために、「帰ってきたい」と思えるようなことをたくさんしたのだろう。
つまり、俺とのあれやこれやはレジーナにとって――
「ごふぅっ!」
「ちょぉい、自分! なんか勝手に妄想して勝手に一人で悶えるんやめてくれるか!? 恥ずかしいの伝染するさかいに!」
真っ赤な顔で俺を睨んでそっぽを向くレジーナ。
んなこと言ってもよぉ……記憶が鮮明に…………感触が……ぐふっ!
そうだな。
忘れよう。
とりあえず、一度気持ちを整理するために二人きりの時間を作ったのだ。
きっとレジーナも同じ気持ちだったに違いない。
だって、こいつが帰ってきてから、俺たちはびみょ~に距離を取り、びみょ~に視線が合わないようにずっと気を張ってたからな。
視線がぶつかった後も、なるべく素早く他のヤツに話を振ったりボケたりして気持ちのリカバリーしてたし。
すぅ~……
はぁ~……
とにかく落ち着こう。
…………よし、大分落ち着いた。
もう大丈夫――と、思ったら、レジーナが急に顔面を真っ赤にシャイニングさせて「ごふぅ!?」っと咽た。
「お前っ、人が折角気持ちを落ち着けた瞬間に蒸し返すようなことすんなよな!?」
「しゃーないやんか! 自分が、あ、ああぁぁ、あんなこ、こと、言ぅさかいにやなっ!?」
俺が何を言ったってんだよ!?
…………んぁぁあああ! なんかいろいろ言ったなぁ、そういえば!
くっそぉ、折角落ち着きかけてたのに、羞恥がぶり返してきた!?
「むがぁー!」
「むゎあー!」
二匹のケモノが叫びながら、夜の四十二区を歩く。
……レジーナの家、結構遠いんだよなぁ。
間が、持たん。
「あぁ、やっとお家帰ってきたわ。ほな、おおきに」
「待て。お前を連れて帰らないと、俺がめっちゃ怒られるから」
家に着くなり早速引きこもろうとするレジーナ。
だが、今日ばかりは陽だまり亭に連れ帰らないと全員納得しないだろう。
「ウチは、家にたどり着いた瞬間言いようのない安心感に見舞われ、蓄積していた疲労感と緊張感と閉塞感の波が一気に押し寄せてきて気ぃ失ぅた――とかなんとか、適当なこと言ぅとってくれへん?」
「そんなしょーもないことで『精霊の審判』のリスクを背負えるか」
というか、今日このまま陽だまり亭に戻らないと、明日から三日三晩監視付きで拘束されて各家を転々とお泊まり行脚させられかねないぞ?
と、そんな説明をしてやると、「……うわぁ、めっちゃありそう」とレジーナは観念したようだ。
大人しく、今日一日陽だまり亭に泊まれ。
な~に、戻ったらもうあとは寝るだけだ。
すぐに終わっちまうさ。
「ほな、さっさとハンドクリームの材料持って戻ろかな」
本当は、こんなに急いでやる必要はないのだが。
まぁ、こうしてバカ話でバカ騒ぎをしたおかげで、少しだけ気持ちに整理が付いた。
これで、また明日から普段どおり接することが出来るだろう。
あの夜は特別で、俺たちはどちらも普通ではなかった。
俺とレジーナだけじゃない。レジーナが旅立つと知ったエステラや他の連中も同様だ。
言いようのない寂しさと不安を紛らわせたくて、微かなレジーナのぬくもりや雰囲気にすがろうとしていた。
きっとそういうことだ。
噴飯物の小っ恥ずかしい言動をしてしまったのは。
「まぁ、今すぐどーこーしたろーとか、そーゆーことやないしなー」
店のドアを開けながら、レジーナも軽口を叩く。
あっけらかんとして、冗談まじりに。
そうだ。
今までどおりでいい。
今回はいろいろ特殊だっただけだ。
今日を区切りに、また普段の生活に戻ればいい。
「わぁ、なんや、えらい懐かしいニオイやなぁ」
店に入ると、レジーナは鼻から息を大きく吸い込んで、深呼吸をした。
「……やっと、帰ってこられたわ」
ぽつりと呟かれた言葉には、心からの安堵が含まれているような気がした。
「これでみ~んな元通り。明日からは、楽しい楽しい日常の再開や」
店の真ん中に立ち、店内を見つめて両腕を広げるレジーナ。
俺も店に入り、扉を閉じる。
パタンと、扉が閉まる音がするのと同時に、レジーナは振り返り、一歩――床を蹴って俺の胸に飛び込んできた。
「お、おい……っ」
「明日から――」
俺の胸に顔を埋め、俺の服をぎゅっと握って、レジーナは震える声を漏らす。
「明日から、元通りのウチになるさかい……ちょっとだけ、こうさせといて」
これで、レジーナの心にキリがつくのなら。
「ほんでな……ついでにもう一個だけ、わがまま、えぇかな?」
レジーナの吐く息で、胸の辺りがじわりと温かくなる。
あぁ……レジーナはちゃんとここにいるんだなと、今さらながらに実感した。
「……言ってみろ」
「ほなら……褒めてんか。ウチ、めっちゃ頑張って帰ってきたさかいに……褒めて……」
死を覚悟したのだろう。
それでも、やらなければいけないと思ったことを、こいつは実行し、見事に完遂した。
なら、相応の称賛を送るべきだし、絶賛するのに否やはない。
胸にすがりつくレジーナの肩を引き寄せ、腕を回して抱きしめる。
体の距離を一層短くして、頭のそばで呟く。
「よくやった。お前は偉いよ」
「…………ぅん」
胸の辺りに、息とは違うぬくもりが広がっていく。
じわりと広がる温かさは、すぐにひんやりと冷たくなっていく。
止まることなく落ちていく涙に気付かないふりをして、俺はレジーナにもう一言、言葉を向ける。
「おかえり、レジーナ」
「…………っん」
声になっていない返事を聞いて、あとは黙ってレジーナを抱きしめていた。
こぼれ落ちる涙が止まるまで、ずっと。
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