改めて立ち上がったオルフェンは、マイラー兄ことアヒムと兄弟とは思えないくらいにまるで似ていなかった。
兄アヒムは背が低く眉毛も目もヒゲも針のように細く、のっぺりとした顔をしているのに対し、弟オルフェンは背が高くがっしり体型で、世紀末に「あたたた!」しそうなくらいに眉毛が太く彫りの深い顔をしていた。
「異母兄弟か?」
「いえ、同じ母のもとに生まれました。しいて言えば、私が父親似で、兄が母親似なのです」
「うっわ、母親ぶっさいく」
「ヤシロ! ……馴染むのが早過ぎる。初対面だよね?」
いや、初対面だけどさ……ちょっとビックリしちゃって。
「もし、リカルドが母親似だとしたら?」
「それは気の毒だと思うけど」
「おいこら、エステラ。……母上は、とてもお綺麗な方だったよ」
「いや、お会いしたことがあるから存じ上げてるけどさ、もしリカルドに似ていたら気の毒だなという仮定の話だよ」
「改めて無礼を重ねるな!」
「エステラは母親似なんだよな」
「胸を見ながら言わないでくれるかい!?」
「そなたら、ミスター・マイラー(弟)が困っておるし、マイラー(兄)が猿ぐつわで苦しんでおるのだ。脱線もほどほどにしてやれ」
ドニスに苦言を呈され、改めてオルフェンを見る。
困ったような顔でにこにことこちらを見ている。
その背後には、スピロ、パメラという名の覆面男と小柄少女が控えている。
「そっちの二人は、お前の従者なのか?」
「いえ、彼はマイラー家付き執事のスピロ、彼女は給仕長見習いのパメラです」
「……執事と給仕長が弟に付き従って、当主のアヒムを拘束したのか?」
それは、とんでもない事態のように思えるのだが?
「はい。本来であれば、他区の領主様方の目に触れさせるようなことではないのですが……兄が暴走をしてしまったためこのような事態になってしまいました」
言って、オルフェンは再び頭を深く下げる。
オルフェンに続いて、スピロとパメラも頭を下げる。
従者と親族にこんなことをさせる当主なんてのは、もはや当主失格だろうな。
「この者の問題行動は、以前から目に余るものがあり、区内でも問題視されていたのです。もとより、今回のご招待には応じないと決まっていたはずなのです。ウィシャートの処遇が決まるまでは下手に動けないからと。それなのに、この者は独断で行動を……!」
オルフェンがアヒムを睨めば、アヒムはさっと目を逸らした。
弟には行かないと言いつつ、こっそり四十二区に来て問題をまき散らしていたのか。
迷惑極まりない兄だな。
「一事が万事そのような状況のため、現領主は近隣の領主様からも煙たがれ、領民からも支持されておりません」
どんだけ嫌われてんだよ。
確かに、お隣の二十三区領主であるイベールは煙たい顔をしていたな。
「ふんぐがが! むがふがぐぎぃい!」
アヒムが目を剥いて何かを叫ぶが、オルフェンはそれを一瞥して鼻を鳴らす。
「どうせ、自分に都合のいい解釈で自己弁護しているのであろうが、そなたの言葉は聞く価値すらない」
「むむがぁあ!」
後ろ手に縛られて芋虫のように転がされていたアヒムだったが、オルフェンの言葉に激昂したようで勢いよく立ち上がりオルフェンへ食ってかかる。
だが、身長が30センチほども低いアヒムがいくら睨もうがオルフェンはまるで動じず、逆に腰を曲げて顔を覗き込むように上から睨み下ろす。
「よいか、自分は被害者で自分が正義であるという独りよがりで偏った思い込みを捨て、フラットな視線で状況を見つめろ。そなたがこれまでしてきたこと、これからしようとしていることを」
一音一音を叩き付けるように語り聞かせ、オルフェンはアヒムを糾弾する。
「そなたは、口を開けば自身をウィシャートの被害者だと言うが、そのウィシャートの名をチラつかせて自区の領民や貴族、他区の者たちへ圧力をかけていたではないか。ウィシャートとの繋がりを自ら望んで欲し、それを振りかざして力なき弱き立場の者へ無理難題を押しつけ、強引に利益を奪ってきたではないか。だが強者の前では、弱者を虐げてきたのと同じその口で自身を被害者だと訴え続けていた。被害者になりきり、力ある者へ『救済と慈悲を』と迫まっていたな。ウィシャートという名の武器で弱者を傷付け、それを咎められれば『自分ではなく武器が勝手に人を傷付けたのだ』と無実を訴える。いいや、そなたは『呪われた武器を押しつけられた被害者だ』と泣き喚いて援助を引き出そうと躍起になっていたか」
ずらずらと並べられるアヒムの悪行。
これだけのことを途切れることなく口に出来るということは、日頃から腹に据えかねていたということだろう。
オルフェンはアヒムの悪行を苦々しく思い、それを止めたいと思っていた。
だが、アヒムの後ろにはウィシャートがいた。
アヒムを潰せば、今度は自分が潰される。
アヒムのように操り人形になるのでない限り、ウィシャートに潰される。
そう思って手を出せずにいたのだろうということがよく分かる。
ウィシャートが失脚したこのタイミングで動き出したのを、もしかしたらアヒムは卑怯だと言うかもしれない。
だが、その時が来たら即行動に起こせるようにずっと準備をしていたのだとしたら、それは卑怯でもなんでもなく有効で正当な行動だ。
いつ訪れるか分からないチャンスにうまく乗れるってのは、いつ何時も『その時』に備えているという証拠だからだ。
流れ星に願い事をすれば叶うというが、あれは、流れ星なんていういつ起こるか分からない上に一瞬で消えてしまうそのほんのわずかなチャンスに願い事を口に出来るヤツは、常にその願いのことを考え、それに向かって努力をしているに違いなく、そんなヤツは遠からずその願いを自らの手で掴み取るだろうと、そういうことなのだと思う。
オルフェンも、アヒムから借り物の権力が消えるその瞬間を虎視眈々と狙っていたのだ。
領主付きの執事や給仕長がオルフェンに付いていることからも、正当性がどちらにあるのかは一目瞭然だ。
「兄上――」
オルフェンが懐から高そうな紙を取り出す。
羊皮紙か、魔皮紙か。
そこには、ずらずらと文字か書き込まれていた。
「領主の座を退いてもらう」
「むがぁ! むぐがぐがぁ!」
「黙れ!」
「むがむぐむがぁあ!」
吠えるアヒムの髪を掴み、オルフェンが腹の底からの大声を張り上げる。
「そなたはウィシャートと同じだ! 権力をチラつかせ弱者を虐げ、おのれの私腹を肥やすことばかりに心血を注ぐ! いいや、自身の権力や思考能力がない分ウィシャートより悪辣だ! 始末に負えぬ!」
奇しくも、俺が指摘したのと同じことを親族に言われ、アヒムは呆然と立ち尽くす。
そして、両の目からぼとぼとと大粒の涙を流し始める。
「……私は何度も忠告をした。権力に逆らえぬのは仕方がない。三十一区のような弱小領地ではウィシャートに逆らうことなど出来ぬ。それは重々承知している」
「むがが!」
「だがっ! そなたは弱者を虐げた! 領民の権限を無視し、陳情を撥ね除け、見下し、馬鹿にして、おのれの些細なプライドを満たし続けた!」
オルフェンの瞳からも、大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「兄上……どうしてですか? 幼きころ、ウィシャートに虐げられる父上を見て、二人でウィシャートに憤っていたあの正義感にあふれる兄上は……苦しむ父を助けたいと言っていたあの優しい兄上は、一体どこへ行ってしまわれたのですか?」
アヒムが目を見開いて喉を鳴らす。
「心労が祟り若くして父上が亡くなり、若い身空で領主の座を引き継いだあなたの苦労は分かっているつもりです。だから、私もこの身をかけてあなたを支えてきた。矢面に立ちウィシャートと向かい合うあなたを少しでも助けようと、出来ることはすべてしてきたつもりです! なのになぜ、あなたは変わってしまわれたのですか!?」
アヒムも、昔はいい領主になろうと思っていたのか。
なろうと思ってなれるものじゃない。
うまくやれるつもりで失敗することの方がほとんどだ。
自分が出来なかったことを、自分より格下に見える者がうまくやっているのを見て嫉妬する気持ちも分からんではない。
そして、その嫉妬が別の弱者を虐げることで一時的に紛れるということも知っている。
マウントを取り、世間にそれを見せつけることで自分自身に言い聞かせたかったのだろう。
『自分はまだ大丈夫だ』と
だが、それはどこまでも独りよがりな感情でしかない。
自分自身にどんなに言い聞かせても、世間はそんな独りよがりを評価しない。
だからこそ、余計に渇望するのだ。勝利の快感を。
そして、その快感を得るためにまたマウントを取り始める。
一時しのぎのドーピング剤は、その後大きな副作用を伴って自身の身に降りかかってくる。
乾きは激しくなり、同じ強さの快感では決して満たされなくなる。
孤独を埋めてくれるのは激情ではなく、平温なのだ。
それに気付けなかったアヒムは……憐れとしか言いようがない。
「兄上。領主を辞してください。あとのことは、私がうまくやってみせます」
「むがっ!? むががが!」
「私にあなたの弟でいさせてください!」
オルフェンがアヒムの肩を掴む。
骨が軋むような音が響き、アヒムが顔を歪める。
だが、それ以上に苦痛に顔を歪めるオルフェンが、涙と共に悲痛な思いを吐き出す。
「私に、あなたを殺させないでください」
それは、口にするだけで全身を切り裂くようなトゲだらけの言葉だったのだろう。
言われたアヒムよりも、言ったオルフェンの方が憔悴しきった顔をしていた。
もう、そこまで悪化していたのだろう。
三十一区の民は、アヒムが領主を続けることを許さない。
そして、イベールをはじめ近隣の区も。
ここでアヒムが素直に退けば、領主の座を奪うだけで済む。
だが、少しでも抵抗すれば、後顧の憂いを断ちきるために――
それだけの覚悟をオルフェンの目に見たのだろう。
「…………ぐが」
涙に掠れる声で何かを呟き、アヒムは項垂れるように頷いた。
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