夕方。
といっても、夕飯にはまだ少し早い。
奥様たちは旦那の帰りに合わせて飯の準備を始める頃合いであり、旦那たちはそろそろ減り始めた腹を抱えて夕飯に期待を寄せるような、そんな時間帯。
お気楽な独身連中は早めに飯を食いに行こうか、もっと夜が更けてからがっつりと酒を煽ろうか、どのように今日の空腹を満たそうかわくわくしていることだろう。
「ちょっと早い時間で悪いな、みんな」
デリアが言うと、集まった女性たちは口々に「いえいえ」と言い首や手を振る。
仕事をしている者たちにとっては微妙な時間だ。話を聞けば、職場の上司に許可を取って少し早く上がらせてもらった者もいるらしい。
「これから四十一区で広めていくための準備ですもの。ウチの男たちも結構協力的なんですよ、最近は」
「ねぇ~」と言ってくすくす笑い合う女性たちは本日の受講生であり、みんな四十一区の領民だ。
彼女たちにデリアの体操をマスターしてもらい、四十一区の教室で講師をしてもらう予定なのだ。
今現在、他の職に就いている者もいるのだが、領主主導の一大プロジェクトだからとこちらを優先してくれるらしい。
結構いい給料を出すつもりらしいからな、リカルドのヤツ。
美容ギルドとかいうのを作るらしい。
ギルドの根幹には服飾ギルドのベテランたちが食い込んでくるらしいが、そこにエクササイズやエステ、コスメ、整髪、教養教育なんかが絡んでくる。
化粧品や理髪店はこれまでも存在し、相応な大きさのギルドを持っていたのだが、垣根を取っ払って協力していくことにしたらしい。
その方が儲けが出ると踏んだのだろう……アッスントが。
ものっすっげぇ張り切ってリカルドにプレゼンしてたもんな。「従来の利益を守りつつ、複数のギルドが協力し合うことによる相乗効果でさらなる利益を確約いたしましょう!」とかなんとか。
美容ギルドと言うより、美容協会みたいになってたな。ギルドの統廃合ではなく、新たな組織への協力という形だったし。
「早くマスターして、みんなに広められるようになります!」
そう意気込むのは、これまで定職に就けず実家の手伝いや、突発的な短期の仕事で食いつないでいた女性たちだ。
四十一区には女性が満足できる職業が少なかった。
身体的不利を押してでも重労働に従事しなければいけなかった者も多いと聞く。
そんな彼女たちが美容ギルドへと加入したらしい。四十一区始まって以来の女性一斉大量雇用だそうだ。
「私たちの手で、先端三区の女性をもっと美しくするのよ!」
「「「おぉー!」」」
拳を振り上げ気勢を上げる女性たち。
それはまぁ、いいんだけど……
アッスントが方々で言いふらしているようで、四十区から四十二区までの最底辺三区は最近『先端三区』と呼ばれ始めているらしい。
底辺じゃない、こっちこそが先端なのだ――と。
アッスントのヤツ、麹工房との中継ぎをやったことで二十四区の商人たちに結構な恩を着せたらしい。
『宴』関連でも領主との顔繋ぎをしたとかで、さらに影響力を増したとかなんとか。
それで、『BU』付近を仕切ってる行商ギルド支部の偉いさんに「うちに来ないか?」って誘われたらしいんだが……
「え? 流行の最先端である四十二区を離れて『BU』に? ご冗談でしょう? 私は左遷されるような覚えはございませんよ」
――とかなんとか、鼻で笑い飛ばして帰ってきたらしい。
あいつ、業績上げて底辺三区から離れるのに必死だったんじゃなかったっけ? ほんの一年ほど前の話だと思うんだけど。
目上の商人に思いっきりケンカ売ってるみたいだけど、出世諦めたの?
「アッスントの張り切り様が目に見えるような熱気だな」
呆れ声の俺に、エステラが少し嬉しそうに答える。俺をからかうような声音で。
「君の言葉が彼に火をつけたらしいよ」
「俺、なんか言ったか?」
「君の言葉だっただろう? 『綺麗』と『幸せ』は、実物がなくてもいくらでも金を生み出してくれる最高の商品なんだ――って」
「……それ、お前に言った言葉じゃねぇかよ。なんでアッスントが知ってんだ?」
「ボクが教えてあげたんだよ」
「じゃあ、お前のせいじゃねぇか」
なにを「君の影響だろ?」みたいな顔してんだよ。お前が焚きつけたんならお前の責任だ。こっちに押しつけんな。
「しかし『先端三区』は、ちょっと言い過ぎだと思うんだけどねぇ」
「でもさ、エステラ~☆」
体操着(上)を身に着けたマーシャが水槽の中でくるりと体を反転させる。
「三大ギルドって言われる海漁、狩猟、木こりの各ギルドが一番注目しているのは、間違いなく四十二区なんだよ? 先端で間違ってないんじゃないかなぁ~☆」
「それは……そうなのかもしれないけれどさ。『最先端』って……」
また他所からのやっかみを受けそうだな~っていう面倒くさそうな顔をしているエステラ。
四十二区が目立つと面倒が舞い込んでくるからなぁ。
最先端と言われたり、誰かに認められたりするのは嬉しいのだろうが、アッスントのように煽るような行動は避けてほしい。
エステラの顔はそんなことを如実に物語っていた。
俺も御免蒙りたいね、面倒ごとに巻き込まれるのは。
「今度面倒なことが起こっても、俺を巻き込むなよ」
「いつも渦中にいる人間が何を言っているのさ? 君発信のトラブルの方が多いんじゃないかって思っているんだけどね、ボクは」
「濡れ衣だ」
こんなにも平穏を望んでいる俺をトラブルメーカー呼ばわりするのは濡れ衣以外の何物でもない。
まったく、心外この上ない。
濡れ衣といえば、マーシャがベルティーナに釣られるようにして体操着(上)を着ているけれど、水槽の中で好きなように動くからもうすでにべっちゃべちゃで、体にぺったりと貼りついて肌の色や体のラインが透けて見えている。
普段からホタテくらいしか身に着けていないのでいつもよりも肌の露出は抑えられているはずなのだが、これがなかなかどうして――
濡れた服が肌に貼りついてるのって、とってもいいね!
「濡れ衣、最高だな!?」
「視界からの情報に思考が引っ張られ過ぎるのは君の悪い癖だよ、ヤシロ。まぁ、治らないんだろうけれど」
「ヤシロく~ん、視線がちょ~っとアブナイオジサンみたいだぞ~ぅ☆」
『みたい』だからまだセーフ!
「ヤシロ。他区の女性が多い中で危険人物認定されるような顔をするんじゃないさね。あんたが中心の美の街プロジェクトに影を落とすことになるさよ」
ぺこっと、煙管でつむじを叩かれる。
振り返れば会場となるこの会館に来るまでの間に合流したノーマが立っていて、そんなノーマも体操着を着ていた。
いつもはがっつりと胸元があいた服を着ているのだが……
「覆われて押し潰されているのも素敵!」
「人の話聞いてたんかぃね!?」
「聞いてないけどガン見はしてる!」
「聞くさね!」
煙管でおでこをこつこつされた。
けど気にしない!
「ヤシロさん」
「ヤシロさん」
似た物母娘の声に振り返ると、体操服姿のジネットとベルティーナが可愛らしい顔で俺を睨んでいた。
「「懺悔してください」」
「体操着と一緒なら懺悔室も吝かでない!」
「もう、ヤシロさん!」
「……なんでそんなに体操着が好きなのさ、君は……」
エステラがため息を吐き、呆れたように首を振りながら、ナイフを突きつけてくる。
え~なにこの女子。すっごいさり気なく人の命狩りにくる~。こわ~い。
「あの、店長さん」
同じように体操着を着たモリーがジネットの袖をちょいちょいと引っ張る。
「ヤシロさんが興奮し過ぎてしまいますので、店長さんは体操着を脱いだ方がいいのでは?」
「それはいい案だな、モリー! さぁジネット、下着姿になるんだ!」
「そういう意味ではありませんよ、モリーさんが言っているのは! もう!」
「すみません、余計興奮させてしまいました」
「大丈夫だよ、モリー。悪いのは100%ヤシロだから」
なんだろうなぁ、こう……
グラウンドみたいな広いところじゃなくて、ちょっと広いかな~程度の室内で見る体操着って……いいよね。
「ヤシロ~、うるさいぞ~。生徒が怖がるから摘まみ出すぞ~」
デリアの声が飛んでくる。
「ほら、ヤシロ。静かにしないと叩き出すって」
「いや、違うぞエステラ。『摘まみ出す』だ。そこを間違えると命にかかわる」
デリアに叩かれたら骨がやばい。
でもきっと摘ままれても痛いだろうから少し大人しくしよう。
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