「そうかい。急いでるんならしょうがねぇわな」
誘いを断ったことを、特に気にするでもなくカブリエルは人好きしそうな笑みを浮かべる。
こういう上司がいたら、無条件で付いていきたくなる。そんなタイプなんだろうな。
「でもよぉ、あんたら」
そんな、いい上司然としたカブリエルが声を潜めてこんなことを言う。
「花園より奥へ行くなら、ちょっと気を付けた方がいいぜ」
「危険な場所でもあるのか?」
顔を寄せ、情報を聞き出す。
もらえそうな情報は根こそぎもらっておきたい。『この花園の奥』なんて表現をするってことは、ここが境界なのだろう。
なんの境界かなんてのは聞くまでもない。
この花園は、人間の住む場所と虫人族の住む場所の境界なのだ。
「この三十五区は、俺たち亜種にもよくしてくれる。だが、中にはまだ人間に対して良好とは言いがたい感情を抱いている者も少なからずいる。……いや、まだまだ多い」
「…………」
カブリエルの言葉の中に気になるものがあり、俺の意識はそこで引っかかる。
……『亜種』?
「まぁ、多少気に障るようなことや、無礼に感じることもあるかと思うが……根はいいヤツらなんだ。どうか、気を悪くしないでやってほしい。この通りだ」
そう言って、勢いよく頭を下げる。――の、だが。
「痛っ!?」
カブリエルが頭を下げたせいで、カブトムシの立派な角が俺の脳天を殴打した。
…………今、気に障って無礼に感じることがあったのだが? これも大目に見なきゃいかんのか?
「あぁ、すまねぇ! つい……というか、まぁ、不可抗力というか……いや、悪ぃな」
苦笑を浮かべ、頭をかくカブリエル。
本当に悪気はないようだ。
その角と何年連れ添ってるのか知らんが……完全に制御は出来てないようだ。危険人物め。
「ヤシロさん、大丈夫ですか?」
「あぁ。ホントは一発どつき返したいけど、ケンカしたら確実に負けそうだから我慢する」
「あ、あの……どうか、穏便に……あ、あとでお薬塗ってあげますから。ね?」
穏便に済ませるさ。
マルクス一人なら勝てたかもしれんが……カブリエルは無理だからな。
勝てないケンカはしない! それが大人のマナー!
「いやぁ、ホントにすまん。詫びに、何かあった時は言ってくれ。力になるからよ」
「何かって……何が出来るんだよ?」
「俺たちは引っ越し屋なんだ。だから、物を運んだり、遠くへ飛ばしたりは得意だぜ!」
「……遠くへ、飛ばす?」
引っ越し屋が、何を遠くへ飛ばすんだ?
「近距離の引っ越しなら、荷物を放り投げた方が効率がいいだろう?」
「丁寧に扱えよ、客の荷物!?」
引っ越し屋が荷物放り投げるって、日本だと三日で倒産するレベルだぞ!?
こいつらに頼めることなんぞ、何もなさそうだ。
もういいか。頭ぶつけたっつっても、大したことなかったし。もう痛くもないし。
この後ジネットにお薬を塗ってもらう(という前提で膝枕してもらう)し。
……膝枕、いけるだろうか?
さり気な~く、そんな雰囲気に持ち込めれば…………ジネットが、そういう空気を察してくれるだろうか? この、ここぞという時にアホの娘を発揮する、割と残念な娘・ジネットが。
あらかじめ頼んでおく方が無難か?
あくまで、さり気なく。かつ、それが当然だと思い込ませるように……
「なぁ、ジネット」
「はい?」
「あとで、膝枕を塗ってくれ」
「…………はい?」
いかーん!
ちょっと動揺しちゃったかも!
あぁ、もう! ここで膝枕って言っちゃったら本番の時言いにくいじゃん!
「あ、それが目当てなんだな」って、まる分かりじゃん!
あぁ、もう! 台無しだ! やってらんねぇ!
「…………何もかもをやり直したい」
「もう一度、角で思いっきり叩いてほしいってことかい、ヤシロ?」
空気を読んだ上で、あえて空気を読まない発言をするエステラ。
お前みたいに察しのいいヤツはちょっと口を閉じていてもらおうか。……俺のこのやるせない気持ちを理解しているのならな!
……ったく。散々だ。
「忠告、感謝するよ。最初に聞いておけば、不測の事態に見舞われても対応は出来るだろう」
「そうか。そう言ってもらえるとありがてぇよ」
カブリエルが真っ白な歯を覗かせる。
……カブトムシに、歯。なんか物凄い違和感。ま、今さらだけどな。
「んじゃ、そろそろ行くわ」
「おう! また会えるといいな。えっと……ヤシロ、だったか?」
「あぁ。ついでにこっちから、犬、リア充カップル、腐った変態、おっぱいの人だ」
「だから、なんでボクが犬なのさ!?」
「あの、英雄様。僕たちは二人で一つなんですか?」
「リア充という言葉をよく使われますが、私たちはソレなのでしょうか?」
「変態はともかく、腐ったいうんはよう分からへんなぁ? ウチのどこが腐っとるん?」
「あ、あの、ヤシロさんっ。お、おっぱ…………その呼び方はやめてくださいっ」
俺がまとめて紹介してやったというのに、俺の連れどもは揃いも揃って文句ばかりだ。
これほど的確な表現もないだろうに。
カブリエルとマルクスが盛大に笑い、手を振り合って俺たちは別れた。
花園にはまだ他の虫人族が多数いたが、カブリエルたちと楽しげに会話していたおかげか、誰も俺たちにちょっかいをかけてくる者はいなかった。
警戒心は強いが、害がないと判断すれば特に攻撃を仕掛けてくることもない。
……もっとも、だからと言って友好的かどうかは分からんが。
カブリエルの言葉を頭の中で反芻してみる。
人間と虫人族の間で、摩擦が生じることが度々あるのだろう。
カブリエルの言葉には、そんなトラブルに疲れきったというニュアンスが込められていた。
そうであるなら、カブリエルたちの最初の態度も納得がいく。
人間が虫人族の縄張りである花園に踏み入ってきたのだ。
警戒されても仕方ない。
……仕方、ないのだろうか。
「なぁ、エステラ」
「なんだい? また『お手』とか言って犬扱いする気じゃ…………」
「『亜種』ってなんだ?」
「――っ!?」
軽口を叩こうとしていたエステラだったが、そのワードを出した途端に言葉を詰まらせた。
その反応だけで、説明は十分かもしれない。
要するに、『そういう言葉』ということだろう。
……根深いなぁ。
なんと答えたものか考えているのだろう……エステラは腕を組んで黙り込んでしまった。
眉間にしわが刻まれる。
「すまん。言いにくいことなら、後日でもいい。だが、話はきちんと聞かせてほしい」
「…………うん。別に言いにくいってわけじゃないんだけど…………ごめんね」
それから、その話題には触れず十数分歩き続ける。
花園のむせかえるような甘い香りがどんどん遠ざかり、いよいよ人気がなくなってきたところで、ウェンディが待ちに待った言葉を口にした。
「みなさん、長い道のりお疲れ様でした。到着です」
そこは、まるで華やかな世界から身を隠すように、ひっそりと静まり返ったゴーストタウンだった。
人の姿は見受けられない。にもかかわらず、人の気配はする……そんな薄気味の悪い区画。
物陰からジッと見つめられているような、不気味な視線を感じる。
本当にここは三十五区なのかと疑ってしまうような、廃屋チックな建物が軒を連ねる怪しい一角。その奥の方を指さして、ウェンディははっきりとこう言った。
「あそこが、私の実家です」
そこは、心霊スポットと言われれば「だよね」とすぐに納得してしまいそうな、廃墟だった。
……ウェンディ、お前…………「やっぱり私、幽霊でした!」とか、言わないよな?
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