「それでは、私は人員の手配、および領内住人への注意勧告並びに状況確認、それからろ過装置に必要な材料の手配を行ってまいります」
ナタリアがエステラに告げ頭を下げる。
病み上がりとは思えない行動力だ。
「ナタリア、ボクの持ってきた傘を使うといいよ」
「ですが、それでは……」
「ここにはみんなもいるし、それに、ナタリアの風邪がぶり返したら大変だからね」
「……はい。かしこまりました。お気遣い、ありがとうございます」
深々と頭を下げるナタリア。その表情は、どこか満たされているようだった。
「雨、少し弱まってきましたね」
窓の外を見ていたジネットがそんなことを言う。
確かに窓に当たる雨の音が少し静かになっていた。
ウーマロが来てから、俺たちは本格的なミーティングを行った。
時間的にもいい頃合いだったので、ジネットが作った朝食を食べながら。
レジーナも呼んだのだが、「知らん人が仰山おるところではご飯食べられへんわぁ」と、子供部屋で食べると譲らなかった。
あいつ、もう少しコミュ力鍛えた方がいいんじゃないだろうか?
で、ろ過装置の構造や今後の動きに関する話し合いを終え、準備のためにナタリアが領主の館へと戻っていったのだ。
とりあえずは、これ以上被害者を出さないことが最優先。
次いで、住民の飲み水の確保だ。
「ヤシロさん。このろ過装置、かなり大きいッスよね?」
俺が書いたろ過装置の設計図を手に、ウーマロが眉根を寄せる。
「これだけの大きさッスと、それなりに広い場所がないと作れないッスよ。もちろん、雨が入ってこない屋内ででッス」
「お前んとこに工房とかないのか?」
「あるッスけど、この大きさのものを四十二区まで運ぶのは、相当大変ッス。出来れば四十二区内で作業できる場所が欲しいッス」
ウーマロに依頼したろ過装置はかなりの大きさになる。
高さ2メートル直径80センチのタンクに、高さ80センチのろ過装置が四つ。それらを、傾斜のなだらかな水路が繋いでいる。
まず、タンクに水を溜める。ここで、ある程度のゴミや汚れを沈殿させた後、限りなく緩やかな傾斜で作られた密封形の水路をゆっくりとした速度で通過させる。この間に、落としきれなかった細かい不純物を沈殿させ、汚れの少ない上澄みのみをろ過装置へと送るのだ。
このろ過装置は樽の中に繊維、木炭、砂、砂利、小石を敷き詰め、外側の下部にコックを取り付けたもので、このコックをひねればろ過された水が樽の下に用意された入れ物へと注ぎ込まれる仕組みだ。コックを付けた理由は、ろ過装置に異常が発生した場合に水を止められるようにするためだ。折角ろ過した水が、あとから注がれる『問題の発生した水』のせいで台無しになるのは忍びないからな。
という、割と大掛かりな装置を依頼した。これを領主の館や教会のような場所に設置し水を提供するのだ。
もちろん、完成までに時間がかかるだろうから、樽のろ過装置だけを先に作り、水の提供は今日の午後からでも行うつもりだ。
この装置はその後、災害の後処理と復興が完了するまでの間、自動で水をろ過し続けるためのものだ。もっとも、タンクに水を溜めるのは手動だけどな。
「領主の館を借りられないか?」
「無理だろうね。さすがに、室内にこれだけ大きなものを作れるようなスペースはないよ」
装置を作るとなると、木材を持ち込んで、組み立ててと、作業をするスペースはかなり必要になるだろう。
日本にいた時、組み立て式の本棚を作ったことがあったが、六畳間では狭過ぎて作れなかった記憶がある。材料を広げるためのスペースというのは、結構幅を取るのだ。
「じゃあここはどうだ?」
教会の談話室と厨房を使えば、なんとかなるかもしれない。
だが……
「子供たちがまだ眠っていますので、騒がしくなるのはご遠慮願います」
ベルティーナが丁寧に、しかし毅然とした態度で拒否をする。
まぁ、何日かかるのか知らんが、その間厨房と談話室が使えないのはキツイよな。
病み上がりの子供たちにこれ以上我慢を強いるのは酷というものだ。
「あの、ヤシロさん。陽だまり亭を使っていただくというのは……? こういう事態ですし、しばらくお店はお休みにして……」
ジネットの言う案が一番理に適っている気がする。
……しょうがない、陽だまり亭を使うか。
「傷を付けたら無償で修理しろよ?」
「あそこ、ほとんど無償でオイラたちがリフォームしたようなもんじゃないッスか」
何を言う! きちんと報酬を払っているではないか!
人聞きの悪いことを言うヤツだ。
「陽だまり亭のろ過装置を使うにしても、あれ一つじゃ心許ない。取り急ぎ、あと二つ分くらいは欲しいところだな」
「そうですね。飲料水だけでしたら、それなりに賄えるとは思いますが、生活用水全般となるとさすがに……」
飲み水は、酒などを飲んでもらうとして、料理に使う水は必要になる。
洗濯や風呂は、ちょっと我慢してもらおう。
飲食最優先だ。
「あとは材料だね」
難しい表情でエステラが呟く。
「石や砂利は、川へ行けば手に入るとは思うんだけど……」
「でも、この雨で川が増水して立ち入り禁止になっているそうですよ。デリアさんが以前おっしゃっていました」
材料調達に頭を悩ませるエステラは、ジネットに指摘を受けてさらに表情を曇らせる。
「大丈夫だ、ジネット。川漁ギルドにはオメロがいる」
「オメロさん、泳ぎが得意なんですか?」
そうか、ジネットは知らないのか。
「オメロはな、万が一のことがあっても大丈夫な人材だ!」
「ダメですよっ!?」
だって、この前泳げないからって川で洗われてたぞ?
あれ? アレは泳ぎを教わっていたんだっけか?
「あのぉ、ちょっといいですか?」
俺が、オメロのポジションが『将棋の歩』や『チェスのポーン』と同じなのだと解説してやろうかとしたところで、ロレッタがそろっと手を上げた。
「ウチの近所で手に入るですよ、石や砂利、それからサラサラの乾いた砂も」
「本当かい!?」
「は、はい!」
エステラに急接近されて、ロレッタが体をビクッと震わせる。
「ロレッタ。大丈夫だ。驚くほどぺったんこだが、そいつは女だ」
「あ、いえ。知ってるですよ。今のは、大きな声に驚いただけで」
「とりあえず、ヤシロ……雨降ってるけど、表出ようか?」
「すまん、エステラ。俺、雨に濡れると天パが縮むから」
「ド直毛が何を言ってるんだい?」
ぐるると唸るエステラ。
まったくこいつは……小さいことでイライラして……一回ビシッと言っといてやるか。
「エステラ。小さいからってイライラするな」
「イライラさせてるのは誰かなっ!?」
あ、しまった。ほんのちょっとだけ言い間違えてしまった。
『小さいことでイライラするな』
『小さいからってイライラするな』
ほとんど同じなんだけどなぁ……おかしいなぁ。
「そ、それでですね。ウチの近所に、弟たちが掘った洞窟があってですね……」
「洞窟?」
ちょっと気になるワードに、思わず尋ねてしまった。
つか、弟たちが掘った洞窟ってなんだよ?
なに掘ってんだよ?
「二十九区との間に崖があるです。そこを弟たちが遊び場にしているです」
穴掘り遊びか?
まぁ、秘密基地みたいなノリで楽しいだろうな。
「そこの中なら、雨も入ってこないですし、砂も取れるです」
「それじゃあ、一度見に行ってみるか」
使えるかどうか、それは見てから判断すればいいことだ。
教会を出ると、少し雨脚が弱まっていた。この分なら、今日の午後には雨が上がるかもしれない。
雨が上がってくれればいろいろと行動を起こしやすい。
テルテル坊主でも作っておけばよかったなどと思いつつ、俺たちはスラムへと移動した。
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