「あら。見つかってしまいましたね」
「ベルティーナか」
振り返ると、ベルティーナが立っていた。
どこから見ていたのか、楽しそうな顔をしてこちらに歩いてくる。
「やはり、ヤシロさんは人気者ですね」
「拒否権が欲しいところだけどな」
「うふふ。愛とは、無償で与え、また無償で与えられるものなのですよ」
「無料より怖いものはないってのは、本当のことらしいな」
そんな冗談を、楽しそうな顔をして聞いている。
その目が、ふと俺に向き……形容しにくい温かさが俺を包み込んだ。
ベルティーナがたまに見せる母性愛の込められた眼差し。
叱るでも褒めるでも心配するでもなく、ただ見守るような、くすぐったい視線。
こいつは今、俺に会いにわざわざここに来たのだ。何かを言うために。
「ヤシロさん」
そして、俺がそれに気付き、こちらの準備が出来たことを確認した後で、ゆっくりと腕を伸ばす。
そっと近付いてきたベルティーナの指先が頬を撫でる。
「頑張っているようですね、とても」
一瞬、背筋にざわっと冷たいものが走る。
何もかもを見透かされているような……下手な嘘を吐いてしまった子供のような気持ちになった。
口から出た稚拙な嘘がばれたと確信した時の、気まずさに似た緊張が走る。
けれど、叱られるわけではなく、ベルティーナはただ静かに微笑んで俺を見つめているだけだった。
「私は、ヤシロさんが頑張っている姿が好きですよ。けれど――」
説教ではない。
説得でもアドバイスでもない。
ただの世間話のような口調で、ベルティーナは言う。
「頑張る時も『ヤシロさんらしく』が、いいです」
ただの感想。
少し見方を変えれば……お願い?
「無茶しているように、見えるか?」
「いいえ。ただ、らしくないようには見えますね」
らしくない。
今の俺は、エステラに頼まれて『BU』の領主たちに会っている。
四十二区に降りかかる火の粉を払うために。
そいつは紛れもなく人助けであり、これまでの俺はそんな人助けを率先してやったりはしなかった。
だから、「らしくない」のか?
いや……違うな。
「今のヤシロさんは、あまり楽しそうには見えませんので、その点だけは、ほんの少しだけですが、心配しています」
今の俺は、使命感で動いているからだ。
「こうしなければいけない」
「こうした方がきっといい」と――
俺のためでなく、誰かの……みんなのために。
「ヤシロさんは、どんな時でも楽しそうに笑うんですよ。きっとご自分では気付かれていないのでしょうけれど。こう……こんな風に……」
言いながら、ベルティーナは左の親指と人差し指で眉間を摘まんでシワを作り、右の人差し指で口角を持ち上げる。そして、なんともあくどい笑みを浮かべてみせる。……とても『楽しそう』には見えないのだが?
「……それのどこが笑顔だ」
「ふふっ……上手に出来たと思ったのですが、似ていませんでしたか?」
さぁな。
自分の笑顔なんか鏡でマジマジ見つめる趣味は持っていないんでな。
だが、あくどさで言えば、いい具合に表現できていたんじゃないか。
「今はとても穏やかな顔をされていますよ」
「いいことなんじゃないのか?」
「そうなのでしょうね、普通の人なら」
ほほぅ。俺は普通じゃないと?
随分と直接的な暴言だな。
「今の顔は、あの時の顔に少しだけ似ています……私に、大食い大会に出てほしいとお願いをしに来た、あの時に」
四十二区と、近隣二区合同で開催した大食い大会。
ベルティーナの出場可否は四十二区の命運を分ける重大事項だった。
だから俺は、ベルティーナに出場を直訴に来たのだ…………四十二区のために。
……なるほどな。
あの時もそうだったのか。
俺への利益は度外視で、四十二区の存亡を最優先事項とし、行動していた。
それが、ベルティーナに不安を与えているというわけか。
……そして、ベルティーナが気付いているならきっとジネットも。
「何か、可愛げのある悪巧みをしているくらいの方が、私たちは安心できてしまうんですよ、不思議なことに」
「『いい子にしなさい』ってのは、腐るほど言われた記憶があるんだがな」
「では、その方はヤシロさんをあまりご存じない方だったのでしょうね」
……確かに、女将さんは俺に『いい子にしろ』だの『勉強しろ』だのは言わなかったな。
そういったことを言うのは、大抵担任や生徒指導の教師たちだった。
「俺をよく知る人間は、悪童に改心は無理だと悟るってわけか」
「いいえ。ネコに『ネコらしくしなさい』と言う人がいないのと同じ理由ですよ」
なら、俺が『いい子』だってのか? 誰がだよ。
カエルにされるぞ、そんなことを言うと。
「それじゃ、猛暑期になったらベルティーナにビキニを着せよ~っと」
「うふふ。それは、ヤシロさんの望みとは違うでしょう?」
いや、望んでますけど?
めっちゃ見たいですけど?
隠れ巨乳を隠せないような際どいヤツを着てもらいたいですけど!
「どうか、ヤシロさんはヤシロさんらしく……それなら、きっとジネットももう寂しがったりは、しないはずですので」
……「もう」ね。
ジネットは、あの大食い大会以降、置いていかれることを寂しがることはなくなった。
だが……そうか。多少は不安を感じているのか。
「まぁ、確かに。ベルティーナが飯を残したりしたら、気が気じゃなくなるだろうからな、俺も」
「うふふ。心配してくれるんですね」
「天変地異を危惧するな」
「それは大変ですね。では、今からドーナツを食べに行きましょう」
「いや、今のは比喩で……」
「チョコとピーナッツのドーナツがいいです」
「…………」
「あ、一品でなくても構いませんよ?」
「…………あぁ、奢らされるんだ、俺」
「『最近、甘えのスキルが上がりましたね』と、ジネットに言われました。たぶん、ヤシロさんのおかげですね」
俺の、「せい」だろうな。
「……手紙を送ったらな」
「とどけ~る1号ですね。私、動いているところを見てみたいです」
きらきらした瞳のベルティーナを伴って、とどけ~る1号の木箱へと向かう。
手紙を入れようと蓋を開けると……
「くーすかぴー……やー」
ハム摩呂が、木箱の中で眠っていた。
…………たしかさっき、すっげぇガッコンガッコンしていたと思うんだが、この木箱。
よく熟睡していられたものだ。
「ハム摩呂、起きろ。手紙を送りたいんだ」
「むにゃむにゃ…………はむまろ?」
「お前だ、お前。いいから降りろ」
「むは~…………新感覚の、ゆりかごやったー」
「どんなアクロバティックなゆりかごだよ」
赤ん坊、生傷耐えねぇぞ、こんなんじゃ。
「おにーちゃん、お手紙出すなら僕がやるー!」
「出来るのか?」
「今日からプロー!」
「どこと契約したんだよ……」
自称プロのハム摩呂に手紙を託し、少し離れて動き出す木箱を眺める。
ハム摩呂は慣れた手つきで基盤を操作して落下防止装置をオンにし、ロープをするすると引っ張っていく。
音もなく木箱が上昇していき、それを視線で追う。
やがて遥か頭上でベルが鳴り、手紙が無事届いたことを知らせてくれる。
これで、明日くらいには手紙が返ってくるだろう。
「すごい物ですね。四十二区に居ながら他の区と連絡が取れるだなんて」
「二十九区のごく限られた相手とのみ、だけどな」
「もし陽だまり亭と教会がこうやって連絡を取り合うことが出来れば、いろいろ便利になりますね」
位置関係が上下ではないのでとどけ~る1号みたいなものでは不可能だろうが……そのうち無線とか、電話の劣化版みたいなものなら誕生するかもしれないな。
もしそうなったら……
「もしそうなったら、いつでも陽だまり亭のご飯を持ってきてもらえますね」
うん。四十二区には過ぎた文明だな。不許可だ。
……出前かっつうの。
電話一本で毎時間呼びつけられちゃたまらんわ。
「そろそろ帰るぞ」
とどけ~る1号を見上げるベルティーナに声をかける。
と、一仕事終えたハム摩呂が駆け寄ってきて俺の右手に飛びつく。
……お前に言ったんじゃねぇっつうの。
「ハム摩呂さんも、ドーナツをご馳走になりますか?」
「やぶさかでないー!」
「こら。『ハム摩呂さんも』ってなんだ? 何をさらっとご馳走になること前提で話してんだよ」
「私は、甘え上手、ですので」
「残念だったな。そのスキルは相手を選ばないと効果を発揮しないんだぞ」
「はい。ですので、効果がありそうな方にのみ使用しています」
…………こいつはぁ。
「……ジネットに言ってくれ」
「うふふ。はい。そうしましょうね」
「『そうします』だろ?」
「うふふ」
何を言っても嬉しそうな笑みを浮かべるベルティーナに、これ以上何を言っても無駄だ。
こいつの中では、俺は甘々のお人好しという人格を付与されているらしい。……いつか痛い目見るからな、そういう思い込みで人付き合いをしていると。
しかしまぁ、いいことを気付かせてくれた礼くらいはしてやってもいいだろう。
俺がジネットに頼んでやるよ、ドーナツ。
俺は断固お断りだが、ジネットはお人好しだからご馳走くらいしてくれるだろうよ。
赤く染まる空を見上げ、俺は今回の騒動で俺が得られそうな利益の再計算を始めていた。
マイナスをゼロにするのではなく、ゼロからプラスを生み出せそうな、そんな物がないかを。
「本当に、今年は雨が降りませんね」
隣でベルティーナが漏らしたそんな呟きに、「まぁ、そうだな」くらいの感想を返して、俺は歩きながら脳内のそろばんを景気よく弾いていた。
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