ジネットの話は、にわかには信じがたいものだった。
「デリアとミリィが、口論?」
「あ、いえ。口論と言いますか……」
ジネットは慌てた様子で訂正の言葉を述べ、それからやや落ち込んだ様子でぽつりぽつりとその時の状況を語り出す。
「ここ最近、ミリィさんのお顔を見ていませんで……でも、ミリィさんはネクター飴の製造とか、新しいお仕事も増えてお忙しいのかなぁ……と、思っていたんです」
けれどそうではなかった。
だからこそ、ジネットは今こんなに沈んだ表情を見せているのだろう。
「それである日――二週間くらい前になりますが……教会へ行った帰り、偶然ミリィさんをお見かけしたんです」
ジネットの表情が一層曇る。
眉根が寄り、悲痛さが漂う。
「ミリィさん……なんだかとてもやつれているように見えました。いつもの、あの可愛らしい笑顔も影を潜め、こう……無理に笑おうとしているような……そんな風に見えました」
一言、言葉にする度に胸が痛むかのように、ジネットは胸を押さえる。両手を握り、まるで祈っているようにも見える格好だ。
「雨が降らないから、お花たちのお世話が大変だと……そんなことをおっしゃっていました」
ミリィたち生花ギルドは、四十二区内の森を管理している。
雨が降らないために、そこや、そこ以外の花々に特別な世話を焼いているのだろう。
雨が降り過ぎても、降らな過ぎてもダメ。
植物を育てるってのは大変だ。
「ですので、今度陽だまり亭に美味しい物を食べに来てくださいねとお伝えしたんです。こっそりと大盛りのサービスをしますからと…………はわゎっ! あの、違うんです、これはその、贔屓とかではなくて、ミリィさんがあまりにもやつれていたのでつい……」
大盛りサービスと言ったところで、たまたま俺と目が合った。それで懸命に言い訳をしているのだろうが……別にいいよ、そんなことを必死に弁解しなくても。
どうせ、注意したってお前はサービスをしちまうんだし。
「それで、ミリィはなんて言ってたんだ?」
ジネットがミリィと話をしたという二週間前から、今日現在に至るまで、ミリィは陽だまり亭にやって来てはいない。
「はい、あの……『時間が出来たら』と」
つまり、ミリィはこの二週間『時間が出来ない』状況にいるということだ。
なるほどな。
だからジネットは、窓の外を眺めてはため息を漏らしていたのか。
来ない待ち人の姿を探して。
「それで、ジネットちゃんが心配するのは分かるよ」
腕を組み、自分も心配だと言わんばかりの表情でエステラが言う。
「けど、デリアと口論していたっていうのが、どうもピンとこないんだよね」
「あ、あの。それは、わたしの表現に問題があるのかもしれません。口論と言っても、お互いに言い合っていたわけではなくて、デリアさんがすごい剣幕で……っていうと、デリアさんが悪いように聞こえてしまうかもしれませんが、決してそういうわけではなくて……あの、つまり……」
「いいから落ち着け。大丈夫だから」
俺たちはどちらのこともよく知っている。
一方向からの情報でデリアやミリィの人格を否定するようなことはないさ。
「とにかく、お前の見たままを話してくれないか」
「はい……語弊があったら、申し訳ないですが……」
そんな前置きをして、ジネットは再び話し始める。
「これは、ミリィさんとお会いしたのとは別の日で、だいたい一週間くらい経った後のことなんですが……」
ということは、今から約一週間前のことだ。
「教会へ伺った帰り、誰かの大声が聞こえて、わたしは川の方へ向かって歩いていきました。そこで見たんです……その…………デリアさんが、ミリィさんにすごく怒っていて……ミリィさんも、なんだか懸命に反論を、されていて……」
「ミリィが、反論?」
にわかには信じがたいという表情を見せるエステラ。
そんなエステラの顔を見て、ジネットは慌ててフォローを入れる。
「決して言い合いという雰囲気ではなく、なんと言いますか…………切実な感じで訴えかける……と、いう感じでした」
どちらも悪くないという点を必要以上に強調するジネットを介してでは、やはり少し要領を得ない。
「実際に会いに行ってみるかい?」
「そうだな」
俺はエステラの意見に賛同する。現状ではなんとも判断しづらい。
それに、二人とも、ここしばらく顔を見ていない。
セロンの結婚式の頃から雨が少ないという話は聞いていたが……
あの後、一度まとまった雨が降ったこともあったが、それ以降はまたずっと雨は降っていない。となれば、現在の水不足は相当深刻なはずだ。
その対策で忙しいのだろうか。
「……デリアは一週間ほど前、ポップコーンを大量購入していった」
「甘い物を買いだめしていったのか?」
「……そう。しばらく時間が取れなくなるからと」
ポップコーンなんか日持ちのしないものを買いだめなんかして……しけって美味くなくなるぞ。
何か、甘い物でも差し入れてやれば話を聞かせてくれるかもしれない。
しかし、やつれていたというミリィの方も心配だ……
「あの、ヤシロさん……」
自分が話したことを後悔でもしているかのように、ジネットの表情が曇っている。
湧き上がる不安を押さえつけるように自分の胸を押さえつけるジネット。瞳が揺らいでいる。
「わたしも、何度も会いに行こうとは考えていました……でも、お忙しい時にお邪魔したりしたら……ご迷惑になるのではないかと思うと、躊躇ってしまって……」
ミリィなら、忙しくてもこちらに気を遣って時間を作ってくれそうだ。
その埋め合わせで、自身の睡眠時間や休息時間を削ったとしても。
そう思ったから、ジネットはじっと待つことを選択したのだろう。この陽だまり亭で。
「でも、もし倒れてたりしたら、助けも呼べずに一人で大変かもです」
「――っ!?」
ロレッタの言葉に、ジネットが息をのむ。
その可能性には思い至ってなかったようで……
「ど、どうしましょう……わたし、知っていたのに…………こんな見捨てるような、なんて酷いことを……っ」
「待て待て待て! まだそうと決まったわけじゃないだろう!」
「でも……っ」
「よし、分かったよジネットちゃん! それじゃあ、まずはミリィのところへ行ってみようじゃないか」
今にも泣き出しそうなジネットを宥めるように、エステラがその大きな瞳を覗き込んで話しかける。
「それでいいかな、ジネットちゃん?」
「……はい」
倒れている心配があるのはミリィの方だ。
デリアはそういう心配がないからな。
これまで、誰にも言えずに一人で溜め込んでいた不安が溢れ出したジネットを安心させるには、その方がいいだろう。
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